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あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩
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あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩

2018-07-04 17:47
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    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回の特別編! 小橋建太プロデュース「Fortune Dream5」でデビュー30周年&引退記念試合を終えた北原光騎さんと語らってもらいました! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!







    小佐野
     初めて会ったのはジャパンプロレスに入ってきたときだよね。

    北原 ジャパンの合宿所かな。

    小佐野 87年5月。池尻にあったジャパンの道場に寝泊まりしてて。

    北原 入ったのはジャパンなんですけど、長州さんたちは新日本に戻っていたし、全日本の天龍さんや(阿修羅・)原さんの付き人の仕事もやることになったから「全日本の合宿所に来い」と言われて。

    小佐野
     立場は正規軍の若手なのに、そのまま付き人としてレボリューションと一緒に行動するんだよね。

    北原
     レボリューションは巡業のときジャパンプロレスのバスを使ってたんですよ。(百田)光雄さんや永源(遙)さんとか、全日本の“はぐれ親父”たちがコッチのバスに乗るようになって。あ、永源さんはジャパンだったからそのまま乗ってたのか。

    小佐野
     ジャパンの残党や、クセのあるレスラーが正規軍から抜け出して、天龍さんのバスに乗ってたんだよね(笑)。あのとき何歳だっけ?

    北原 22歳とか23歳とか。

    小佐野
     「今度の新弟子は佐山(聡)さんのスーパー・タイガージムのインストラクターをやっていた」と聞いて、これはまた毛色の変わった人が入ってきたなあと思ってましたよ。当時の新弟子ってみんな若かったでしょ。子供じゃなくて大人が入ってきたという印象。

    北原
     いまは25〜26歳で入ってくる奴は普通にいるんですけどね。

    小佐野
     大学を卒業してから入ってくる人なんかも多いから。中学を卒業したり、高校を中退してくる新弟子と違って“プロレス少年”ぽくない感じ。いままでの新弟子とは違った話やすさがあったよ。

    北原
     ああ、そうだったんですか。

    小佐野
     先輩レスラーよりもマスコミとしゃべっていたほうが楽だったように見えたけど?

    北原
     どうですかね。たしかに先輩としゃべるのはイヤでしたけどね。……なんというか、「来るならこいよ?いつでもやってやるぞ?」って感じで(苦笑)。

    小佐野
     ハハハハハハ。ギラギラしてたよねぇ。

    北原
     いや、先輩の命令はちゃんと聞いてましたよ。でも、態度は凄くデカかったと思うし、新弟子なのに頭は坊主にもしてなかったし。

    小佐野
     挨拶や礼儀はスーパータイガージムにいたからちゃんとしてるけど、先輩に対して「……コイツには勝てるんじゃないの?」っていう目で見てたよね?(笑)。

    北原
     いつも、それ。俺にはそれしかなかったですよ。そんな俺を見て仲野信市さんが「コイツには絶対負けないぞ」と思ってたらしいです(笑)。

    小佐野
     あの頃の全日本の合宿所は小橋建太や菊地毅もいたし、面白いメンツが揃ってたよね。

    北原
     菊地は一つ下で、小橋が三つ下。

    小佐野
     菊地は一応先輩になるんだよね。ちょっと前に入門してて。

    北原
     小橋の一ヵ月後あとくらいに玉さん(田上明)が入ってきて。

    小佐野
     高木功も入ってるからけっこう豊作の年だよ。お相撲さん2人にアマレスのチャンピオン、シューティングの選手。何もなかった小橋はそれがバネになったみたいだけど。

    北原
     当時はまだ若いから、「……この子たち、できるのかな?」って思ってましたよ。いや、若いね、考えが(笑)。

    小佐野
     シューティングをやってきてたんだから、普通はそう思うよね。

    北原
     とくに先輩でも偉そうに言われると「おまえ、試合でやってやるぞ……」っていうプライドは持ってましたよ。そういうものは絶対に出しちゃいけないんだけどね。当時栗栖(正伸)さんから「リングの上で絶対に関節技の練習をやるなよ。逆立ち腕立て伏せなんてもってのほかだ」と言われて。その意味がわからなくて、あるとき逆立ち腕立てだけやってたら、ある先輩に「そんなことをやるんだったら受け身を取れ」と言われて。「ああ、栗栖さんが言っていたのはこういうことか」と。関節技も全日本プロレスには必要ないってことで。

    小佐野
     不思議なのは、全日本がどこで関節の練習をやらなくなったのかはわからないけど、日本プロレス時代はやってたんだよね。もともと沖識名さんができる人だったし、途中でゴッチさんがいなくなってもその技術は残ってたんだよ。だからアキレス腱固めもあったんですよ、日本プロレス時代。それがいつのまにか……小橋なんかとはそういう練習をやってたでしょ?

    北原
     やってましたよ。小橋のほうから「教えて」と。

    小佐野
     彼らは覚えたいわけだもんね。

    北原 菊地はアマレス出身だから抑え込むのが得意だし。覚えるのは早かったですよ。でも、彼にはそんなに教えてないのかな、小橋のほうが熱心だったかな。さっき小佐野さんが「小橋には何もなかった」というところの貪欲さというか。俺から見ると「コイツ、いい身体してるな」って思ってたんだけど。入門したときから身体はデカかったし。

    小佐野
     持って生まれたいい身体だよねぇ。小橋に関節技を教え、先輩の川田利明にはキックをコーチして。じつは新しい技術を全日本に取り入れてるけど、先輩に教えづらいよね、普通。

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    作/アカツキ


    北原
     前に川田さんと対談したときに聞いたんですよ。「あのときよく俺に聞こうとしましたね?」って。そうしたら「オマエはできるんだから、ちゃんと聞くのはあたりまえだろ」って。

    小佐野
     巡業中も一緒に練習してたもんね。シューティングで後輩だったスーパーライダーの渡部(優一)さんが、高校のレスリング部で川田の先輩だったというネジれた関係だったけど。


    修斗初代王者/仮面シューター・スーパーライダー 渡部優一「東映の許可? 取ってますよ(笑)」


    北原 俺としてはラッキーでしたよ(笑)。水戸黄門の印籠みたいなもんで。でも、それがなくても川田さんは後輩に変なことしないんですよ。あんまり明るい人じゃないけど、意地悪をやったりするような人ではない。そういうのはまた別にいるから(笑)。

    小佐野
     フフフフフ。 

    北原
     そこらへんはキツかったですよね。でも、「やるならいつでもやってやるぞ」って思ってましたから。

    小佐野
     「試合でおもいきり蹴ればいいんだ」ってあの頃言ってたもんね(笑)。

    北原 俺、試合で毎回ムカついてましたよ。どうしても先輩に気を遣うところがあるじゃないですか。

    小佐野
     でも、やっちゃうんでしょ?

    北原
     あるときスピンキックをやったらマイティ井上さんのアゴが外れちゃって。

    小佐野
     うわあ……。

    北原
     メチャクチャ怒られましたよ。やっぱりケガをさせちゃいけないっていう大前提があるから。

    小佐野
     しかも井上さんも気が強いからね。 井上さんは山本小鉄さんと揉めたことがあるから。光雄さんはそんな感じじゃないでしょ?

    北原
     光雄さんからは何か言われたことはない。「オマエの好きなことをやれ!」って。でも、光雄さんは試合内容には厳しかったですよ。第1試合の菊池が試合後にトイレで光雄さんに怒られてたんですけど、その説教がメインまで終わらないんですよ。先輩たちが「菊地はどこに行った?」って(笑)。

    小佐野
     ターザン後藤さんも光雄さんのお説教タイムを食らってたなあ。付き人の仕事ができないぐらい延々と。

    北原
     俺は怒られなかったなあ。バスの席が隣だったけど。

    小佐野
     若手は大技を簡単に使っちゃダメな時代だけど、光雄さんに大技を試して、OKだったら他の試合でも使えるって感じだったけど。それでもあの頃キャプチュードとか普通に使ったでしょ。

    北原
     俺、1試合目からドロップキックも普通にやってたし、佐山さんのサマーソルトを使ってましたからね。長州さんたちが抜けたあとで全日本も大変だったから、あまりうるさくなかったんでしょうね。

    小佐野
     あのときの全日本が「若手でもやれることはやっていい」と変わりつつある時期だったのはラッキーだったよね。苦々しく思ってる先輩がいても、お客さんが喜ぶならいいやって感じで。だからって若手がレガース付けて佐山タイガーみたいな動きをするって凄いけど(笑)。

    北原
     佐山さんとダイナマイト・キッドがやっていた試合を光雄さんとやってたんですよ(笑)。

    小佐野
     「百田光雄キッド」(笑)。

    北原
     そんな試合をやっていたらキッドの目にも止まって。キッドから「オマエ、なんであんな動きができるんだ?」と聞かれて、誰かが佐山さんの弟子だってことも教えたんでしょうね。「海外に行きたいか?」って聞かれて「行きたい」と。まあ、その場だけの適当な話だろうなって思っていたら、あとになって天龍さんに「行きたいか? 馬場さんからもオッケーをもらってるから」って。

    小佐野
     それで当時の若手の中で誰よりも早く海外修行に行けたわけだよね。

    北原
     天龍さんが凄いのは、みんながいる合宿所ではその話をしないんですよ。

    小佐野
     嫉妬するもんね、周りの若手が。

    北原
     「ちょっと外に行くぞ」と天龍さんの車に乗って、町内一周回ってるときに聞かされて。凄い気遣いですよね。

    小佐野
     そうしてジョニー・スミスと一緒にカルガリーに入ったんだよね。

    北原
     カルガリーのキッドの家に3ヵ月ぐらい住んでたんだけど、そのあいだキッドはイギリスに帰っていたりしてて。まあ向こうは大変でしたよ。当時のカルガリーのマーケットはクローズド寸前で。小切手が全部不渡りになっちゃったり。

    小佐野
     カルガリーはWWEの侵攻を受けてヤバイ時期だったもんね。帰ってくる頃に完全にクローズドだったでしょ、プロモーション自体が。もう時効だと思うけど、観光ビザで試合をしてなかった?(笑)。

    北原
     途中で捕まってから変わったんですよ。ダイナマイト・キッドとテレビマッチというときにイミグレーションに連れて行かれそうになって。スチュ・ハートがあいだに入って「明日行かせるから、テレビマッチだけは撮らせろ」と。

    小佐野
     ハハハハハハ。

    北原
     次の日にイミグレーションに行ったら、たまたま蝶野(正洋)さんの外国人マネージャーがいたから、手続きをやってもらったんですよ。「すぐに許可は出せないから仕事するなよ」と言われてたんだけど、隣町だったら大丈夫だろうということで、州をまたごうとしたときに交通事故に遭ったんですよね。

    小佐野
     あの事故は夏のことだよね。

    北原
     アメリカ独立記念日の日。7月4日。一緒に乗ってたデイビーボーイ・スミスも大ケガしちゃったから、その事故は新聞の一面にデカデカと出たんですよ。

    小佐野
     デイビーボーイは有名だもんねぇ。 

    北原
     一番前に乗っていたデイビーボーイはフロントガラスに頭突きしちゃって、髪の毛がガラスにへばりついてて。俺はクリス・ベノワと一番後ろの席に座ってたんですよ。ちょうど食べていたソフトクリームがどっかへ飛んで行っちゃって「俺のアイスクリームはどこに行ったんだ?」って探しましたよ。

    小佐野
     それどころじゃないのに(笑)。

    北原
     それでちょっと仕事が途切れましたよね。デイビーボーイがケガしちゃってスターがいないから。

    小佐野
      当時のカルガリーには大剛鉄之助さんと、安達(勝治、ミスター・ヒト)さんが日本人選手の面倒を見てたけど、その人間関係も面倒くさくなかった?

    北原
     そうなんですよ(苦笑)。

    小佐野
     あの2人、仲が悪いもんね(笑)。

    北原
     俺はプロレスファンでもなんでもなかったから、よく知らないんですよ。「ミスター・ヒト? 誰それ?」って感じで。向こうから声をかけられて「オマエか、今度来た日本人は」って。「どうも、はじめまして」って挨拶はしましたけど。

    小佐野
     向こうは先輩だもんね。あの頃の人間関係でいうと、全日本系は安達さんになるのかな。

    北原
      一応そうなんだけど、あの頃は馬場さんともダメだったのかな。健坊はいつも大剛さんと食事をしていて、俺も何回か呼ばれたことはあるんだけど。オフィスが違うわけだから凄く困りましたよ。 

    小佐野
     健介とタッグを組んだのは帰ってくる間際だよね?  サムライ・ウォリアーズ。

    北原
     そうですね。健坊とやってるときに全日本プロレスに上がったオペラ座の怪人みたいなやつでしょ。

    小佐野
     ザ・ブラックハーツ。

    北原
     そいつがUWFファンで「コレで行くか?」って聞いてきたから「いいよ」って。

    小佐野
     フフフフフ。

    北原
     健坊も「いいよ」って。テレビマッチなのにボコボコしたなあ。最後は簡単にワン・ツー・スリーを取られてね(笑)。


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