ジャイロックの契約が切れたとき「俺には何も残ってないんだな……」って思っちゃって
佐伯さんに「引退試合を組んでください」とお願いしたんです。そうしたら――
吉田道場の切り込み隊長としてPRIDE、戦極などで活躍した「カズ」こと中村和裕。
総合格闘家としての道のりはMMAバブルにまみれたメジャーイベントの歴史と重なっている。
そんな彼がDEEPを主戦場としたいまになって見えたものとは――?
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――PRIDE日本人ファイターの戦績を追っていくと中村選手って傑出してるんですよ。ミドル級で11勝6敗ですし、日本人の中でも勝ち越してるのは珍しくて。
カズ あ、そうなんですか。へえー。
――ポイントゲッター的役割をはたしてというか。
カズ ポイントゲッター(苦笑)。いやいやいやいやいや、そんなに褒めても何も出ませんよ!
――そうですか(笑)。中村選手って柔道家としても実績を残してますよね。
カズ まあでもいちばん上ではなかったですけどね。同じ階級に同学年の井上康生氏がいて、2つ下に鈴木桂治氏がいて。彼らと実際に肌を合わせてみて、オリンピックや世界選手権を目指すレベルと比較しちゃったところはありましたね。結局、自分は3番手4番手でしたし。
――でも、そこにたどり着くのも大変ですよね。
カズ 大変ですよねー。大変す。日本で競技人口がいちばん多い武道は柔道じゃないですか。基本、日本の代表チームに入るの為の選考試合にでるのは学生レベルだと関東大会優勝、あとインカレの個人ベスト8に入るか。そうすると第一次予選の講道館杯への出場権を得られるんですよね。自分は大学4年のとき全国大学学生個人戦−100キロ級で決勝まで行って鈴木桂治氏に勝てなかったんですけど。そのあとヨーロッパグランプリに回されてベルギーで2位になって。福岡国際は各階級8人しか出られないんですけど。そこに選別されてベスト4で井上康生氏に負けました。
――じゃあトップグループの中でしのぎを削っていたわけですね。
カズ しのぎを削ってましたねえ。
――超エリート。
カズ うーん、超エリートじゃないですけど……エリートですね(笑)。
――エリートは認めるんですね(笑)。
カズ ハハハハハ。地方出身の中での柔道エリートコースを歩んできました。スカウトされて広島県内で柔道で有名な高校に行ったんですけど、それこそ東京の世田谷学園・地方版みたいな高校ですよね。
――逸材だったんですねぇ。
カズ いやいや、弊害もありますよ。小さい頃からスポーツ中心でやってきて柔道が生活の中心だったので、何をするにも柔道が一番で社会性が損なわれた部分はありましたよね(苦笑)。
――プロレス格闘技に転向してきた柔道家の方ってトンパチな方が多いですね。小川(直也)さんとか柔道家時代はホント王様のような振る舞いだったという話ですし。
カズ 小川さんとは接点がほぼないのでわかりませんが、上に行く人はそうなりますね。やっぱり自分の力がそのまま結果に表れるスポーツなので自分に対する自信は大きくなりますよね。実際は周囲がサポートするんですけど。
――必然的に王様になっちゃうわけですね。
カズ 柔道にかぎらずアスリートは誰しもがそうだと思いますけどね。とくに個人競技はその傾向が強いのかなって。チーム競技だとそういうわけにはいきませんけど。
――中村選手は柔道家時代から総合格闘技への興味はあったんですよね。
カズ そのきっかけはPRIDEでしたね。当時PRIDEが世間的にも認知され始めましたし、見てて凄くおもしろかったですよね。
――柔道家として挑戦してみたいという気持ちは強かったんですか。
カズ それはありました。自分の中では2~3戦やったら「ノゲイラ(兄)とやってみたい!」という青写真を描いていたんですけど。想像以上に厳しい世界でしたねぇ。
――転向することに迷いはなかったんですか?
カズ 自分はいちおう上場二部の企業に勤めていたんで。そこらへんの生活をぶっちぎっていくということを考えたときに……うーん。
――迷いました?
カズ いや、ぜんぜん迷ってないですけどね。迷ってないです。すぐに会社を辞めちゃったんですけど……。いま振り返ると若かったなあ……という感じすよね(しみじみと)。
――勢いで飛び込んじゃいましたか。
カズ ホントそうです。勢いです。若いころって何事にもそんな感じじゃないですか。先のことを考えないし……もし当時の自分に何か言えるんだったら「ちゃんと考えなよ!」って。
――厳しい世界だぞ、と。
カズ しかも柔道しかやってこなかったわけですからね。自分のことをトータルマネジメントしながら世界のトップに立つってことは大変なことですから。
――それでも腕一本でやっていきたい気持ちはあったんですよね。
カズ 当時はありましたね、やっぱり。けっこう強いと言われてる格闘家とスパーリングをした感じ「俺もやっていけるな」と思いましたし。
――総合の練習をし始めたのはいつぐらいですか。
カズ 大学のときはやってないですけど。やっても道着を脱いでレスリングをやるくらいで。就職してからは明大柔道部で練習してたんですけど、そこに柔術をやってる子がいたので、その流れで一緒に練習したり、あとサンボをやりだしたりとか。
――吉田道場入りはどういう経緯だったんですか?
カズ 当時、吉田(秀彦)さんが明治大学柔道部の監督をやっていたので。ちょうど吉田さんが格闘技に移るという話があって、自分がサンボやアマチュアの大会に出てることが吉田さんの耳に入って「一緒に練習をするか」となって。それで一緒に練習していたら「吉田道場としてPRIDEに出れるぞ」という話になって。
――トントン拍子に話が進んだんですね。
カズ やっぱり吉田さんの総合転向は注目されていたし、そこの下にいるとバーター的にいろんなところに出られるし。総合やるようになってから、いろんな著名人に会えたりしてビックリしましたけどね。なんかオリンピックアスリート並みの扱いをされて。
――環境がガラリと変わったんですね。
カズ そうですね。あれ、なんだったんですかね……。
――いまだに戸惑ってますか(笑)。
カズ うーん……。
――あまり思い出したくないですか?