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飯舘村からの避難 仮設住宅4年目の夏
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飯舘村からの避難 仮設住宅4年目の夏

2014-07-18 16:47

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       * 堀潤のテレビでは言えない話 vol.33 *

           ~シリーズ「福島から ラジオが伝える」の巻~

             

           発行:8bitNews  2014.7.18 (ほぼ日刊)

                   

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    皆さん!

    こんばんは!
    今午前1時過ぎ。ようやく今日1日の仕事が終わり、こうしてブロマガを
    書いています。
    金曜日は毎週1日が長いんですよね。
    午前5時過ぎより、TOKYO MX「モーニングCROSS」の放送と準備。
    放送後、取材や打ち合わせに時間を費やし、
    夕方からはJ-WAVE「JAM THE WORLD」、夜はNOTTV「#エンダン」
    の放送で締めくくりです。

    今日の「JAM THE WORLD」では、イスラエル軍によるガザ地区への
    地上部隊侵攻について、そして、ウクライナ東部で発生したマレーシア
    航空機の撃墜とされる事件などを中心にお伝えしました。

    まずはイスラエルですが、ガザに入っているジャーナリストの田中龍作さん
    に電話取材。夜7時半頃に電話をしたのですが、現地は丁度、昼過ぎでした。

    田中さんは、昨日の夜からガザ市東部、イスラエルとの境界線近くの街に
    到着。現地はイスラエル軍による無人機からの空爆、海側からの艦砲射撃で
    被害が拡大。沿岸では銃器を積んだ高速ボートからの攻撃もあるとのこと。
    警告弾によって子どもの死傷者も出たといいます。

    田中さんは、2008年、2009年に起きたイスラエル軍による大規模なガザでの
    地上戦も取材していたそうですが、ガザではハマスが教会や病院などを弾薬庫
    などにしていたこともあり、そうした施設が無差別的な攻撃の対象になった
    と話していました。今回現地を訪れ印象的だったのはそうしたハマスの拠点に
    民家が使われている事。一見して武装勢力との関わりがなさそうな外観なだけに
    攻撃する側が疑心暗鬼から無差別的な攻撃を激化させるのではと懸念しています。

    こうした状況で一体誰が停戦を仲介するのか。
    ムスリム同胞団を弾圧したエジプトのシシ政権にはハマスを説得するだけの
    力はありません。また、専門家の話によるとイスラエル側は事前からハマスへの
    攻撃計画を綿密に練っていた可能性があり、そう簡単には自らの軍事作戦を停止
    するとは思えません。

    田中さんは、こういいます。
    「イスラエルを牽制できるのは、国際的な世論です。トルコではイスラエル大使館
    に対して抗議行動がおきるなどしていますが、世界各国でガザを守れという活動が
    広がりつつあります。イスラエルは国際社会からの世論に弱いといいます。
    私たちが抗議の声をあげることで、そうした国家の動きに一定の歯止めをもたらす
    ことも視野に、私たちは自らのアクションを決めるべきだと私は思っています。

    また、ウクライナ東部で発生したマレーシア航空機の撃墜と見られる事件。
    これによって国際社会の目がウクライナに集約され、イスラエルによるガザの侵攻
    で発生した様々な問題が見失われるのではないかと危機感を抱いています。

    ぜひ、この週末も国際情勢から目を話さないでください!



    それでは本日のコンテンツをお楽しみください。


    皆様からのご意見やご感想は、
    info@8bitnews.org までお寄せください!


    お待ちしております!!!


    ▼前回「Vol.32」へのリンクはこちらです。

    [リンク] http://ch.nicovideo.jp/horijun/blomaga/ar578777




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    ┗■  02.島日常論 大和田メール

       

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    シリーズ『福島日常論  大和田メール』。

    震災後、私たちは震災や原発事故の現状をどのメディアを通じて知ってきたか?
    福島県の今をしっかり知る事はできているだろうか?
    この連載では中央メディアではなかなか報じられない人々の日常の声を
    地域ラジオ発のリポートで紹介して行く。

    あなたがまだ聞いた事がなかったストーリーをラジオ福島ベテランアナウンサー、
    大和田新さんが伝える。

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    大和田 新 (おおわだ あらた)

    1955年 3月28日生。神奈川県横須賀市出身。中央大学法学部政治学科卒。1977年4月、RFC(ラジオ福島)にアナウンサーとして入社。 以来30年以上にわたってニュースや情報番組から競馬中継などで幅広く活躍。現在の役職は編成局専任局長であり、現役のアナウンサー。ニューシニアマガジン 大和田新のラヂオ長屋(土曜7:00~13:00)、月曜Monday(もんだい)夜はこれから(月曜19:00~21:00)

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    祈るだけでいい


    地域を支え伝える「ラジオ福島」大和田アナウンサー

    大和田さんとの出会いはNHK退職直後の2013年春。

    震災前から取材で繋がりのあった、福島県の地銀、東邦銀行の皆さんが
    「堀さんに会わせたい人がいる」といって紹介してくれた。

    大和田さんも僕に会いたいと思ってくれていたようで、一緒に昼食を食べすぐに意気投合した。
    大和田さんは僕の両手をしっかり掴んでこう言って頭を下げてくれた。


    「福島県のことが忘れられてしまうのではないか、そんな不安があるんです。堀さんの発進力で力を貸してください」。

    すっかり恐縮してしまったのだが、僕からは「地元メディアの丁寧な取材に勝るものはなかなかありません。僕らの手の届かない現場の声をぜひ教えてください」と言ってこちらも握手をしながら頭をさげた。


    僕が制作したドキュメンタリー映画「変身 Metamorphosis」は、大和田さんが車で当時警戒区域が解除されたばかりの浪江町や南相馬など原発周辺の街々を案内してくれているシーンから始まる。

    大和田さんは、人を案内する時に必ず案内する場所がある。


    一つは、いわき市の薄磯海岸。もう一つはJP富岡駅。

    前者は、津波の被害で家々が流され小学生を含む大勢の方が亡くなった地域。
    後者は原発事故によって震災から3年以上が経過した今も、
    事故当時の状況と変らず荒れた景色がそのままとなっている場所だ。

    双方の場所には共に石碑が立っている。

    亡くなった人々を悼み、震災の記憶を後世に伝えるための文言が刻まれている。
    「まずはここで手を合わせてもらえたら。時が過ぎ、景色も少しずつ変化していきますが、つらい災害で被害にあった方々に思いを馳せてもらえたらと思っているんです」。

    ここで手をあわせ、そして、取材が始まる。

    大和田さんが案内してくださる先々では、笑いも絶えない。
    仮設商店街、医療施設、帰宅準備区域、原発構内、被災者もそうでない方も、共に同じように接し、時にユーモアを交えながら冗談を言って、
    過酷な状況をお互い笑い飛ばす様子も度々目にしてきた。


    しっかりとしたコミュニケーションで、現場を見つめる大和田さん。


    一方で、今年4月に東京で開かれた原子力産業協会、原産協の年次大会では歯に衣着せぬものいいで福島の窮状を訴える強いメッセージを業界向けに発信していた。

    福島県での震災関連死に歯止めがかからない現状に着目し、長期間にわたる避難生活や慣れない土地での暮らしが原発事故の被災者をさらに追いつめているとして「震災関連死ではなく、これは原発事故関連死と呼ぶべきだ」と、事故による影響の大きさを深刻に受け止めてほしいと訴えた。



    このブロマガでは、毎週一回、「福島日常論 大和田メール」と題して、大和田さんの福島からの発信を皆さんにお届けする。

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    仮設住宅4年目の夏

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    原発事故で、6500人の住民が、避難生活を強いられている飯舘村。

    200人が肩を寄せあって生活している、福島市松川町の飯舘村松川第一仮設住宅。

    横山初彦さん(75)と妻のチカ子さんを訪ねた。

    横山さん夫婦は震災前は、米・煙草・野菜・桃等を大々的に手掛けてきた。
    今は、六畳と四畳半二間に暮らしている。

    中に入ると、簡易仏壇があり、95歳で亡くなった初彦さんの母の遺影が置かれている。

    母は避難によるストレスから体調を崩し、震災の翌年の秋に亡くなった。

    「震災関連死とは認められなかった。避難しなければ、100歳まではゆうに生きられたのに」と横山さんは悔しそうに語った。

    「この仮設住宅は独り暮らしの年寄りが多くて、孤独死を出さないように毎日見回りを欠かせない」と、妻のチカ子さんが言った。

    六畳間の壁には、横山さん夫婦の、飯舘の自宅の航空写真が飾られてある。
    広い母屋に煙草ハウス、周辺は田んぼに囲まれ、日本一美しい村の原風景がそこにはある。

    「仮設住宅に来るまで、四畳半なんか見たこともなかった」と横山さんは呟いた。

    その横山さん夫婦の楽しみは、仮設住宅の回りを花と緑で埋め尽くす事。
    バラ、ホオズキ、茄子、サルナシ、テッセンがプレハブの仮設住宅に潤いを与えていた。

    チカ子さんが、ブルーベリーの大きな実を一粒私に差し出してくれた。

    甘酸っぱかった。

    「生きている間に飯舘に戻りたいな。俺達夫婦は飯舘の根っこになる覚悟だよ」

    横山さんが言った。


    「汐凪(ゆうな)」を捜して

    原発事故により、大熊町から長野県白馬村に移住している木村紀夫さん(49)は、昨日7月12日(土曜)、次女・汐凪(ゆうな)さん当時7歳の捜索の為に大熊町に入った。

     
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