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【第155回 芥川賞 候補作】『美しい距離』山崎ナオコーラ
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【第155回 芥川賞 候補作】『美しい距離』山崎ナオコーラ

2016-07-11 11:59
     星が動いている。惑星の軌道は歪む。太陽も位置をずらす。宇宙の膨張によって、恒星も少しずつ移動しているのだ。宇宙は常に広がっていき、星と星との間はいつも離れ続ける。すべてのものが動いている。
     動きは面白い。動きに焦点を合わせると、「ある」という感じがぼんやりしてくる。猫も電車も、輪郭がぼやける。存在しているというより、動いているという風に思えてくる。境目が周囲に溶けて、動きだけが浮かび上がる。
     高架橋の上にあるカフェで、透明なグラスに入った緑色のジュースを黒いストローでしゅるしゅる吸い上げ、マスタードの利いたホットドッグをあむりと噛み切る。駅の改札から溢れ出てくる人々を見降ろす。動きに集中すると、顔がぼんやりする。顔や姿の造作が霞み、行動によって発散される熱だけが際立っていく。
     特別快速が到着したのだろう。動きが活発になる。人々が動きの線を引いていく。改札から、待ち合わせ場所へ。あるいは、会社や家へ。
     三毛猫は、ぴょんと塀の上へ。
     もんしろ蝶は、空中をふらふらと。
     桜の花びらは、地面に向かってちらちらと。
     動くものたちが、たくさんの線を引いていく。
     もやもやと線が絡まっていくのを、ぼんやりと眺める。
     視線でそれら動きの線をなぞっているだけで、何時間でも過ごせそうな気がしてくる。
     しかし、時計を見ると、針も動いているのだった。時間というものを感じる。時刻表の時間にバスは来る。それで、ジュースを一気に飲み干し、ホットドッグを口に詰め込み、返却棚へ食器を返して、カフェをあとにした。
     ぴょんぴょんと軽く跳ね、ネクタイを揺らしながら階段を降りる。四十過ぎの男が階段の上で飛び跳ねているのは他人から見たらおかしな光景に違いない。しかし、四月の暖かな陽気のせいだろうか、やけに手足を動かしたい。この頃は周囲にどう見られようが、気にならなくなってきた。おじさんが跳ねて何が悪い。不必要な動きを絡ませながら、バス停を目指して移動していく。
     ターミナルにある三番乗り場から「新田病院行き」のバスに乗り込む。「バスターミナル」「ターミナルケア」という語を口中で転がす。こういう場所の名前と、病気の終末期を表す言葉が同じというのが、意味を考えれば腑に落ちるとはいえ、イメージが全然違うので面白く感じられ、口の端がちょっと上がる。
     バスに揺られながら、街並みを眺める。桜の木が並ぶ大通りを抜け、神社の脇を通り、中学校の前を過ぎる。
     終点に着く直前に、菜の花畑が左手に見える。これは見物だ。二週間ほど前は、黄色いものが点々とあるな、という程度だったのだが、日に日に黄色い点の割合が増え、ちらし寿司の上の錦糸玉子のようになり、今では一色の絨毯のようだ。
     そういえば、初めて会ったときの妻は菜の花模様のワンピースを着ていた。
     紺地に黄色い花がプリントされた服だ。すとんとした細身の形で、スカートはたいして揺れなかった。
     妻は、会社の上司の娘だった。
     今は仕事上の接点はなくなったのだが、当時は、妻の父は直属の上司で、支社長だった。
     支社は仲間意識が強く、馴染み難かった。そもそも生命保険会社の営業職には体育会系のノリがあって、高校では童話民話研究部というマイナーな部活動を選び、大学ではフランス文学を専攻した身にはつらかった。
     大学時代の終わりに、就職活動で銀行や証券会社、そして保険会社をまわったのは、金の移動に興味を持ったからだった。会話と同じように、金の動きは人と人とを繋ぐ。金が数字でできているからといって、人文系が必要とされない分野とは思えなかった。金もコミュニケーションツールだ。人と絶妙な距離感を取って金を語り、相手にとっての完璧なタイ
    ミングで金を動かすことが、金融機関で求められている。
     商品の開発は理数系出身の方が向いているかもしれない。資産の運用は経済学を学んだ人の方が的確に行えるだろう。しかし、人間関係や社会の成り立ちについては、人文系の学問に造詣がある者の方がわかるのではないか。実際、同じ支社に配属された同期たちは人文系学部を出た者が多かった。



    ※7月19日18時~生放送
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