格闘技では修斗初代ウェルター級王者、プロレスでは「仮面シューター・スーパーライダー」、高校のレスリング部では三沢光晴と同期の桜……どこを切っても濃厚な格闘技人生を送ってきた渡部優一氏のロングインタビュー! 18000字で佐山サトル、三沢光晴、高野拳磁を語りつくします!
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――渡部さんといえば、修斗初代ウェルター級王者にして、仮面シューター・スーパーライダーとしてプロレスの活動もされてます。90年代の修斗方面ってプロレスを徹底的に嫌っていたので、凄く不思議な存在だなあと思っていたんです(笑)。
渡部 あー、なるほど(笑)。そこの経緯もすべてお話しますよ。
――よろしくお願いします! まず伺いたいのは、仮面シューター・スーパーライダーは、仮面ライダーの著作権を持つ東映から許可をどうやって取ったのか? ということなんですけど(笑)。
――ハハハハハハハハハハ!
渡部 ボクは仮面ライダーは好きだったんですけど、使ったら絶対にヤバイとはわかってたんですよ。ライダーってバッタじゃないですか。トノサマバッタって英語でなんて言うのか調べたら「キンググラスホッパー」。そこからいろいろと言葉をいじってるうちにホッパーキングを思いついて。あとになって東映の人から聞いたんですけど、仮面ライダーの原作は「仮面ライダー ホッパーキング」だったらしいですけど。
――東映からはどの時点でクレームがきたんですか?
渡部 ホッパーキングのときは来なかったんですよ。あるプロレスショップが「マスクを売る興行をやりたい」と。「ホッパーさんのマスクは仮面ライダーみたいでカッコイイからよく売れる。名前をスーパーライダーにして売りましょう」という話をされたんです。でも、それはさすがにマズいと思ったんですよね。
――まあ、完全にアウトですね(笑)。
渡部 プロレスショップが言うには「仮面ライダーは仮面ライダー、スーパーライダーはスーパーライダー、問題ないでしょ!」と。
――いやいや、問題オオアリですよ!(笑)。
渡部 実際にスーパーライダーでやってみたら、東映さんから抗議の電話があって(笑)。
――ハハハハハハハハハハ! そりゃそうですよ!
渡部 プロレスショップの社長と東映さんに謝りに行きました。もう凄く怒られると思ったんですよ。そうしたら「そういうことをやるのも、仮面ライダーが好きでやってることですから今回は不問にしましょう」と。
――東映、ビッグハート!
渡部 「ライダーという名前を使う以上は正式に許可がないといけない。どうするんですか、今後も続けるんですか?」と。ボクが「できるなら使いたいです」と答えたら「わかりました。じゃあ社内で検討します!」と。
――……え? ええええ!!
渡部 しばらくしたら東映さんから電話があって「いいお返事ができそうです。近いうちに会社に来てください」と。
――うわあ! それ、何かの罠と思っちゃいますよ!(笑)。
渡部 その話を聞いた佐山(サトル)先生が「俺も一緒に行ってやる!」と。
――仮面ライダーの話し合いにタイガーマスクが参戦ですか!!
渡部 佐山先生が訪問したら東映さんのほうが恐縮しちゃって(笑)。
――「タイガーマスクがやってきたぞ!」(笑)。
渡部 佐山先生が「このたびはウチの弟子がもうしわけありませんでした!」と頭を下げてくださって。東映の担当者も「あの佐山さんのお弟子さんですし、ちゃんとした方なので仮面ライダーを使うのは問題ないという話になりました」と。東映さんからお金は何も請求されていないですよね。
――東映、すげええええ! そこから「仮面シューター・スーパーライダー」を公式に名乗れることになったんですね。
渡部 怪我の功名というか、勝手にやったことで怒りを買って。謝りに行ったら寛大な態度で接してくれて。東映はヤクザ映画を作ってたから怖いのかなって思ってたんですけど(笑)。
渡部 先生も何かあるとすぐに動いてくれるんですよ。格闘家としては佐山先生が師匠なんですけど、スーパーライダーをあそこまでプロデューしてくれたのは高野拳磁さんなんですよ。
――ええええええ!? そういえばスーパーライダーはPWCに出てましたけど……。最近の記事に高野兄弟の話題がよく出てるんです(笑)。
渡部 ああ、そうなんですか。ボクが拳磁さんと仲良くしていた頃、あの兄弟のあいだに付き合いはなかったみたいですね。ボクはジョージ(高野)さんとも繋がりはあったんですけど。
――ジョージさんとも! 意外な交友関係ですね(笑)。
渡部 FSRでしったけ? ジョージさんが北海道でやっていたプロレス団体。そこにスーパーライダーとして呼ばれて行きましたね。そのときの試合はコレだったんですよ(シュートサインをしながら)。
――ファッ!?
渡部 ボクはFSRの若手との試合だったんです。試合前にジョージさんがやってきて「今日はコレでお願いします」って。
――試合前に!
渡部 「まあ適当にあしらってもらってかまわないんで」って。
――渡部さんは受けたんですか?
渡部 はい(あっさりと)。15秒くらいで終わっちゃいましたけど。ローキックをやって倒れたところで首を極めたら……ちゃんと極まってなかったんですけど、ギブアップして。
――試合前にそんなオファーをされて、平気で受けちゃう渡部さんも凄いですね……。
渡部 あの頃は格闘技の試合はやってなかったですけど、ちゃんと練習はしてたから。何度もジョージさんに確認しましたよ。「ホントにいいんですか?」って。ジョージさんは「いいよ、いいよ」と。でも、あっという間に終わらせたら、試合後に「これはちょっと早すぎるなあ……もう少し持たせてくれても」って言われて(笑)。
――ハハハハハハハハハハ!
渡部 いくら相手が若手であっても、コレの試合で持たせるってことは難しいですからね。
――あの仮面を被ってそんな試合をやるのも凄いですけど(笑)。
渡部 やってるときは意識してないですけど。あとから考えると視界は悪くなるし、呼吸もキツイですよね。変身すると弱くなるのはどうなの?って(笑)。何があるかわからないから負けたら大変なことになっちゃうし、こっちのほうがプレッシャーがありますよ。
――のちに中井祐樹、宇野薫、五味隆典、川尻達也がその腰にベルトを巻く修斗ウェルター級の初代王者ですからね(笑)。
渡部 その若手は、あんまりにも早く終わったことでリング上で泣いてたんですよ。だからボクはマイクで「ライオンはウサギを捕まえるにも全力を尽くす。キミに全力でぶつかっていったのは敬意の表れだ。これからも頑張ってくれ!」と言ったら、若手は泣きながら「ありがとうございましたっ!」って。
――そういう試合でもギャラは同じなんですよね。
渡部 変わらないですね。
――それで受けて立つって(笑)。
渡部 急に言われても、負けることはそんなにないだろう、と。自分が持っている力を全部出せれば、勝つというより負けることはないだろうって。あのときコレだったのはボクだけでしたけど、まあそんなにあることではないですよ。
――試合途中で不穏になることもあったんですか?
渡部 ありましたねぇ。なんだっけ、外国人との試合。メキシコ人だったかな。なんかナメたポーズしてきたんで、ボクも若かったんで首投げでぶん投げて蹴っ飛ばしてやったら大人しくなりましたけど。
――はあ(笑)。
渡部 メキシコでなんか格闘技をやってみたいで。試合後に周りがボクのことを説明してあげたそうですけど。
――「アイツは総合格闘技のチャンピオンだぞ!」と(笑)。
渡部 被ってるマスクがマスクだから、ナメていたのかもしれませんね
――あー、そうかもしれないですね(笑)。高野拳磁さんの話はのちほどたっぷりとうかがうとして、プロレスの活動をするくらいですから、渡部さんは子供の頃からプロレスファンだったんですか?
渡部 猪木さんのファンでした。猪木さんがジョニー・パワーズに勝ってNWFのチャンピオンになって、そのあと異種格闘技戦を始めますよね。ボクが小・中学生の頃でしたけど。
――高校時代にレスリング部に入られたのもその影響なんですか?
渡部 いや、レスリング部に入ったのは、地元・大田出身の高田裕司さんの活躍があったからですね。高田さんがロス五輪で金メダルを獲った中継を見てたんですけど、メチャクチャ強かったんですよ。
――高田さんに憧れれレスリングを始めたんですね。
渡部 ボクのオヤジは柔道をやってたこともあって、真似事で柔道をやってたんですけど。身体が小さいのでどうも柔道は好きになれなかったんですよね。で、高田さんの活躍を見て面白そうだからレスリングをやってみたくなったんです。そうしたら地元の足工大附属高校のレスリング部がちょうどインターハイで優勝して。オヤジも地元のレスリング関係者を知っていたこともあって、それで足工大付属でレスリングをやることになったんです。
――そのレスリング部の同期が三沢(光晴)さんなんですよね。
渡部 はい。ボクがキャプテンで、彼が副キャプテンで。1年生のときからずっと寮生活を送ってましたね。三沢は栃木出身じゃないんですけど、ボクらが3年生のときにちょうど栃木で国体が開かれることになってたんです。そのために全国から有望な選手を集めてたんですよね。
――それで三沢さんも越境入学してきたんですね。
渡部 三沢は埼玉の越谷でしょ。普通だったらわざわざ栃木に来ない。三沢は中学を卒業したらプロレスラーになりたかったんだけど、学校の先生が「とりあえず高校は行きなさい」と。
――「とりあえず高校は行け」は“プロレスあるある”ですね(笑)。
渡部 学校の先生もレスリングの強い学校を探してあげて、当時日本一だった足工大付属に三沢も行くことになったみたいで。彼の家は母子家庭だったので「母親を楽させてあげたい」っていう話をよくしてましたね。
――渡部さんは地元なのに寮生活だったんですか?
渡部 そうです。朝6時から練習なので、なかなか通いは大変ですよね。
――朝6時! 日本一だけあって練習はハードだったんですよね。
渡部 まあキ◯◯イですよね(笑)。日本一強い学校と聞いていたから、ある程度覚悟はできてましたけど、まあ凄かったんですねぇ。
――どんなスケジュールだったんですか?
渡部 朝6時から2時間練習、学校に行って昼にご飯を食べて休んだらウエイトやランニング。午後は4時から8時まで練習。スパーリングは20分1ラウンドなんですけど、1本で終わると怒られるんですよ。普通で2連チャン、3連チャン。ボクが3年のときは5連チャンでやってましたね(笑)。
――凄いスタミナですね。
渡部 当時のレスリングは3分3ラウンド。そういう練習をしていたから、後半に相手がバテてきてから巻き返す戦い方でしたね。
――休日はないんですか?
渡部 日曜日は朝練が休みですけど、9時から12時まで練習して。元旦と1月2日は休みかな。大晦日に朝練やったあと、地元の神社に行って、250段くらいある階段を5往復やって解散するんですけど。これだけ練習すれば誰だって強くなるんじゃないかって。厳しい練習にガマンできれば、の話ですけど。結局、レスリング部は3分の1しか残らなかったですからね。
――三沢さんも残ったんですね。
渡部 彼は必死こいてやるという感じじゃなくて、黙々とこなしてましたね。もともと体力はありましたから。
――三沢さんは当時からプロレスラー志望を口にしてたんですか?
渡部 はい。1年生のときに全日本プロレス道場に入門をお願いに行ってましたからね。
――ジャンボ鶴田さんに「卒業してから来なさい」って追い返されたんですよね。
渡部 そうです(笑)。あのときの三沢は朝練が終わってから東京に行ったのかな。もしくは朝練に出ないで行ったのか。どっちかなんですけど、監督やコーチたちが「三沢はどこに行ったんだ!?」って大騒ぎになったんですよ。学校にも来てなかったから。
――渡部さんは三沢さんが全日本の道場に行ったことを知ってたんですよね?
渡部 三沢から聞いていたけど「言っちゃいけない」と思ってたから「朝起きたら三沢がいなくなってた」ということにしてたのかな。夜になって三沢が戻ってきて、監督やコーチとどういう話をしたのかはわからないですけど。三沢が寮に戻ってきて「どうだった?」って聞いたら「鶴田さんに会ってきてさ……卒業したらいう約束してきたから大丈夫だ」と言ってましたね。実際三沢は高校卒業後に全日本に入門するんですけど。やっぱり三沢は体力もあったし、ボクなんかよりも全然強かったですからね。
――でも、キャプテンは渡部さんなんですよね?
渡部 キャプテンは監督が選ぶんです。
――渡部さんのほうが統率力があったんですか?
渡部 いや、統率力も三沢のほうがありましたね(笑)。走るのはボクのほうが早かったんですよ。朝練で走るときはキャプテンのペースに合わせて走るでしょ。そうすると早い人間が先頭に立ったほうが後ろの人間も必死こいて走るので、伝統的に走るのが早い人間がキャプテンになって。
――そういう理由なんですか。
渡部 統率力や人格は三沢のほうがあったと思います(笑)。ボクも三沢に何度か注意されましたからね。「後輩をイジメるな!」とか。ボクらも下級生のときには凄くイジメられていたんですよ。だからイジメたという認識はないんですけど……伝統的なものというか。
――いわゆる“かわいがり”や“しごき”ってやつですね。
渡部 そうしたら三沢が「自分たちがやられたからやるという考え方だと、いつまで経っても終わらないんだぞ!」と。
――三沢さんって親分肌ですよね。
渡部 そうです、そうです。絶対にイメジないですし、逆に止めるくらいです。俺らが下級生に何かやってると「やめろよ!」と。
――でも、三沢さんはレスリング部の1年後輩だった川田(利明)さんには厳しい印象がありましたけど……(笑)。
渡部 ああ、川田もプロレスラーになりたかったでしょ? 三沢からすれば「俺は筋金入りのプロレスファンだけど、おまえは違う!!」という感じでしたね(笑)。
――ハハハハハハハハハハ! その感情が四天王プロレスにまで繋がってるんですかね(笑)。
渡部 三沢は三沢でプライドはあったんじゃないですか。「俺のプロレスラーになりたいと、おまえのプロレスラーは違う!」みたいな印象は受けました(笑)。でも、川田は三沢のことは大好きだったし、よく2人でプロレスごっこみたいなことをやってましたねぇ……(なつかしそうに)。
――貴重な光景を見られたんですね。
渡部 考えてみれば、よく2人ともトップレスラーになりましたよね。
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「三沢光晴の最後」……を語る後編はコチラ!
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