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シューティング(修斗)がプロ化する以前を知る男、元キックボクサーソムチャーイ高津インタビュー。総合格闘技をやりたくてもやりきれない時代を生きた男たちの物語があった――!!(聞き手/高崎計三)
──高津さんはNJKF(ニュージャパンキックボクシング連盟)のライト級1位にもなられて、キックボクシングの試合は僕はよく取材させていただいてたんですが、格闘技歴の始まりがスーパータイガー・ジムだということは知らなかったんですよ。
高津 ええ、じつはそうなんです。もう大昔ですけどね(笑)。
──この前、たまたまFacebookで高津さんのお友達がそのことを書かれていて、ビックリして。これは当時のお話をお聞きしなきゃ!ということで(笑)。入門したのは何歳のときだったんですか?
高津 17歳、高校2年生の夏ですね。87年でした。
──入門の理由は? やっぱり佐山さんのファンだったとか?
高津 当時は言えなかったんですけど、タイガーマスクは嫌いだったんですよ(笑)。小林邦昭のファンだったもので。
──ええーっ! 小林邦昭のファンっていう人もたしかにいましたけど、少数派でしたよね。しかもスーパー・タイガージムでは(笑)。
高津 たしかに少数派でしたね。ひねくれ者だったんです(笑)。ジムにはタイガーマスクのファンがけっこうたくさん来てましたけど、僕はあんまり居心地がよくなかったですけど(笑)。
──そうでしょうね(笑)。そもそもタイガーが好きじゃないのに、どうしてスーパー・タイガージムに?
高津 最初はボクシングをやろうと思ってたんです。僕の最初のヒーローは具志堅用高さんだったので。『あしたのジョー』とか『がんばれ元気』とかの漫画から入ったんですけどね。そういうのを読んでたので「特別な人しか始められないんだ」と思っちゃって。スカウトされないと入れないんだろうと思って、中学生の頃にはヨネクラジムまで走って往復したことも何度もありました(笑)。
──でもスカウトされず、と。
高津 で、たまたま87年の6月に第2回プレシューティング大会を見に行きまして、そこで「あ、始めるならいましかない。これ以上遅れたらダメだ」と思ったんです。しかもパンフレットには「会員募集中」って書いてあって「会員って募集してるんだ!」と知って。入会金3万円、月謝1万円と高かったですけどね。
──30年前だから、余計に高いですよね。
高津 はい。それで親にお願いして。親も僕がずっとボクシング、キック、プロレス……要は『ゴング』に載ってるものが全部好きなのをよく知ってたので、「しょうがないから行かせてやる。ただ、入会金と最初の月謝は払ってやるけど、月々の月謝は自分で払えよ」ってことで。それで、通い始めると同時にバイトも始めて。片道1時間かけて通ってましたよ。三軒茶屋のゴリラビル、いまのシルバーウルフジムの場所ですね。なにしろプレシューティング大会には自分より年下の選手も出ていたので、焦ったんですよ。「いまじゃないと間に合わない」と、尻に火がついたような感じで。
──最初は見学から?
高津 見学には何回か行きました。インストラクターに平直行さん、北原光騎さん、中村頼永さんがいた時代で。
──凄い(笑)。
高津 でも平さんと練習できたのは5回ぐらいだけだったんですよ。入ってちょっと経った頃に伊豆の合宿に参加したら、「お前、まだ始めたばっかりなのに合宿まで来て大丈夫なのか?」って言われたんですけど、「いや、スタミナだけは自信あるんで!」って答えたのを覚えてますね。技術は全然でしたけど(笑)。
──スタミナはそんなに自信あったんですか?
高津 ありました。中学の時に野球部にいたんですけど、いま考えるとメチャクチャな部活で、スパルタだったんで鍛えられたんですよね。だから体力とスタミナだけは自信があったんです。実際、合宿では朝のランニングで平さんがガーッと飛ばすんですよ。5人ぐらいしかついていけなかったんですけど、僕は最後まで残ったので、それで認めてもらって。
──へえ~。シューティングで合宿と言えば、テレビカメラが入ったあの有名な合宿がありますが……。
高津 僕が行ったのは第1回の合宿なので、それよりも前ですね。20人ぐらいで3泊4日でした。朝ランニングして、戻ったら体育館みたいなところで練習して。ボクシングジムとか柔道場みたいなのが併設されていたので、いろんなところでやりました。
──練習の内容はどうだったんですか?
高津 筋トレというか、いわゆるゴッチ式トレーニングですね。腕立てとかフットワークとかを、トランプめくってやるヤツ。
──ああ、出たマークと数字で種目と回数が決まるというアレですね。
高津 あとキックミットもやりました。柔道場を借りたときは寝技をやって。体力練習が多かったですね。ダッシュとか長距離走とか。
──陣頭指揮は誰が?
高津 佐山先生です。それにみんな必死についていって。「フットワークやれ」って言われて、30分以上ずーっとやったり。いまの練習とは全く違いましたね。
──根性練習ですね。
高津 面白いのが、その後にキックボクシングに転向して小国ジム(現・OGUNI-GYM)というところに入ったんですけど、そこの合宿に行ったら練習方法が全く一緒なんですよ。要は目白ジムの流れなんですね。佐山先生も目白ジムに行ってたじゃないですか。黒崎健時先生の教えだったんです。
──なるほど! つながってたんですね。OGUNI-GYMの斎藤京二会長も、黒崎健時さんの新格闘術出身ですしね。
高津 合宿では最初のランニングについていけたというので認めてもらえて、平さんにもかわいがってもらいました。中村さんとは家が近かったというのもあったり、あと北原さんはオモチャを扱うように自分のことをかわいがってくれて(笑)。
──北原さんって、練習生にあだ名をつけてたじゃないですか。高津さんも?
高津 いや、僕はとくになくて、「高津」でしたね。くん付けのときもあったかな。たしかに他の人たちはみんなあだ名がありましたけどね。
──佐山さんって、やっぱり怖かったですか?
高津 怖かったですね……いやいや、そんなこと言えないです。言えない言えない(笑)。うーん、いろいろあったけど、いまとなっては全部いい思い出ですねえ……。
──いやいや、勝手にまとめないでください(笑)。テレビで放送された合宿では、「それがお前の一生懸命かぁ!?」って竹刀でバシバシ叩いたりしてたじゃないですか。あんな感じですか?
高津 合宿のときはまだそこまでではなかったですね。その後、試合が増えてきたりするとどんどんそんな感じになっていきましたけど。まあ、佐山さんにもかわいがっていただきました(笑)。
──あの合宿の映像を見て、「あれは佐山さんは怒ってない。本当に怒ったらあんなモンじゃない」って言う人が多いんですが……。
高津 たしかに怒ってはいないですね。カメラの前なので演じてる部分もあったとは思いますけど。本当に怒ったときはあんなモンじゃないですよ。自分が怒られたこともあるし、他の人が怒られてるのも何度も見たし。
──こええ……(汗)。どんなことで怒られたんですか?
高津 うーん……何だったんだろう? まあ僕はクソ生意気な高校生でしたからね(笑)。怒られてもあんまり深刻に考えないで、「ヤベ、今日は機嫌悪いな」ぐらいに受け止めてましたし。
──高校生で佐山さんの大爆発を体験するっていうのもすごいですけど(笑)。
高津 いやあ、僕は正直、北原さんのほうが怖かったですよ(笑)。
──ええっ! そんなにですか!
高津 自分は直接やられてはいないですけど、醸し出す雰囲気とかですね。佐山さんの怒りは演技というか、立場上怒ってる、みたいなものを感じたんですよね。いやまあ、正直みんな怖かったですよ(笑)。
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