• このエントリーをはてなブックマークに追加
再掲「黄金仮面」小西遼生・佐藤英典・井上優くん2011/02/17@スペースゼロ&2011/03/05@オリエンタル劇場
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

再掲「黄金仮面」小西遼生・佐藤英典・井上優くん2011/02/17@スペースゼロ&2011/03/05@オリエンタル劇場

2016-10-22 12:46

    2011/03/06

    11:58 pm

    下記文章は、「黄金仮面」を2月17日に観た後に書いたものだ。
    ただその時、小西遼生くんから、だめだし出しておいてもう一度観ないというのは無いですよね、
    といわれ、2回目を観てからブログに上げようと思ってとっておいた。
    昨日神戸で観た。
    確かに僕が強調したダメだし部分は、数段よくなってはいたけど、
    それでもこの文章をまったく変えるというほどの感想の違いは無かったので、
    ほぼそのまま関心空間に上げることにした。


    一昨日(2月17日)、「黄金仮面」を観てきた。
    もったいないなと思った。
    こんな豪華キャストで、芝居としてはきちんとできているのに、感動がない、納得感がない。
    演出家はどうやらカチッとした芝居を目指したようだ。
    八百屋の舞台にほぼ大道具なし、役者の演技で芝居を転がす、アクションあり展開もスピード抜群、
    稽古も十分、芝居としては出来上がっていたと思う。
    物語にも十分に吸引力があり、うねりもある。
    ただ単に、それが絵空事として語られ、客観的に物語が進んで見えるという点が問題だ。
    だから感情移入できない、終演後何も残らない。

    困ったなと思いながら、劇場の向かいのおすし屋さんで小西くん、寺崎裕香さん、井上優くんと食事をした。
    まじめな小西くん、いつものように、どうでした、芝居、と聞いてきた。
    おすし屋さんでは僕も明確には小西くんに答えられなかった。
    よく考えてから答えを書こうと思った。

    企画の狙いがわからない。この芝居で何を目指したのだろう。
    単なる娯楽作品を目指したのだろうが、それだったら、この演出家ではないだろう。
    こんなにきちんと作られたら笑うわけにもいかないし、居住まい正してちゃんと観てしまう。
    何かあるだろうと思ってみていると何もないままお芝居は終わってしまった。
    最後のカタルシスもこれはルパン役に重みが無い井上くんの責任もあるけどあまりすっきりしない。

    「明智小五郎」に人間味がないのだ。
    主人公がどんな人間かわからない。これは小西くんの責任ではない。
    むしろ、脚本にも演出にも、明智小五郎の人間を描く意図がないことをわかってしまった彼が、
    無理やりにも熱気でそれを表現しようとして格闘したふしがあるくらいだ。
    もっと言えば、脚本家にも演出家にも責任はないのだろう。
    企画を決めたプロデューサーの責任だと思う。

    もともとの江戸川乱歩の小説に、明智小五郎の人間味は描かれていない。
    この小説が書かれた1930年ころには、物語はストーリーが起承転結の構造がはっきりしていて、
    謎が提示され、いくつかの複線が巧妙に配置され、
    終幕にそれが痛快に解決されていればそれで名探偵小説といわれた時代だった。
    探偵には外形的な設定が用意されていればそれで済んだとも言っていい。
    その後、探偵小説はエラリークィーン、ドルリーレーンから、
    エルキュール・ポアロ、フィリップ・マーロウなどといったスター探偵が登場し、
    そこでは探偵は人格を持ち、それゆえの解決や悩みを抱え、それゆえの魅力を発揮する時代になった。
    もはや探偵小説から推理小説やハードボイルドと呼ばれるように時代は進化してしまったのだ。
    江戸川乱歩がお手本にしたエドガー・アラン・ポーのような探偵小説は
    ジャンルの呼び名としては無くなってしまっている。
    そんな、もはや歴史のかなたにうずもれた原作を舞台化すると決めたのには、
    何かしらこの日本のジュブナイルな探偵小説の起源とも言うべき作品に、
    現代に通じる何らかの接点を見出したからであるはずだと、僕は思った。
    明智小五郎が現代に生きていたらこんな探偵事務所をやっているだろう、
    ということぐらいはやってくれていると思った。
    その期待はまったく裏切られてしまった。
    あるいは、この名前のよく知られた歴史的名探偵小説を、
    その原作の持つ昭和初期のにおいの古めかしさを生かし、黄金仮面
    時空を超えた華麗な娯楽作品にするのだったら、芝居の作り方が違っていたはずだ。
    演出もこんなカチッと新劇風にせず、もっと小劇場のつくりで、
    劇中に松野太紀くんが恐る恐るやっていたようにもっと笑いをまぶしながら、
    昭和ロマンの衣装やセットで現代と異なる異空間を作り出し、
    観客の頭をぐらぐら揺さぶれば、物語の持つ独特なおどろおどろしさが目に新鮮に映ったはずだろう。
    それはそれで楽しくなるはずだ。
    あるいは脚本段階で、何かしら現代との接点を作り出す、
    そういう新しい「黄金仮面」を作り出せたかもしれない。
    昔の作品をただなぞっただけでは面白くはならない。

    舞台は小林少年の視点で進行する。
    見事な少年に徹した佐藤英典くんの小林少年は狂言回しで物語にはほとんど絡まない。

    主人公は明智小五郎のように見える。
    主人公を明智小五郎にしたのなら、
    その主人公がどんな人間で
    どんな風に事件に対応しようとしているのか、
    そこにもう少しエピソードが無いと、人間がわからない。
    物語は進行するが主人公の内面の心理はまったく伝わってこない。
    これでは感情移入の仕様がない。
    ただ小西くんがかっこいいな、と思うだけだ。
    もしそれが狙いだったら、それは成功はしているが、なんと稚拙な舞台作りなのだろうと思ってしまう。

    感動の無い舞台、面白ければそれでよい、にしては、もったいないな、と思う。

    コメントを書く
    コメントをするにはログインして下さい。