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「ひとりで生きているわけじゃないという実感がぼくをこの世界に繋ぎ止めているのかもしれない」
コメ0 草の根広告社 1週間前
その朝は海水温の上昇を実感させられるような大雨だった。娘を車で学校まで送ってから車を家に戻してバスで仕事に向かう。コロナ禍では通勤は専ら車だったがここ一年ほどはずっと公共交通機関を使うようにしている。移動中に原稿が書けること。自動車事故のリスクから解放されること。もうひとつは地球環境に対する配...
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「少子化の本当の原因」
コメ0 草の根広告社 2ヶ月前
娘と娘の友達が畑を手伝ってくれた。草毟りをお願いしたら夢中になってやってくれた。二人と妻に任せてぼくはひたすら耕す。耕しているとカブトムシの幼虫を掘り起こしてしまう。土に戻す前に娘たちに見せてやる。「すごい」小さな命に目を輝かせながらまた草毟りに戻っていく。児童労働が禁じられている時代にこんな...
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「2024年1月17日」
コメ0 草の根広告社 3ヶ月前
午前5時40分過ぎ、NHKで東遊園地の追悼式典が生中継されていた。灯籠で作られた「ともに」という言葉。能登半島地震の被災地を始め、幾多の自然災害などで悲しみを背負ったすべての人たちへの連帯のしるし。 午前5時46分、「黙祷」のアナウンスとともに手を合わせた。
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「忘れてしまっただけなのかもしれない」
コメ0 草の根広告社 3ヶ月前
ぼくらは忘れてしまう。 1月7日。町中から集められた正月飾りが焔に包まれ、立ち上る白煙となって冬の蒼穹に消えていくのを見ながらふとそんなことを思った。波の音が聞こえる。お囃子が聞こえる。支柱となっている竹がパチンと勢い良く弾けた。傍らには空を見上げている娘の横顔。何を思っているのだろう。そして忘...
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「2024年正月雑記」
コメ0 草の根広告社 3ヶ月前
2023年12月31日 仕事を終えて午後7時半頃、横浜にある妻の実家へ。疲労回復の為に本番の前日は飲まないと決めている。アップルタイザーで乾杯。鴨鍋を頂きながら紅白歌合戦を見る。娘は「最後まで見る」とがんばっていたが9時過ぎには眠ってしまう。
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「繰り返していく季節の中で」
コメ0 草の根広告社 5ヶ月前
2023年の秋はクライマックスから始まった。ようやく秋らしい季節に入ったなと感じた途端に晩秋だった。日中は半袖で過ごしていた先日までの夏日が遠い日のことのようだ。気温の変化にまだ頭も体も追いついていない。けれど富士山には少し前から雪が降り積もっていたし、夕焼け空はそれ以前から秋の様相だった。
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「2023年11月4日」
コメ0 草の根広告社 5ヶ月前
七五三参拝の前夜、地元の神社で秋の宵宮が催された。香ばしい匂いを漂わせる屋台とお囃子の奉納。境内に続く階段で友達とうれしそうにはしゃぐ娘の写真を撮ったものの、Tシャツにビーサンという服装のせいで夏祭りにしか見えない。11月としては14年振りの夏日。晩秋とは言い難い、夏のような夜だった。ぼくらが男らし...
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「本当は丸くないのかもしれない」
コメ0 草の根広告社 5ヶ月前
海辺で暮らしていると不思議な光景に出くわす。浜辺は晴れているのに沖では雨が降っているという現象だ。雨と晴れの境目がわかることもある。見通しの良い場所ならではの光景だ。
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「ぼくはいまここにいる。」
コメ0 草の根広告社 6ヶ月前
娘と同級生を水泳教室が行われている市民プールに送り届けた後、レッスンが始まったのを見届けから再び車を走らせた。教室が終わる一時間後までに夕食の買い出しなどを済ませるのだ。一時間前まではひとりで原稿に向かっていたことを思うと肉体はここにあるのに意識は別のところに存在しているような。あるいは自分の...
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「会いたい人には会えるときに会っておこう」
コメ0 草の根広告社 6ヶ月前
54歳。還暦までが短いようでとても長く感じられるようなった。38㎞地点で脱落していくマラソンランナーのように還暦という節目の前でリタイヤせざるを得なくなった人たちが数多く目につく。実数では無事に還暦を迎えている人の方が遙かに多いのだけれど。
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「平和なのか、それとも嵐の前の静けさなのか」
コメ0 草の根広告社 6ヶ月前
明け方、津波注意報のアラームで目を覚ました。海辺暮らしでもっとも緊張する瞬間だ。未明からの冷たい雨と祝日で目の前の相模湾に出ている船はなかった。先週から鳥島近海で多発している地震による津波が続いている。アフガニスタンでも大きな地震が起きた。落ち着かない。
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「心をひらいてくれたもの」
コメ0 草の根広告社 7ヶ月前
空と海の境界線がオレンジ色に染まっていく。富士山と連なる伊豆半島の稜線が影絵のように浮かび上がってくる。暑さが和らいでようやくバルコニーで食事ができる季節になった。
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「夏の終わり、秋の始まり」
コメ0 草の根広告社 7ヶ月前
御用邸の前でバスを降りた。太陽は傾き始めていた。和らいだ陽射しを秋の涼風が吹き抜けていく。ヒグラシが啼き始めていた。別荘が連なる砂混じりの小径を抜けて浜辺に出ると黒い富士山の真上に太陽が沈もうとしていた。
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「夏の終わりの宇宙人」
コメ0 草の根広告社 8ヶ月前
夏休み最後の日曜、家族で夕暮れの海を歩いた。暑さは峠を越えた。肌を焼く陽射しも白い雲に遮られている。涼風の中に増していく秋の気配に名残惜しさを感じた。永遠に夏休みが続けばいいのにという非現実的な願いが人生の選択に直結していた父親としては娘が夏休みの最終日に何を考えているのかが少し気になるところ...
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「旅するように暮らしている」
コメ0 草の根広告社 8ヶ月前
三浦半島にはいくつかの天然温泉がある。観光地らしく宿に併設された海の見える温泉もあるけれど、多いのは古くから生活者に寄り添ってきた銭湯のような温泉だ。ぼくの暮らす秋谷にもかつてはそういう温泉があった。「大楠温泉」。秋谷が熱海のように海水浴場として賑わっていた昭和30年代。前田川の上流にある源泉か...
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「2023年が”茄子の夏”になった理由」
コメ0 草の根広告社 8ヶ月前
海辺の町で暮らすようになって環境の変化に敏感になった。環境の変化が暮らしに与える影響が都市部に比べて大きいからだと思う。 今年、里山の菜園では夏野菜の代表であるトマトが高温障害を起こした。雨が少なかったせいでキュウリもゴーヤも生育が悪かった。が、ナスだけはいつも以上に収穫できている。地元の農家...
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「2023年7月31日」
コメ0 草の根広告社 8ヶ月前
一日中、窓の外の海を横目に原稿を書き続けた。灼熱の東京に比べ気温が5℃は低い三浦半島も紫外線の強さは同じだ。浜辺に人が溢れるのも観光客が訪れる土日だけだ。平日、地元の子供たちの多くは浜辺ではなく近所の市民プールか、木々の生い茂る川で遊んでいるという。