「事務員さんの作るライブは規制がゆるい」と言われるようになった。
参考がてら他のイベントがどんな風になっているのか
見たり調べたりすることもあるが、年々規制や禁止事項が増えていく。
イベントを作らせてもらうようになってからずいぶん経ったわけで、
こうなっていくのもだいたい分かるし、理解もしているのだけど。
昔話にはなんの意味もないけどこれだけは。
以前はなんの規制も無かった。だって、作る人も演じる人も同じだという
世界観の中から始まった世界だったから。
(クラスのお調子者の一人がなにかやってる…程度の)
ある日それが「そうじゃなくなっていってる」ことに気づいたときから
「規制」が始まった。あの時の悔しさも覚えているけど
それを認めないと続いていかないことに気づいて、呑み込んだ。
僕は、自分の作るイベントで「規制」を作ることがあまり好きじゃない。
規制によって失うもの(お金とかそういった短絡的なものではなく)が多いから。
ディズニーランドでセルフィー棒が規制されたと聞いたときに
きっと、それを決める側は辛かっただろうなと察した。
僕は、多分何かしらの性善説を基盤にしてイベントを作っていた節があって
誇張して言うと「こういう世界にいる人に限ってそんなことは…」と思う傾向にあった。
例えば。
「着付け直し専用の部屋を用意したい」と言っても
導入しようとした当時は周りから
「盗難が発生する(かもしれない)!」「盗撮が発生する(かもしれない)!」
「入場できなくて怒る人がいる(かもしれない)!」
というリスクの予見がうまれてきた。
いくつもの「(かもしれない)」を並べる人に対して
「どうしてこの人は『(かもしれない)』だけ並べて
めんどくさくならないように回避しようとしてるのだろう」と思っていた。(※過去形)
浴衣でいらっしゃってください…と言っている某イベントを作るに当たり
「着付け場所がほしいです」という意見がいくつも来ていたのに
「(かもしれない)」で作れなかった時期があったのは
そういう力が作用していたから。
この時の僕は「こんな素敵な世界にいる人に限って…」と最初に
考えちゃっていたわけだ。幾多の「(かもしれない)」に抵抗する時間が
もったいなくて諦める。そんなことが多かった。
「もう全責任僕でいいです!」と半ばヤケになって振り切り
着付け直し場所を作ったけど、今の所ナーバスな報告はあんまりなさそう。
ただ、これに関してはそうだったのかもしれないだけで。
「(かもしれない)」に「確かに…」と
考えなくてはいけない場合もあった。
今年の某イベントで、去年なかったのに増えた規制がある。
<「差し入れは手紙以外禁止」>
悔しかった……
「どこのイベントでも今どきこうですよ」となだめられる。
それが逆に悔しさを倍増させる。
まず「どこのイベント(と言われるもの)」と
「この界隈」とを一緒にさせざるをえない、そんな状態になったことが。
これはお客様に「とんでもないものを入れる人がいるので
とんでもないものを入れない人の分も規制しますね」と言ってるわけで。
「居るか居ないかわからないけど、それが『発生する(かもしれない)』ので
規制しますね」という、この、ゴミみたいな規制を認めるに至ったことが悔しい。
でも、そういう事も認めなくちゃいけなくなった日が来た。とても悔しい。
あとちょっと、恥ずかしいみたいな気持ちがある。
(((極端な話にすると、例えば<盗撮禁止>ってポスターを掲げるに至ったら
「このイベントは民度が低いんです」って思われそうで恥ずかしいって思う時の
「恥ずかしい」の気持ち。盗撮禁止なんてそんなこと自明の理なのに。
「こちら、そんなことさえわざわざ掲示しなくちゃ
いけなくなったイベントなのでございます」みたいなのが。
ああ、将来そんな恥ずかしいイベントなんて絶対作りたくない。)))
他のイベントでは当然ついている「規制」が、僕のところでは無かったりする。
それは、そういう何かを楽しんで頂く場において
こちら側からあまり縛りを設けたくないからなのであって。
むしろ「そういう場で、しっかりと楽しみ方を知っている方に
楽しんでいただきたい」という気持ちで、気をゆるめればどんどん
増えていきそうな「規制」をなるべくつくらないようにしている。
安易に項目を増やしたくなかった。
「ゆるい」んじゃなくて「固くしたくない」って攻防したこの10年の
結果がこれなのであって、何も考えてないわけじゃない。
考え込んだ時間はきっととても長かった。
「規制がない…ということは、こういうことをしてもいいのか」
という質問がいくつか来た。
「それが良いのか、悪いのか、
それさえもこちらで決めるべきなのですね、昨今は。」と思った。
そして、この質問が今後増えていったらまた次に新たな
「規制」が増えるんだろうなと思った。
そんな規制だらけのイベントを作り出すのは
制作側でもあり、お客さん(の一部)でもあり、世間の風潮でもある。
また一つ、また一つと増えていく規制を見ながら今まできている。
この記事によって世間のマナー改善を求めているわけでもないし
何かが変わればと思って書いているわけでもない。
時代の流れによってたえず考え方を変えていかないといけないわけだし。
まぁ、この記事を書いたのは某イベントのポップアップを指揮している人に
「こういう規制を増やしてください」と今から連絡を入れるに至ったわけだからなんだけど。
僕は、何かしらの規制が増えるたびに
「そんなことも書かなきゃいけなくなったくらいの状態なのか…」と
すこし悔しくて、すこし寂しいきもちになっていることだけ
伝えたかった。みたいな感じです。
(追記)
先述した性善説で考えてしまう云々もあり。
僕はきっとこの文章を読んで下さったような方の中に
規制を増やすようなことをする人は居ないと思っています…!
みなさん信じてます…!(๑•̀ㅂ•́)و✧
参考がてら他のイベントがどんな風になっているのか
見たり調べたりすることもあるが、年々規制や禁止事項が増えていく。
イベントを作らせてもらうようになってからずいぶん経ったわけで、
こうなっていくのもだいたい分かるし、理解もしているのだけど。
昔話にはなんの意味もないけどこれだけは。
以前はなんの規制も無かった。だって、作る人も演じる人も同じだという
世界観の中から始まった世界だったから。
(クラスのお調子者の一人がなにかやってる…程度の)
ある日それが「そうじゃなくなっていってる」ことに気づいたときから
「規制」が始まった。あの時の悔しさも覚えているけど
それを認めないと続いていかないことに気づいて、呑み込んだ。
僕は、自分の作るイベントで「規制」を作ることがあまり好きじゃない。
規制によって失うもの(お金とかそういった短絡的なものではなく)が多いから。
ディズニーランドでセルフィー棒が規制されたと聞いたときに
きっと、それを決める側は辛かっただろうなと察した。
僕は、多分何かしらの性善説を基盤にしてイベントを作っていた節があって
誇張して言うと「こういう世界にいる人に限ってそんなことは…」と思う傾向にあった。
例えば。
「着付け直し専用の部屋を用意したい」と言っても
導入しようとした当時は周りから
「盗難が発生する(かもしれない)!」「盗撮が発生する(かもしれない)!」
「入場できなくて怒る人がいる(かもしれない)!」
というリスクの予見がうまれてきた。
いくつもの「(かもしれない)」を並べる人に対して
「どうしてこの人は『(かもしれない)』だけ並べて
めんどくさくならないように回避しようとしてるのだろう」と思っていた。(※過去形)
浴衣でいらっしゃってください…と言っている某イベントを作るに当たり
「着付け場所がほしいです」という意見がいくつも来ていたのに
「(かもしれない)」で作れなかった時期があったのは
そういう力が作用していたから。
この時の僕は「こんな素敵な世界にいる人に限って…」と最初に
考えちゃっていたわけだ。幾多の「(かもしれない)」に抵抗する時間が
もったいなくて諦める。そんなことが多かった。
「もう全責任僕でいいです!」と半ばヤケになって振り切り
着付け直し場所を作ったけど、今の所ナーバスな報告はあんまりなさそう。
ただ、これに関してはそうだったのかもしれないだけで。
「(かもしれない)」に「確かに…」と
考えなくてはいけない場合もあった。
今年の某イベントで、去年なかったのに増えた規制がある。
<「差し入れは手紙以外禁止」>
悔しかった……
「どこのイベントでも今どきこうですよ」となだめられる。
それが逆に悔しさを倍増させる。
まず「どこのイベント(と言われるもの)」と
「この界隈」とを一緒にさせざるをえない、そんな状態になったことが。
これはお客様に「とんでもないものを入れる人がいるので
とんでもないものを入れない人の分も規制しますね」と言ってるわけで。
「居るか居ないかわからないけど、それが『発生する(かもしれない)』ので
規制しますね」という、この、ゴミみたいな規制を認めるに至ったことが悔しい。
でも、そういう事も認めなくちゃいけなくなった日が来た。とても悔しい。
あとちょっと、恥ずかしいみたいな気持ちがある。
(((極端な話にすると、例えば<盗撮禁止>ってポスターを掲げるに至ったら
「このイベントは民度が低いんです」って思われそうで恥ずかしいって思う時の
「恥ずかしい」の気持ち。盗撮禁止なんてそんなこと自明の理なのに。
「こちら、そんなことさえわざわざ掲示しなくちゃ
いけなくなったイベントなのでございます」みたいなのが。
ああ、将来そんな恥ずかしいイベントなんて絶対作りたくない。)))
他のイベントでは当然ついている「規制」が、僕のところでは無かったりする。
それは、そういう何かを楽しんで頂く場において
こちら側からあまり縛りを設けたくないからなのであって。
むしろ「そういう場で、しっかりと楽しみ方を知っている方に
楽しんでいただきたい」という気持ちで、気をゆるめればどんどん
増えていきそうな「規制」をなるべくつくらないようにしている。
安易に項目を増やしたくなかった。
「ゆるい」んじゃなくて「固くしたくない」って攻防したこの10年の
結果がこれなのであって、何も考えてないわけじゃない。
考え込んだ時間はきっととても長かった。
「規制がない…ということは、こういうことをしてもいいのか」
という質問がいくつか来た。
「それが良いのか、悪いのか、
それさえもこちらで決めるべきなのですね、昨今は。」と思った。
そして、この質問が今後増えていったらまた次に新たな
「規制」が増えるんだろうなと思った。
そんな規制だらけのイベントを作り出すのは
制作側でもあり、お客さん(の一部)でもあり、世間の風潮でもある。
また一つ、また一つと増えていく規制を見ながら今まできている。
この記事によって世間のマナー改善を求めているわけでもないし
何かが変わればと思って書いているわけでもない。
時代の流れによってたえず考え方を変えていかないといけないわけだし。
まぁ、この記事を書いたのは某イベントのポップアップを指揮している人に
「こういう規制を増やしてください」と今から連絡を入れるに至ったわけだからなんだけど。
僕は、何かしらの規制が増えるたびに
「そんなことも書かなきゃいけなくなったくらいの状態なのか…」と
すこし悔しくて、すこし寂しいきもちになっていることだけ
伝えたかった。みたいな感じです。
(追記)
先述した性善説で考えてしまう云々もあり。
僕はきっとこの文章を読んで下さったような方の中に
規制を増やすようなことをする人は居ないと思っています…!
みなさん信じてます…!(๑•̀ㅂ•́)و✧
コメント
コメントを書く飲酒喫煙を黙認したりする人もいるしね