――谷津さん! 今日はSWS離脱以降の話を聞きたいんですけど、その前にレスリング協会のパワハラ騒動について聞かせてください。
谷津 あれかあ。レスリング協会のことはあんまりわかんねぇな。まあ、内部の派閥争いもあるんじゃないかな。2年後の東京オリンピックも絡んでくるし。
――この騒動の根っこには、レスリング界の派閥争いがあるという報道はされてますね。
谷津 まぁいろいろとあると思うんだけど。どうなってるのかさっぱりわからないのよ、俺も。迂闊に言って間違えると大変だから(笑)。
――谷津さんの現役の頃から派閥争いはあったんですか?
谷津 あったあった。それはね、相撲や柔道だってあったじゃない。柔道なんて内部告発されて、上村(春樹)さんが会長を退任したでしょ。こういった派閥の争いは特に格闘技が多いな。ロシアでもアメリカでもみんなそう。なんでそうなるかといえば、格闘技は個人種目だから。チームで戦わないでしょ。
――なるほど。チーム戦だと出場メンバーを派閥だけでまとめるのは、なかなか難しいですよね。
谷津 そうそう。個人種目で起きやすいんだよね。
――パワハラを告発された栄和人さんのことはご存知ですよね。
谷津 あったりまえだよ、俺の後輩だよ。
――どんな方ですか?
谷津 ひとことで言えば熱血漢。彼もこうなっちゃって、かわいそうといえば、かわいそうかな。でも、いまはコンプライアンスが厳しいでしょ。耐えることなんてしないで、どんどんリークされちゃうわけだから。逆にこうなることで業界が変わっていくところもあるんだけどね。少しずつ少しずつ、民主的にね。昔なんて殴られるのはあたりまえだったんだから。監督も手で殴ると痛いから、木の棒でおもいきり叩かれてね。
谷津 殴られて顔から血が出たって休めないから。「やる気がないんだったら帰れ!!」って言われて。根性論だね。いまみたいに栄養学なんてものもないし、根性だけ。
――谷津さんの現役の頃って、レスリングはここまで脚光を浴びてませんでしたよね。
谷津 うん。これは話は変わるけども、長州や俺らが新日本を離れてジャパンプロレスを作ったでしょ。できたばっかでインパクトがなかったんだよね。そんなときに、レスリングもオリンピックのときしか注目されてないから「話題作りとしてレスリングの試合に出てくれ」って話があったんだよ。
――それで7年ぶりにレスリング復帰して、全日本選手権に出ることになった。凄くリスクがありましたよね?
谷津 当時強化委員長だった福田(富昭)さんは、俺の先輩だから出なきゃいけないだよ。「先輩、負けたらどうするんですか?」って聞いたら「知らねえよ!」って(笑)。
――ハハハハハハハ!
谷津 出場する選手をリサーチしてみて勝てる自信はあったけど、真剣勝負だからどうなるかわかんないでしょ。勝ったからいいもののさ、もし負けた場合はしばらくアメリカで覆面レスラーになるしかなかったよな(笑)。
谷津 だから俺も一歩間違えたら福田派だから(笑)。SWSのとき田中八郎からロシアのレスリングの選手を連れてこいと命令されたときは福田さんルート。俺は八郎から5000万円を預かって、ロシアまで行ってナショナルチームの監督に前金として2000万円渡してね。ロシアにもなんだかんだ1億円くらい使ってますよ。
――でも、そんなに大金を使ったのにSWSはロシア勢を使わなかったんですよね?(笑)。
――話を戻しますが、福田さんはレスリングを世の中に広めるために谷津さんを復帰させたりと、いろいろと仕掛けていたってことですね。
谷津 福田さんはそういう仕掛けは凄くうまいんだよね。先見の明がある。日本は世界より女子が一歩も二歩も進んでたでしょ。そこに力を入れてね。これからレスリング人口が増えていったら厳しい戦いになると思うけど。
――東京五輪が2年後という重要な時期に騒動が起きてしまったんですね。
谷津 やっぱり福田さん体制で東京オリンピックまでは乗り越えないとね。ここからさ、新政権に移すのは現実的に無理だと思う。本当はゴタゴタしてる場合じゃない時期なんだよ。だから告発した側はこのタイミングだったんだろうけどね。一番話題になるでしょ、平昌オリンピックの時期なんだから。ただ、どんなことにつけても、福田会長に勝てる人間はいない。頭がいいし、先見の明があるから。
◎「猪木さんが監禁されたときに引き取りに行ったのは◯◯さん」
谷津 あの頃に活躍していたサスケやハヤブサは学生プロレス出身だったでしょ。いま新日本プロレスでブッキングやってる邪道・外道もそう。学生プロレスがあるんだから社会人プロレスがあってもいいかなって。
――いまは全国各地で社会人レスラーが活動してますね。
谷津 プロレスラーってほとんどがプロレスファンでしょ。高田延彦だってそうだし、あのアントニオ猪木だってプロレスファンだったんですよ。俺みたいにビジネスとしてスカウトされた連中もいたけど、大部分がプロレスファン。それでいて学生プロレスはダメだっていう流れがあった。いまは棚橋弘至とかが学生プロレスをやってたと言えるようになったけど、昔は言えなかったんだよ。
――あの当時のプロレス界には学生プロレス出身はタブーなところがありました。
谷津 なんで毛嫌いしていたかというと、プロレスという世界で起きていることを誰にも他言しちゃいけないルール、つまりケーフェイがあるんだよ。学生プロレス出身だと、昔の仲間に変なことを言うんじゃないかと懸念があったわけだよな。
――あー、なるほど。
谷津 俺はそんなものはクソくらえだと思ってて。プロレスを見るか、やるかのどっちかしかないんですよ。体力に自信があるヤツはやる、体力に自信のないヤツは見る。それだけの話。だったら社会人プロレスを作ってしまえと。
――SWSは3派に分裂しましたけど、どこかに合流する考えはなかったんですか?
谷津 全然ないよ。そもそもの話をいえば、SWSは部屋別制度なんか作んなきゃよかったんだよな。道場マッチぐらいならまだよかったし、イデオロギーの戦いは対抗戦として面白かったかもしれないけど。でも、エンターテイメントじゃなくてガチで揉め始めちゃったから。SWSのときはけっこうな金額の勝利者賞が出てたから、マッチメイクでいろいろと不満が出るんですよ。
――プロレスの試合なのに勝者に賞金が出る。それは揉めますね(笑)。
谷津 田中八郎はね、プロレスの仕組みがどういうものかわかってなかったから。それだと負けた選手から不満が出るでしょ。だから一度賞金を選手会の方で集めて、上下関係ごとに分けるという取り決めになったんですよ。
――田中八郎に黙って、いったん賞金を集めてたんですね(笑)。田中社長にプロレスの実態を教えなかったのは、勝利者賞を出さなくなる恐れもあったからなんですねぇ。
谷津 それにしても分け前はレボリューションの方が多かったんだよね。他の部屋はみんな頭にくるわけ。
――マッチメイカーはレボリューションのカブキさんでしたし、強い不信感が……。
谷津 そういうこと。神戸でカブキさんは北尾に追っかけ回されたこともあるよね。「なんで俺がテンタに負けなきゃいけないんだ!?」って。
ここから話は急展開! 「興行とヤクザ」をテーマに、どうやってプロレスの地方興行は成立していたのか? なぜズブズブの関係から脱却できたのか……現代プロレスの好調ぶりまでを解きほぐします!
コメント
コメントを書く香ばしくて濃い記事ですねえ。
読んでいるだけでヒリヒリします(笑)