プロレス界が騒然となったサバイバル飛田のGAORA TVチャンピオンシップ次期挑戦者決定バトルロイヤル優勝!! 「インディの怪人」が王者・秋山準と対峙するというおどろおどろな展開となったが、プロレスファンなら誰もが一度は耳にしたことのあるサバイバル飛田とは何者なのか? 怪しい世界に一歩踏み込んでみた――。
【関連企画】
・【90年代・灰色の狂気】木村浩一郎「FMWとリングスで俺はこの業界をナメてしまったんですよ」
・仮面シューター・スーパーライダー 渡部優一「東映の許可? 取ってますよ(笑)」
・谷津嘉章、興行という灰色の世界を語る――「プロレスとヤクザ」
・【90年代インディの夢と地獄】レッスル夢ファクトリーとは何だったのか?髙田龍インタビュー
――飛田さんって強烈なキャラクターのわりには、あまりインタビューを受けてないですよね。
飛田 そうですねー。つまんないと思われてるのかもしれないですね。いや、メチャクチャ面白いと思いますよ。
――いきなりハードルを上げますね(笑)。昔『紙のプロレス』という雑誌で取材を受けていた記憶があるんですが。
飛田 ああ、原始猿人ヴァーゴンとやったときですね。電話の取材で……。
――あ、電話取材だったんですか。
飛田 わざわざ取材場所を設けるのが面倒くさかったんじゃないですか。
――なるほど(笑)。
飛田 昔『Gスピリッツ』の携帯サイトのコラムには、デビューした当時からのことを書いてたんですけどね。あまりにも他のレスラーの悪口しか書かないから編集長からダメ出しを食らって。
――飛田さんはなぜプロレスラーになったのかっていう背景がちょっと見えづらいというか。
飛田 昔はやっぱね、初代タイガーマスクですよ、とっかかりは。あとはジャイアント馬場さんのフリークス性に惹かれたところもありますね。
――怪物としてのプロレスですね。
飛田 アントニオ猪木に憧れて……というのは、もうちょっと上の世代で。猪木の全盛期が終わってどうなるのかっていうときにタイガーマスクが現れて、そのタイガーマスクもいつも勝ってばかりだからライバルの小林邦昭に感情移入しちゃって。あの頃は水曜スペシャルで新日本の特番がやってたんですよ。俺のイメージでは「金曜夜8時」じゃなくて「水曜夜7時半」で。
――水曜スペシャルは川口浩の探検隊シリーズもやってましたよね。
飛田 川口浩は月1の放送だったんですよ。川口浩探検隊が内在するものがプロレスだったのかもしれないですね。
――そう捉えると、埼玉プロレスの怪人対決は納得できますね。
飛田 カルガリーハリケーンズが新日本から抜けたあとは全然プロレスを見なくなったんですよ。高校受験だからテレビは見るなっていうこともあって。まあ、プロレスはもう見なくてもいいかっていう感じもあったんだけど、Uが新日本に帰ってきたからまだ見始めて。
――UWFは気になったんですね。
飛田 それもあって佐山聡の『ケーフェイ』では衝撃的でしたよ、ミスター高橋の本より。しれっと出してるけど、何気にこれはとんでもない本だなって。
――高橋本の場合は、カミングアウトの土壌ができてましたからね。
飛田 あの本だけじゃなくてミスター高橋が出してる本はわりと暴露系じゃないですか。80年代半ばに、ロープに返ってくる返ってこないとか『ケーフェイ』は書いてるわけですからね。
――どういう経緯でプロレスラーになったんですか?
飛田 大仁田さんの存在がデカイですよね。FMWを旗揚げした当時、ほとんどのプロレスファンは大仁田さんのことはバカにしてたと思うんですよ。
――蔑んだ視線は確実にありましたねぇ。
飛田 大仁田さんのFMWから間口が広がったところはありましたよね。それまではいまみたいに誰でもレスラーになれなかったし、FMWの入門テストの基準が身長175センチ以上え。これは俺でもプロレスラーになれるじゃんって。
――飛田さんはプロレスラーになりたかったんですか?
飛田 帝京大学で学生プロレスをやってたんですよ。SWSガクセイプロレス。とはいっても、全然練習してなかったですけどね。体育倉庫にマットを引いて、そこで受け身を取る程度で。
――リングはなかったんですか?
飛田 リングは試合のときだけですね。借りるのに20万円ぐらいかかるから、1人頭6000円ぐらいで割って借りるんですよ。練習もやってないから、ちゃんとした学生プロレスの動きはできなかったし。いま思い返すと、それなのになんでプロの道に入っちゃったんだろ?って。
――自分でも不思議で。
飛田 それは当時のインディがあまりにもレベルが低かったから「これは俺でも上に行けるんじゃねぇか」って。W☆INGの前座の試合とか、徳田光輝vs松永光弘を見ていたら「これは俺でもやれるよ!」って(笑)。
――自信がついちゃいましたか(笑)。
飛田 そこはターニングポイントですね。その頃リング設営のアルバイトをやってて。アイアンマン西田というレフェリーと知り合いになって、なんとかW☆INGに潜り込めないかって話をしたんですよ。これだけレベルが低いんだからも俺も入れるじゃねえかと。ビクター・キニョネスとかにも相談して。
――レベルが低いを繰り返しますね(笑)。
飛田 俺よりデカイ奴も誰一人いないし。非道さんぐらいですよ。みんなバギーパンツ履いてるでしょ、あの頃は。一緒にリングを片してると、誰がレスラーだかわかんないんですよね。
飛田 結局ダメでしたね。そこは固いです。一番底辺だからこそじゃないですか。レベルが低いからこそ、逆にスゲープライドを持ってるんじゃないですか。
――飛田さん、面白いですね。
飛田 いや、本当にレベルが低かったんですよ。ジェッド・ジャガーvsモンゴルマンという輝くべき試合があったんですけど、『週プロ』の読者投稿で「素人以下だ」と書かれたりしてて。
――そのまま掲載されるのも凄い話ですよ(笑)。
飛田 W☆INGはダメだけど、谷津(嘉章)さんの所(社会人プロレスSPWF)が募集してたからそこに入って。あれはリングで遊ばせてやる代わりに、設営を手伝わせてたんですけどね。
――SPWFって3部形式でしたけど、具体的にどういうシステムだったんですか?
飛田 1部がプロレス、2部がセミプロ……。
――セミプロといいますと?
飛田 学生プロレスや社会人のプロレスですね。3部はアマレスですね。
――アマレス?
飛田 シロウトがやると危ないってことでプロレスはやらせてくれないんですよ。2部のセミプロも頭から落とす技とかはダメだったり、いろいろと制約が多くて。俺はちゃんとした学生プロレスの動きができてなかったから、3部でアマレスやってて。そのときの同期が怨霊ですね。
――3部のレスリングというのは、競技として見せるということなんですか?
飛田 そうですね。でも、俺はブレイクのあとにパンチ攻撃をしたり、メリケンサックの凶器攻撃で反則負けとかになって。
――えっ、ちょっと意味がわからないんですけど。純粋な競技として取り組まないといけないのに、反則をしたってことですか?
飛田 そう。コーチ役の仲野信市がメチャクチャ怒ってましたね。「アンちゃん、いい度胸してるなぁ!?」って凄まれて。
――ハハハハハハ! プロレスをやりたいなら2部でやればいいんじゃないんですか?
飛田 2部でやるには昇級試験で合格しなきゃいけないんですよ。受け身は辛うじてできたんですけど、それ以外がまるでダメで。ただ、こっちは設営を手伝ってるし、金を払ってリングに上がってるんですよ。2〜3ヵ月で1万円くらいかな。「こっちはお客さんだろ!」っていう頭があって。だからずっとふざけてたんですよね。谷津さんは俺のことを気に入ったみたいですけど、仲野信市は凄く怒ってましたね。「アイツはナメてる!(怒)」って。
――おっかなくて有名な仲野さんを前によくできますよ(笑)。
飛田 興行は群馬近辺が多かったんですけど、東京から交通費を払って行ってましたからね。ギャラは当然もらえないですし、メシも出ないです。だったらこっちも適当にやっていいだろって。そんなときに高野俊二(高野拳磁)が屋台村で興行をやるからってことで。仲の良かった森谷(俊之)さんから「良かった来ない?」って誘われて。
――ニセ大仁田こと森谷さん。
飛田 前座で1試合やらないかって話で。まあアマレスっぽい試合なんですけどね。で、行ったらメインが高野俊二vs宇宙パワーで。宇宙パワーの中身が高杉正彦だったんですけど、高野俊二が「ジジイはもう呼びたくねえんだ」って言い出して。俺は脇で「何か面白いことになってるなあ……」と見てたんだけど、高野俊二が「おまえ、受け身を取ってみろ!」って言い出したんですよ。10回ぐらい受け身を取ったら「いけるな」って。
――デビュー戦は高野拳磁戦だったんですか、そんな経緯で(笑)。
飛田 そこから高野俊二とか屋台村以外でも試合をやるようになって。俺が日本人の中で高野俊二のダブルニーを一番食らってるっていう自負はありますよ。ずっと高野俊二と試合やってましたからね。
・火炎放射という名の四天王プロレス
・アップダウンにとにかくうるさい徳田光輝
・将軍KY若松はガチでマジでヤバイ
・インディ最大の謎、森谷俊之という男
・全日本プロレスに出た理由……13000字インタビューはまだまだ続く!!
コメント
コメントを書く早く、次回のインタビューが読みたいです。私はこういうインディー界隈の話が好きなので、よろしくお願いします。
最高
細井ジャックダニエルさんのインタビューが読みたいです
ターザン後藤の話とか面白いですよ