今日、TPP,原発、オスプレイ、増税などを見ると、我々国民の側の騙される責任をひしひしと感ずる。この問題については第2次大戦後、伊丹丹万作氏が指摘し、何人かが引用している。極めて貴重な発言なので、共通の財産として皆で知っておきたい。底本:「新装版 伊丹万作全集1」筑摩書房 、 初出:「映画春秋 創刊号」1946(昭和21)年8月 入力:鈴木厚司、 校正:田中敬三: 青空文庫作成ファイル
多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へ
コメント
コメントを書くなんとっ!現在まで継続中じゃないですかっ!
[騙される側の責任]このことばを表現できずにもんもんとしていた時に、この文章に出会い、でた!
自分の知能の低さを感じていたときに、何度も 何度も読み返しました。コメントをかくのも 表現して文書に現わすことも苦手な自己に対してもです。自己で考えることの重要さ、責任とは、今 勉強中のことです。
ありがとうございます。
私は、昭和24年生まれの団塊の世代で、山形生まれでずっと山形で暮らしています。学生運動の時代に大学生活を送り、以来、国民にとって日本がもっと暮らしよい社会になればと微力ながら組合活動、地域活動に携わってきました。しかし、多くの人は、仕事・生活が大変だと不平は言うけれど、それはみな政治と直結していることを知ろうとしないのです。だから、選挙になると、相変わらず自民党に投票しています。自民党は、アメリカと財界の言いなりで、国民大衆・沖縄のことなど考えていないことがわからないのです。
満63歳になった今、日本国民は、もっと悲惨な状況に陥らなければ目が覚めないのではないか、自分で考えることをしないのではないか、などと思うこともあります。
“それを言っちゃ、おしまいよ”だから、口には出しませんが。
孫崎さんのつぶやきをいつも拝見し、そうだ、そうだと、また微力を尽くさなければと考えています。これからも日本の北斗七星として、針路を指し示して下さい。ご健康にご留意され、ますますのご活躍をお祈り申し上げます。
弁護士事務所に勤務していた知人によれば、消費者金融で破産するようなケースでつくづく思ったのは、悪いのは貸す方だけではない、借りる方も相応に悪い。両方が悪いのであって、片一方が被害者すらするのはおこがましいとのことでした。
自分は騙されたんだ、罪ない無邪気で天真爛漫な自分をだました方がすべて悪いんだ・・・揃いも揃って口こう言うばかりそうで。事実、破産してしまえば(というよりも弁護士にその後始末を一任してしまえば)怖ーいお兄さんからの執拗で厳しい取り立てから解放されるので、あとは鼻をほじりつつアホ面の知らん顔で必要書類の提出すらしないどころか、電話にも出ないというほどの堕落っぷりとか。自分に降りかかる負の圧力からいとも簡単に解放されてしまえば、自分のしたことや責任などはそれっきり完全に忘れてしまう。そして愚かにも同じようなことを何度も何度も繰り返すんだそうで。結局自分で自分のしたことの責任をとろうとせずに逃げおおせて、自分の罪深さ・愚かさとその結果生じる罰を担わず、その痛みを感じずに終われれば反省なんてものをしなくていいわけだから、いくらでも同じことをやらかすわけだと興味深く話を聞いていたことを思い出した。
社会心理学・マーケティングといったアメリカにおいて、日本ではまずお目にかかれないレベルの超絶エリートたちによって高度に洗練され、これ以上ないほどなまでに確立された手法をもってすれば、一億人くらいまあ軽~く操れますよ。だって奴隷根性や同調圧力といったまことに都合のいいものがが、素地に溢れ返っているわけですから。
そうならないためにはどうするか、こういう意識がまるでないですね、日本人って。アイデンティティー、ディグニティー、こういう意識は諸外国の人からはその話す言葉からも表情からも行動からもとてもよく感じられるのですが、相手が日本人となると殆どと言っていいほど感じられない。何か重大な不都合なことが指摘されても、それに耳を貸そうともその可能性があることを考えてみようともせず、ただ耳を塞ぐ。そしてそんなことはあるはずがないと頑ななまでに事実から逃げ回って、大丈夫なフリだけをしてやり過ごそうとする。蒙昧無知もここまでくれば完全に罪です。人が良い?素直?そんなのはもはや褒め言葉ではないですよ。しかも反省と自虐を取り違えている人、多いですよね。そして耳さわりのいい言葉の方へどーっと行ってしまう。何故ダメだったかと反省すれば、新たな面が見えてきて、次こそはやられないよう対策を講じることができるようになるかもしれないのに。
日本人はこの先も、飽きもせずにずーっと騙され続けるのだと思います。
果たして、それはいつまでか?
日本人が消滅するまで、でしょうかね。虐げられても消滅しても変わらないのが、この国の奴隷根性なのですから。この国では国政選挙なんて民主主義のツールにもなりゃしませんよ。それが先の選挙でよおくわかったという人も出てきたのではないでしょうか。集計作業だかによる不正選挙を叫ぶ人たちもいますが、そんなことをするまでもなく向こうは簡単に勝ちおおせるのですよ。
> 批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
全くその通りと思います。
私の日々の会社生活でも、このような輩ばかりが目に付きます。
この側面だけ捉えれば単なるロボットのように見えますが、ロボットならまだしも、彼らには救い難い卑しさがある。平気でウソをつき、逃げ回ってばかりの卑怯な連中が実に多い。そして、そういうのに限って職場で幅を利かせています。
「どうしたらこんな腐った人格になるのだ?」とよく思いますが、謎は解けません。
しかし、それで全体として均衡が取れていることにしているのは確かで、上に行くほど汗を流さずに済んで、楽できるシステムになっています。
何とかしてこのバランスポイントを変えたいわけですが、公教育を根本的に変えない限り、何時まで経っても多勢に無勢でしょう。
戦後間もなく、このような指摘がなされていたことに安心しました。連合国主催の東京裁判により日本の戦争責任はすべて果たされた。その他はすべて被害者だったと理解し、戦争責任ついて思考停止になった結果、今日の極めて危険な状況を招いた。特に、戦後60年も米軍基地負担、被害、人権侵害等々を強いてきた私の住む沖縄に、さらに基地負担を押し付ける日本政府の姿勢は戦前思考と何も変わらない。だから、今、私たちが変わることが必要です。政治を変えるにはどうすればいいのか、真剣に考えましょう。