沼田派の声
「この会社は日本そのものです。お偉いさんが決めて、私たちを動かす。私たちは労働者。あくまで道具にすぎません。ヒト、モノ、金それが資本主義ってもんでしょ。」
「ありがとうございました。」一言聞いて小林は次の営業マンに面談した。
「あなたね、たぶんだけど無駄足になると思うわよ。」
「なぜですか?」何度も聞く。無駄足。私はこういう人の努力に水をさす人が嫌いだ。
「何故って、経営陣の大半は沼田専務支持が占めているからよ。」
「本当の支持と、ポーズの支持とは違うと思います。」
「本当の嘘もないわよ。いずれにしても数の原理で沼田社長が誕生するんじゃない?」
「失礼します。」あなたと話すことが無駄なのよ。そう思って早々と面談を切り上げて営業部執行役員笹田武雄の部屋に向かった。だが秘書に門前払いをくらった。
「笹田は急遽予定を変更して本日の面談はキャンセルさせていただきます。」
インテリ秘書が冷たい目で上からドタキャンを通達した。
「納得いきません。昨日アポイントを取らせていただきました。」
「ですから、急用でお会いできません。」
大正電力の女性社員は何故こういう気取った類の人間しかいないのか。相手を見下す微笑を浮かべながらしょうがいないでしょ、と言っている。でも残念ながら私にはその手は通じません。分かるんです。こう見えてディテクティブ明智のアシスタントを5年やっている。人の気配や、嘘と本当の見極めにはとても敏感なんです。
「分かりました。では明日は、お会いできるでしょうか。」
「無理のようですね。執行役員ともなると一度チャンスを逃すと会うことは難しいんです」
秘書はスケジュール表を見るともなくぱらぱらさせながらいった。
「明日以降では、15分でもお時間いただけませんか?」
「厳しいですね。」
「そうですか。分かりました。」大人しく引き下がる素振りを見せると。ものわかりのいい、お嬢様ね。さようなら。さて今日は誰と飲みに行こうかしら。笹田執行役員の部屋の扉を開いて中に入ろうとしたその瞬間。小林は素早く切り返して扉に足と手をかけた。
「ちょっと、何をするの!」驚いて素っ頓狂な声を出す厚化粧の秘書の奥に大柄のラガーマンを発見した。
「笹田執行役員ですね。おられるとおもいました。」
「入れるなというたやろ。」昔ラガーマンでならした大正電力営業部長笹田は、もはや贅肉と化した筋肉を揺らしながら小林をしめだそうとした。
「すみません。一瞬の隙をついて」
「居留守なんて卑怯ですよ。」
「何が卑怯や君のほうこそ、だまし討ちみたいなことして。」
「foot in the doorです。営業の基本です。」
「あんたら外部のもんに話すことなんぞない。他のもんにあたれ。」
「外回りと言えば、接待営業。これは怠慢ですよね。」
「やかましい。インフラ企業は法人客が命や。」
「そんな不遜な態度で個人からは電気代値上げをして搾り取る気?顧客第一主義が聞いてあきれるわ。」
「な、なんやと。でかい声で。おい、さっさと追い出せ。」
体育会系の小林に秘書は何にもできない。とうとう部屋に入り込んでやった。元ラガーマンの笹田が追い出そうとする。
「触らないで!」
「静かにしろ。触ってなんぞおらん!何が目的や、ええ。わしが沼田専務派ということ以外に何を聞こうちゅうねや。」
「別に。営業部さんの職務怠慢ぶりが社内に伝わればそれで結構。」
「今更、社内で部長以下がもめても形勢はかわらんわ。今度こそ、将軍もご“勇退“や」
小林は大人しくなり、さっと扉を開けてでていく。扉を閉める直前に一言だけ言った。
「稲本事件。これが笹田執行役員のご勇退につながらないことをお祈りしますわ。」
口をあんぐりあけた笹田たちを置き去りにして小林は「ありがとうございます。失礼します」と慇懃な演技で出て行った。
中立派の声
「あんた、何のつもりか知らないけど、スパイみたいなことやるらしいね。」
「スパイは、こんなにどうどうと行動はしません。社内マーケティングです。」
「社内マーケティングね、そりゃもう昔のやり方じゃないかな。」
「失礼ですが、課長は大正電力の方針をどう思われますか?南雲社長のご意見ですか、それとも沼田さんの利益主義ですか。」
「どちらでもないことは知ってるんじゃないの。南雲社長の共同体ビジョンは最高だ。今の時代に終身雇用、ノーリストラ、会社は国だ。社員は家族だ。しかしどんなものにも長所と短所がある。時代性ってもんもあるでしょ。俺はね、元々電気工事の技術屋だったんだ。南雲社長の博愛主義に生かされた人間ですよ。でもねいくらうちがインフラ屋だからって、利益度外視したら会社がつぶれてしまう。どんな良い船だって時代の波に乗らないと、難破するでしょ。良い船だって、時代の波を超えられないなら乗り切れる船頭さんが船のかじとりしないとさ。」
「つまり沼田専務の利益主導型で乗り切らないといけないと。」
「とはいいきれないけどね。確かなことはこういう、なんてかな不景気には必要な人でしょ。会社は南雲さんと僕ら従業員の“国”だと信じてたけどさ、最近は会社は株主のものでしょ。株主のものってことは、お金持っている人のものってことでしょ。」
「それは極論だと思います。銀行だって、元々は預金者つまり市民のお金です。」
「まあ、まあ最後まで聞きなさいよ。要は沼田専務のように銀行屋さんとうまくやって、利益がでてりゃ、それでいいわけだ。」
「利益主導というのは、欧米流の資本主義を本格的に日本で適応するということです。つまり、会社の利益のためにはリストラと消費者負担が前提になります。」
「おれたちブルーカラーを切るってのか。」
「沼田専務の利益主導経営、いいえ本格的資本主義というのはとても冷徹です。
会社の利益を守るという“大看板”を全面にだして、多少の犠牲は大多数の利益をまもるために不可欠と言って押し通すでしょう。ご存知と思いますが、南雲社長が守っておられるあなたがの雇用は真っ先に切られます。」
「何でだよ。」
「日本に電信網がないところはもうありません。つまり、仕事がないんです。技術の方はコンピューター関連の方のみを残して・・」
「40年だよ。」
「え?」
「日本中の電信柱にのぼって、電気ひいてきた。この手を見てくれ。人間手をみりゃ、どういう仕事して、年輪重ねてきたか分かるんだ。この手で数え切れない数の電気を引いてきたんだ。電気が町に通ったときの、あの時のよろこびが分かるか。あんたの年じゃ、電気のありがたさは分からんだろうなあ。・・・マレーシア、ベトナム,タイ、アジアの国に10年回って電気引いてきたよ。彼らの純粋な笑顔ときたら、あれだけで俺は満足だったよ。技術屋は技術が資本だ。俺たちの技術が必要ない時代なら、お払い箱でも仕方がねえ・・・」
「ああ、それは辛かったでしょうね。僕なんか今時珍しい20代の電気工事屋ですから。ベテランさんの技術屋根性もわかるし、小林さんがいうような利益主導ていうのも分かるんですよ。小林さんが言うように若い電気屋は残される可能性は高いっていうのに安心していうわけじゃないすよ。ただ俺たちの世代は社長だ、専務だっていう派閥てものに興味がないし、興味持ったところで何ができるんだっていう気がするんですよ。年が近いから言えると思うんだけど、小林さんみたいにエリートも俺ら普通のブルーカラーも、何かできるっていう気がしないんじゃない?いや、ごめんね。頑張ってる人に向かって、こういうこといっちゃいけないよね。でも何しても無力感が残るんだよね。」
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