フツクロウ: ミライや、ミライや!
ミライ: は、はい! い、いつもと出だしが逆ですね。
フツクロウ: ホッホッホッ。
ミライ: でどうしたんですか?先生。
フツクロウ: 前回は、教科書に基づいた教育では、社会の知識の構造と全く違うため、社会に役に立たないという話じゃったの。
ミライ: はい。
フツクロウ: 後で考えたんじゃが、「考える力」を考える上で教科書に基づいた教育でうまくいかないことが他にもある。
ミライ: まだあるんですか。
フツクロウ: ホウじゃ。昔こんな図を紹介したことがあったの。
ミライ: はい。
[未来脳]イメージトレーニングで未来に備える(その3)
で引用したやつですね!
フツクロウ: ホウじゃ、ホウじゃ。自分が知らないことというのは、自分の知っていることの周りにほんの少しあるだけで、人類が知ってる全ての事柄はさらに外側に広大な領域としてある。前回に示した知識の構造とは違った切り口の、これも知識の構造じゃ。
ミライ: 知らないことすら分からないということですね。
フツクロウ: じゃな。しかもその図には書いてないが、その外には人類も知らない事柄がさらに広大な領域としてある。世界史で言えば、歴史の事柄には今の人類にはもう分からないことがいくらでもあるわな。
ミライ: 確かに。
フツクロウ: 世の中の知識の構造はこうなっていることを知っておくことは、考える力として非常に大切じゃ。
たとえば、小学校で訓令式ローマ字を習うのに、実際によく使われているヘボン式を習うのは中学じゃ。小学校で習うときは、混乱するから実はヘボン式もあるよとは言わない。
中学でヘボン式を習うとき、上の絵のような構造だと無意識にでも知っていれば、「そうか、そういうのもあるのか」と受け入れやすいが、そうでなければ、「なんで小学校で一度習ったのに、いまさらまた違うのが出るんだ。騙された!!!」みたいな気持ちになりかねん。
ミライ: あー、 3-5 は引けないと習うのに、中学で -2 ですって出てくるとかですね。
フツクロウ: ホッホッ。それもじゃな。というか、勉強どころかあらゆることが、つまりそういうことじゃ。なにか知識を得ても、その外には知らないことも知らない知識がある。
ミライ: ヒッグス粒子とか、羽毛が生えた恐竜とか、後から後から出てきますもんねー。
フツクロウ: ホの通りじゃ。が、教科書を学びますという形式じゃと、教科書はその中で矛盾しないように作るからの。負の数だの無理数だのを知らない範囲で完結している。「知らないこと」の外に「知らないことを知らないこと」があるという知識の構造が見えにくいし、それらが出てきた時は後だしジャンケンみたいな気持ちになる。
ミライ: はあ、まあ、そうですね。
フツクロウ: じゃがどうじゃ。ここでやったように世界史を調べ始めたときはどうじゃった?