まず、原発問題の大枠認識は、小泉元首相の説明でいいと思う。
「7月7日、即時原発ゼロを訴えてきた小泉元首相は、原子力発電所推進の 論理は完全に破たんしていると述べ、「今後も原発ゼロにする国づくりを一歩でも進めていく」と訴えた。
・世界一厳しい安全基準だと政府が主張する再稼働基準に異論を唱え、「再稼働はできるわけがない」と反論した。
・安全神話が「嘘」だったことは大事故で判明した。「他の電源に比べて原発コストは安い」との論も「嘘どころか一番の『金くい虫』だ」と反論。「被害の賠償。廃炉までには40年─50年かかること。安全対策。作業員の確保。最終処分場確保にいたってはいまだにない」と述べ、推進論がこれらをコストに入れない「甘さ」を追求した。
・さらに小泉氏は「国民の税金投入なくして原発は成り立たない。しかも、この負担は、生きている人だけではなく、千年、万年の
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
全く同感。現在でも再稼働を推進している面々は常軌を失している。
安倍総理は世界一安全な基準で合格したから、九州電力川内原発は安全だといっている。
合格判断した原子力規制委員会の田中委員長は、基準の適合性を審査しただけで、安全だとは申し上げていないといっています。
どのように理解しようとしても、安全の根拠を安倍総理は示していないし、何人も提示できないのではないか。
川内原発を稼働させる場合でも、技術的判断のほかに、環境の問題、例えば、近くの火山の影響、避難場所の確保など、事故が起きた時、人命を守る体制が十分確保されているかなど、社会的整備も議論されなければならない。今回は稼働すべき基準で審査しただけといえます。
社会的影響において、人命に対して、又公共的に安全性が確保されない場合は、技術論をもって認可の基準にすべきでないと見るのが、現代社会の当たり前の見方ではないか。技術論をないがしろにするということではないが、社会を支えるのでなく破壊する可能性が強いものは、情緒に流されることなく、採用しない理性的な判断が求められるのではないか。
「リスクはZEROではない?」「再稼働の判断には委員会は関与しない?」世界一厳しい基準もこの程度。
原発再稼働は狂気。
技術、リスク、経営等々の観点から正当化出来ない。それだけではない。安全保障面から即時廃炉しかない。使用済み燃料はこれまで恩恵を受けた大都会の地下深くに埋める。
我が国が特に狂っている点は、集団的自衛権をああだこうだと熱心に議論するが原発と使用済み燃料をどう防衛するか全く議論しないことだ。原発が破壊工作を受ければ日本は瞬く間に消滅する。
専守防衛の選択肢しかないのにほんまに日本はアホやで。