「いいね!」で学ぶ、世界一わかりやすいお金の仕組み(その2) の続きです。
ということで、今回はあの大命題
「格差はなぜなくならないのか」
です。
お金が条件付きながら「いいね!」と同じ仕組みであるというなら、答えは簡単です。お金は「いいね!」と一緒ですから、お金は集まるところにはどかっと集まるし、集まらないところには少ししか回ってきません。いわゆるロングテールという分布です。
「いいね!」の数のデータは持っていませんが、同じような構造を持っているものに、ニコ動の動画の再生数があり、そのデータは持っています。2014年の記事、
ゼロから学ぶロングテール(その2)〜ロングテールグラフを制す〜
で紹介したグラフです(なのでデータは古いです)。
再生回数が1千万を超えるものは10個もなく、何千万という動画は再生数は1000に満ちません。これを100倍して月給に見立てたら、国民の大半は月給10万円なのに、数人は月給10億円超えなわけです。
恐ろしい格差社会。
でも、SNSの世界ってそんなもんじゃないですか。動画をどんなに頑張って作ったって、ほとんど再生されないし、でもテキトーに作った奴が爆発的に再生されたり。
逆にこのニコ動に、かつての壮大な社会実験、ソ連の共産主義を持ち込んだらどうなるでしょう。5カ年計画で、どんな動画をどれくらい作るか決め、お前はゲーム実況動画を作れ、お前は VOCALOID だと割り振られるのです。できたものは、どんな動画であれ、分担して同じような数再生される。
そんなニコ動で果たして面白い動画が量産されるでしょうか。
今流行ってる、PPAP。似たような動画はいくらでも作れるでしょう。でもそれが平等に同じような再生数を獲得するでしょうか? 獲得すべきでしょうか?
人気の出るものはどんどん人気が出るし、でも大部分は人気が出ない。それが「いいね!」の構造であり、お金の構造でもあるのです。
ですから、なぜ格差はなくならないか? 答えはそもそもお金は「いいね!」であり、ロングテール分布をするのが本質だからです。
これは悪いことではありません。ゼロから学ぶロングテールシリーズで詳しく解説していますが、多様性の本質でもあります。ニッチな環境に適応した動画が無数にできる構造でもあるからです。多様と繁栄の構造なのです。
この構造は本質的です。「いいね!」を待たず、そもそもウェブができた時から、ウェブは「いいね!」と同じ構造を持っています。少数の爆発的に大量にアクセスされるページから、無数のほとんどアクセスされないページが緻密にある構造です。
誰でもコンテンツをあげることができて、誰でもアクセスできる構造ができた瞬間、そこにロングテール構造が生まれます。経済活動は、かつては、移動のコストなどいろんな障壁があったため、同じ構造であることがもやもやしていましたが、誰でもモノ・サービスを売れるようになり、誰もがそこにアクセスできるようになった今、そこにロングテール構造ができるのは必然であり、それを根本的に変えることはできません。ソ連の共産主義が失敗したように。
売れるモノと売れないモノができるのは本質的であって、お金そのもののせいではありません。人がたくさん集まって、いいものをいいと言っていたら、それが「いいね!」でされようが、再生でされようが、お金で買われてようが、同じロングテール構造になるのです。
売れるモノと売れないモノができれば、それに携わる人の収入も変わってしまいます。ですから収入格差をなくすことはできません。人がいいものはいいという自由がある限り。
さて、しかし、それを野放図にしては飢えて死ぬ人が出てしまいます。そこで様々な補正をすることで、多くの人が安心して暮らしていけるようにしているのが、現実の社会なのです。
(つづく)
《ワンポイントミライ》(?)
ミライ: 「いいね!」のすさまじい格差社会。それは絶対変わらない「いいね!」の本質・・。
フツクロウ: ホウじゃ。
ミライ: それはお金も一緒。
フツクロウ: ホウじゃ。