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シューティング、佐山サトル、ヒクソン・グレイシー……日本格闘技界を変えた超重要人物中村頼永がすべてを語り尽くすロングインタビューが実現!! 中村氏がUSA修斗代表などを務める詳しい経歴はコチラをご覧になっていただきたいが、どのようにして総合格闘技がつくられていったのか――プロ格者は必読の「シューティング黎明編」2万字インタビュー!



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――シューティング(修斗)やヒクソン・グレイシーを語るうえで中村さんは絶対に欠かせない存在ですが、ロングインタビューを受けられてる機会があまりなかったので、こういった取材がお嫌いなのかと思ってました。

中村 いや、そんなことはないんですよ。いろいろとオファーはあるんですけど、たとえばプロレスだけしか取り扱ってないところだと、ボクがしゃべったことすべてを書いてくれない可能性があるじゃないですか。

――ああ、なるほど。修斗の成り立ちを説明する場合、どうしてもプロレスの仕組みに触れないと伝わらないですね。

中村 誤解しないでほしいのはボクはプロレスが嫌いなわけじゃないですよ。弟(中村ユキヒロ)はマスク職人として佐山先生をはじめとして、プロレスラーのマスクを作っていますし。

――今回の取材場所となる「佐山サトル館」もタイガーマスクの覆面や、佐山先生の幼少期の資料が置かれてますね。


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プロレスマスクミュージアム/佐山サトル館
東京都千代田区三崎町2-9-5


中村 ボクは本当のシューティングの歴史や、佐山先生の偉大さを伝えたい思いはずっと心の中にあったんですね。今日発売された『Gスピリッツ』では佐山先生と、スーパータイガージムで一緒にインストラクターをやっていた北原(光騎)が、いままでずっと秘密にしていたことを明かしてるんですよ。だからボクもしゃべっていいのかなあと。

――いまだに明かされていない事実があるとは驚きですし、かなり楽しみです!(笑)。伝えたい思いはあるということは、現在の佐山先生の扱いに引っかかるところがあったということですか?

中村 ずーーーーっとありました! 修斗の創始者である佐山先生のことを軽視してる風潮があるというか、柔道だったら嘉納治五郎、合氣道だったら植芝盛平の写真を道場に飾りますよね。でも、修斗を稽古している道場はたくさんあっても佐山先生の写真を飾ってるところはいくつかしかない。創始者として佐山先生の存在にもっと敬意を表さないといけないし、いま総合格闘技が隆盛を誇っているのは佐山先生の犠牲の上に成り立ってるんです。いまの若い人たちにはそこをわかってもらいたいという気持ちは強いんですね。

――では、本日はたっぷりと伺います! まず中村さんが格闘技に関わるきっかけはブルース・リーなんですよね。

中村 ブルース・リー先生ですね。中学生のときですけど、香港から関連書籍を取り寄せて……。

【中村氏のiPhoneからブルース・リーの怪鳥音が鳴りだす】

中村 あ、電話ですね。あとでかけ直します(笑)。

――怪鳥音が着信音ってさすがですね!(笑)。

中村 ボクの人生は「ブルース・リー」に命を懸けるって中学生のときに決まっちゃったんですよ。でも、職業はアニメーターになろうと思ってたんですね。「ブルース・リー」以前に永井豪先生の洗礼を受けてるんで。

――ブルース・リー&永井豪! 男の子の憧れですね(笑)。

中村 『デビルマン』と『キューティーハニー』。この2作品がボクの人生の血となり肉となってて。いま永井豪先生とは家族ぐるみの付き合いをさせてもらってるんですね。職業はアニメーターだけど、「ブルース・リー」で生きていく。ブルース・リー先生が始めたジークンドーをやりたかったので、香港から本を取り寄せて。それを見ながら自己流で練習したんです。

――最初は自己流だったんですね。

中村 高校生になったら近所の空手道場に通いました。『空手バカ一代』を読んでましたから、当てる空手と当てない空手があることは知っていて。近所の道場は当てる空手だったんですけど、その道場は寛水流だったんです。

――まさかの寛水流!!(笑)。水谷征夫氏と猪木さんが創設した空手団体ですね。

中村 はい。私がいた頃の寛水流はギャング顔負けの戦闘集団でしたから、香港から映画俳優のチャーリー・チャンというホンモノのギャングが挑戦してきたりね。そして、猪木先生が「誰の挑戦でも受ける」ということで、水谷先生も猪木先生に挑戦状を送って。

――野原で決闘する計画があったんですよね。 

中村 水谷先生は「俺は鎖鎌を使う。おまえもなんでも使え!」という。新間(寿)先生があいだを取り持って、猪木寛至の「寛」と、水谷征夫の「水」の字を取って「寛水流」を作ることになって。

――水谷先生って猪木さんに決闘を申し込むくらいですから、かなり怖かったんですよね。

中村 怖いですよ。合宿では、普段ボクらが「……怖いな」って思ってる各道場の先生たちを円状に全員立たせて、その中心に水谷先生が立って、無防備に起立している先生たちを順番に殴ったり蹴ったりして倒していくんです。

――それは何をやってるんですか?

中村 いや、わからないです(笑)。

――ハハハハハハハハ! 気合いを入れてるんですかね。

中村 たぶんそうだと思いますね(笑)。ボクの通ってた道場の先生は強面なんですけど、上に行けば行くほどさらに強面になっていくんです。それでも水谷先生の前に立ったら直立不動ですよ。言葉使いや立ち居振る舞い礼儀礼節、上下関係がとにかく厳しくて。ボクはのちに上京して極真に入るんですけど、寛水流ほど厳しくないので「ヌルッ」って思いましたから(笑)。

――極真がヌルく感じるほど!(笑)。

中村 ただ、当時のボクは近所だから入っただけで、寛水流のことは詳しく知らなくて。猪木vsウィリー・ウィリアムス戦があったときは、極真大好きだったからウィリーを応援してたんですよ。

――空手少年だったらそうなりますね。

中村 あの試合で猪木先生が入場するときは寛水流の先生方がボディガードをやってたんですね。「猪木先生の身に何かあったら……」という。

――ウィリーのセコンドには極真空手家がついていましたけど、どちらのセコンドもリングで何が行われるかを聞いてなかったから、ヒートアップして大乱闘になったわけですね。

中村 試合がどうなるかは一部の人たちしか知らないわけですよ。ボクはそんな背景すら知らないですから。道場で「あれはウィリーの勝ちですよね」って力説したんですよ。そうしたら先輩に「バカヤロー!猪木先生を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」って怒られて。「寛水流の意味を知ってるのか? 寛水流の寛は、猪木先生の寛だぞ!」って言われて初めて知ったんです(笑)。

――そこで初めて猪木さん側だとわかった(笑)。 

中村 猪木先生や佐山先生に初めてお会いしたのは寛水流の本部道場の落成式だったんですよ。ボクが入った頃は名古屋に本部道場を建てるということで、日曜日になると道場予定地に穴を掘りに行くんですよね。本部道場は道場生が建てたんです。水谷先生も一緒に土砂を運んでましたから。

――とんでもない経験をされてますね(笑)。

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寛水流に通っていた高校生時代の中村師父! 寛水流のTシャツは新日本プロレスと同じデザインで胸のマークが寛水流。なにそれ凄く欲しいです!


中村 高校卒業して東京のアニメーターの学校に行く直前に落成式があって、ボクも出席したんですけど。出席されたのは猪木先生、坂口征二さん、藤波辰爾さん、タイガーマスク時代の佐山先生、新間先生、ファイティング原田さん、強烈だったのは安藤昇先生(笑)。

――ホンモノじゃないですか!(笑)。

中村 安藤先生は水谷先生をモデルにした『東海の殺人拳』を書いてるときだったんですね。あの場でも異彩を放ってましたねぇ。真樹日佐夫先生張りのサングラスを掛けて、決して目を見せないんですよ(笑)。

――ハハハハハハ!

中村 あの落成式でタイガーマスクが試合をしてくれるということで、リングが組み立てられたんです。タイガーマスクはアニメもプロレスの試合も見てて大ファンだったんですよ。ボクたち兄弟はどうしてもタイガーマスクのサインが欲しくて2人で佐山先生のことを探したんですよね。そうしたら裏の部屋の奥のほうで試合に備えてタイガーマスクのコスチュームでいるところを発見して、ボクたちはその入口でサイン欲しいアピールをしたら、側にいた坂口さんが「ダメダメ!」って……でも佐山先生はそれを遮って「いいよ」ってニッコリ応えてくれて。マスクから覗く目が凄く優しい目でした。それが佐山先生の第一印象だったんですね。

――そこから上京して佐山さんが立ち上げたシューティングに関わるんですね。

中村 上京してアニメーターの学校に通いながら、最初はキックボクシングや空手をやってたんです。本当はジークンドーをやりたかったんですけど、日本に道場はなかったですから。その学校を卒業する直前の1984年2月に佐山先生が二子玉川にタイガージムをオープンするんですよ。佐山先生が提唱されていたキック、パンチ、投げ、関節技の「新格闘技」……いわゆるなんでもありの戦いに憧れていたので、初日に入門しました。

――初日とはさすがですね(笑)。

中村 当然初日です。会員番号1番を狙ってたのに、もうすでにたくさんの人が並んでいて108番だったんですけど(笑)。

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タイガージム時代の会員証


中村 でも、そのジムでは格闘技を教えてくれなかったんですよ。二子玉川のタイガージムのあったカルフォルニアシェイプというところは格闘技をやっちゃいけない話になっていて。土地柄ハイソなフィットネスのジムだったんですね。

――コンセプトにそぐわなかったんですね。本格的な格闘技ジムは三軒茶屋のスーパータイガージムになってからで。

中村 タイガージム時代はタックルや基礎体力しかできない。でも、佐山先生から教わることは貴重なので、ひとつひとつしっかりやってましたよね。ストレッチ腕立て、ヒンズースクワット……佐山先生がいままで培ってきたものですから。練習するときはみんなタイガージムの練習着を着るんですけど、ボクは上だけで、下は拳法着と拳法靴、髪型もブルース・リーカットで。だから佐山先生から「ブルース・リーくん」と呼ばれてたんですけど(笑)。

――絶対にそのあだ名で呼ばれる出で立ちだったんですね(笑)。

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タイガージム時代の佐山サトルと中村氏

中村
 その頃はブルース・リーファンクラブのスタッフをやっていて、その会報で佐山先生にインタビューもやってるんですよ。「佐山サトル、ブルース・リーを語る」という企画で。質問事項を当時マネージャーだったショージ・コンチャに見せたら「これはダメよ、これもダメ」とかハネられて。

――出た、ショウジ・コンチャ!(笑)。

中村 胡散臭い人物ですよ。あきらかに悪者だって顔に書いてあって「なんで佐山先生はこんな人間とくっついてるんだろう?」と思ってましたから(笑)。佐山先生は純粋な方なんだろうなって。

――佐山先生はそのショウジ・コンチャと離れて、UWFに参戦しますよね。いわゆる「1984年のUWF」の始まりです。

中村 UWFの試合を初めて見たのが1984年12月の藤原喜明戦かな、後楽園ホールの。それまでは雑誌の写真でしか見たことなくて。

――その試合は撃と関節のみで戦い抜いた、伝説のノーフォールマッチですね。

中村 佐山先生が藤原さんのことを蹴りまくってね。お客さんはみんな恐怖の戦慄で大興奮してるんですけど、ボクは「本気でやってない……」ってわかっちゃったんです。

――よくわかりましたね。

中村 だって佐山先生ですよ? 佐山先生が本気であんなに蹴りまくったら相手は死にますって。

――中村さんはいつからプロレスが真剣勝負じゃないと気付いてたんですか?

中村 小学校の頃は、猪木先生のほう(新日本プロレス)は真剣勝負だと思ってたんです。でも、空手とかやりだしたらわかりますよね。モーションが大きいとか、実際に急所部位に当ててないとか。それからは真剣勝負としては楽しんでないけど、エンターテインメントとして楽しんでますし、いまでもプロレスは大好きですから。

――UWFが真剣勝負じゃなかったことにはどう思われたんですか?

中村 ちょっとショックが大きかったんですよ。UWFは真剣勝負だという煽りだったし、ボクはタイガージムに通いながら、真剣勝負のUWFのリングに上がりたいと思ってたんです。ところが実際に試合を見てみたら違う。ボクはアニメーターを目指してたんですけど、身体が小さい人でも戦えるならUWFをやりたかったんですよ。でも、プロレスであることがわかった。そこでボクがどんな行動を取ったかと言えば、佐山先生に手紙を書いたんですよ。「UWFは真剣勝負じゃないですよね?」と心の丈をバーっと。

――えっ、凄い行動に出られましたね……。

中村 書いちゃったんですよ。これは佐山先生が『ケーフェイ』を出す前ですね。その手紙をスーパータイガージムの受付に置いたのかな。そのときは佐山先生から直接何かリアクションはなかったんですけど、佐山先生はのちのちはUWFをプロレスから真剣勝負にするつもりだったことは歴史が証明してますよね。

――シューティングの過程だったわけですね。

中村 でも、ボクはそのときは佐山先生が何を考えているかなんて想像もできませんでしたから。ボクはそのあとアニメーターになったこともあって、スーパータイガージムから足が遠のいて。そうこうしてるうちに1985年9月に大阪臨海であの前田日明戦があって、そのあと藤原喜明選手との試合もおかしなことになって。

――UWFをシューティングにしたい佐山先生と、それを望まないと前田さんたちの溝が明らかになっていくわけですね。

中村 ドロドロしてるところは報道でしか知らなかったので「孤立してるのかな〜〜」くらいしか思わなかったんですけど。その直後に佐山先生から電話がかかってきたんですよ。先生は手紙を温めていたんですね。「中村くん、あの手紙を読んだよ。よくわかったね」と言われて「ちょっと会えない」と。京王プラザホテルだったかな。そこで佐山先生と一対一のシチュエーションで、面と向かって「中村くん、俺の影になってくれ」って言われたんです。

――えっ、俺の影ですか?

中村 要はスーパータイガージムで働いてくれないかってことなんですけどね。

――ちょっと芝居がかったセリフですね(笑)。

中村 佐山先生ってビシっとスーツを決めてアタッシュケースを持っていたり、早くからパソコンを使ってましたよね。007とかスパイ系が好きなのかなって思ってたんです(笑)。

――今回の依頼も極秘作戦的な(笑)。

中村 実際に影としての隠密活動をしてたんですよ。どういうことかというと「UWFとは袂を分かった。いまスーパータイガージムにはインストラクターがいるけど、彼らもUWFに行くことが裏では決まってる。みんな俺がそれを知らないと思ってるんだ」と。要するにそれはスーパータイガージム潰しなんです。インストラクターがいなくなってしまうとジムで教える人がいなくなってしまいますから。「UWF側が何か仕掛けてくるかもしれないから、中村くんは俺の影になってくれ」と。

――だから「俺の影」なんですね。 

中村 あと佐山先生は「俺の頭脳にもなってくれ」と言うんですね。それはシューティングを作っていきたいから相談に乗ってくれと。そこでポイントになるのは、以前佐山先生に出した手紙なんですね。「俺のところに来たインストラクターたちはみんな最初からプロレスラーになりたかったんだよ。でも、中村くんはシューティング、真剣勝負をやりたくてジムに来てくれた。中村くんがシューティング第1号の弟子なんだよ」と。

――あの手紙を出したことで佐山先生の目に止まったわけですね。

中村  ボクはプロレスは好きだけど、プロレスラーになるつもりはまったくなかったですから。あの手紙で格闘技を見る目や姿勢があると理解されたんでしょうね。

――あくまで影ですからジムでインストラクター活動するわけにはいかないですよね?

中村 ジムには一般会員として普通に通うんですけど。「中村くんのことは影でトレーニングをつけるから、表に出ないでくれ」と。

――佐山聡のプライベートレッスンですか!

中村 しかもちゃんと給料もいただけるということで。佐山先生からの言葉はすべて神の声で、ボクはこのまま佐山先生にすべてを捧げようということで、アニメーターの会社もやめて、佐山先生が住んでいた用賀のライオンズマンションに転がり込んだんです。

――居候してたんですね。凄いことになってきました(笑)。

中村 次の日から稽古が始まるんですけど、場所は屋外なんです。佐山先生のマンションの前の公園でタックルや首投げのトレーニングをしたり、ミットを持って打撃の基本を長い時間教えてくださって。そうかといえば、場所を変えて別の空き地で稽古をやったり。佐山先生にはファンが多いですから道行く人から「頑張ってください!」なんて声をかけられて。でも、外だと地面だからグラウンドのトレーニングはできないんですよね。ボクは“影”ですからスーパータイガージムでは佐山先生と稽古できないですから。

――表に出ちゃダメな存在ですもんね。

中村 そこで佐山先生の知り合いの家のスペースを借りて稽古をすることになったんですけど。その当日、スーパータイガージムの専務でマネージャーの中出さんが運転するバンで佐山先生とボクが一緒に現地へ向かっていたんです。そしたらその途中でバンが停まって乗り込んできたのが北原なんですよ。で、佐山先生が「今日からコイツも一緒にやるから」って。

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影として極秘に育成されていた当時の北原光騎と中村氏


――
北原さんも“影”なんですか?

中村 そうです。佐山先生はボクと北原のことを極秘育成しようとしたわけですけど、ボクらはまだ佐山先生の本当の姿を見てなかったんですね。道端や公園で教えていたんで「殺すぞぉぉぉぉっ!?」は出ていなかったんです(笑)。

――あ、地獄のシューティング合宿映像でおなじみの(笑)。

シューティング合宿 佐山聡
https://www.youtube.com/watch?v=EV1OXpsgFKA


中村 一般的にもそんな姿は表に出なかったですよ。知っていたのは、かつてジムのインストラクターだった宮戸(優光)選手や山崎(一夫)選手とかの一部で。だからインストラクターはUWFに移っちゃたんじゃないかってくらいですよね(笑)。

――あの映像はまだ優しいほうだってみんな言いますよね。

中村 全然優しいです!

――あれで!! 優しい!

中村 初日にそれがわかるんですけど……。先生は「これからおまえたちを影として育てる。朝7時から12時まで毎日5時間、週7日、3ヵ月間やる」って言われたんです。

――うわあ……地獄なスケジュールですねぇ。

中村 新しく稽古する場所は、佐山先生の知り合いの家ということだったんですけど、家の地下室なんですよ。

――なんだか怖いですね(笑)。

中村 地下だから窓が当然ないですし、地面はコンクリートの上にカーペットが敷いてるだけで。そこでトレーニングをやると。まずフットワークから始まるんですが、先生の稽古の特徴として「何分やれ」とか言わないんですよ。

――「いい」というまでやるんですね。

中村 地面はマットじゃないですからフットワークを1時間くらいやってると、足の裏が擦り剥けてくるんですよ。足は血だらけになって。そのあとストレッチをちょっとやって、キックの基本を教えてもらう。それが終わったら佐山先生とスパーリング。先生とやるのはそのとき初めてですよ。最初は立ち技のスパーリングなんですけど、当時のボクは社会性もないし、ちょっと天狗になっていたというか、「なんでもできる」という不遜な態度でスパーリングをやったんですよ。佐山先生からすれば、一度天狗の鼻をへし折っておかないとダメだなって思ったはずなんですよ。いま考えても凄く態度が悪かったので(笑)。

――す、凄く嫌な予感が……

中村 あの佐山先生の前でよくあんな態度を取ってたな……っていまだに鮮明に覚えてますから。しゃべりかたはキチッとしてたんですけど、態度が横柄。で、立ち技のスパーが終わったあとに「いまからグラウンドやるぞ。どこからでも攻めてこい」と言われて。ボクは柔道しか知らないですから、佐山先生の後ろから胴締めして首を羽交い締めにしたんです。

――は、はい(ゴクリ)。

中村 佐山先生は当時「押忍!」という言葉が嫌いだったんですよ。いまは使ってますけど、コワモテの押忍の世界が嫌いで。「こんにちは〜」と柔らかく挨拶しますから。でも、ボクはそんな性格を知らなくて気合いの入ってるところを見てほしくて、首を締めながら寛水流空手時代のように「うりゃあーっ!」ってドスを効かせて吠えたんですよ。そうしたら、佐山先生は「……おぉ? うりゃあだとぉ???」って低く呟かれて。

――………。

中村 あの声はいまだにおぼえてますよぉ。いきなり足を取られてポーンとひっくり返されて馬乗り。そのままヒジをボクの顔に何度も叩きつけて「殺すぞぉーーーーーーっ!!!!!!!!!」って始まったんですよ!

――ええええええ!? ちょ、ちょっと待ってください。ヒジを顔面に何度もって……。

中村 ヒジというか前腕に近いですね。直接ヒジだと顔が切れちゃいますから。

――いわゆるエルボースマッシュというか……。いや、それでも痛いですよ!

中村 本当に痛いですよ。先生のヒジも痛いんですけど、地面が痛いんですよ。コンクリートに何度も叩きつけられるから、ヒジと地面の間で何度も何度も頭部がバウンドして、それで脳震盪を起こしちゃって。北原はボクがやられる姿をずっと見てたんですけど、あとになって言うには「とても止められなかった。もう福岡に帰ってダンプの運ちゃんをやろうと思った」くらい佐山先生は手がつけられなかったと。

――田舎に帰りたくなるほどの惨劇(笑)。

中村 中出さんもその場にいたんですけど「いつものことだ」という感じで見てるんですよ。

――いつものこと!

中村 でも、ボクはそんな先生の姿を見たことないですし、寛水流道場の落成式で「いいよぉ」ってサインしてくれた優しいイメージしかないですから。

――「いいよぉ」が「殺すぞ」に!

中村 ボコボコに殴られたあとに、逆片エビで背骨を折られそうになって、その後もいろんな関節技をコンビネーションで極められてラッパをかけられるんですよ。で、クロック・ヘッドシザースを極めながら「首の骨、折るぞぉーーーーーーっ!!!」って叫んでて……。

――う、うわあ……。

中村 こっちは失神寸前ですし、ただただやられるだけですよ。佐山先生はずっと「殺すぞーーーっ!!! 首の骨折るぞーーーっ!!!」と叫んでて、ボクはずっと「……うう」と呻き声を出してるだけ。

――そして原さんは呆然と立ち尽くしてるだけ、専務は「いつものことだ」と(笑)。

中村 で、死力を振り絞って自分に対しての負けず根性、喝のつもりで「ち、ち、畜生ーーーっ!」って声にならない気合いを発すると、「畜生」って言われたと思った先生をまた怒らせちゃって「畜生だとぉ??? 殺すぞーーーーーっ!!!!!」って……。

――だたでさえ炎上してるところにガソリンをぶちまけましたか!(笑)。

中村 ボッコンボッコンにやられながら「ああ、これがプロか……」と。

――プロというか、なんというか(笑)。


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