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警視庁 IT特別捜査官(上) イントロ
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警視庁 IT特別捜査官(上) イントロ

2014-09-03 12:37

    ・イントロ


    「さてと」


    山根博司(やまねひろし)は、煙草を揉み消すと軽く伸びをして立ち上がった。いかにも物憂げな調子で目頭を揉む。三十歳、大学卒業後、大手の学習塾に二年間勤めた後、先月の末まで個人指導が専門の学習塾に勤めていた。今、仕事はしていない。


    ビニールで出来た深緑色のジャンパーに、ジーンズ、風除けのマスクをしたその姿は、一八〇センチ以上あるその身長にも拘らず、どこに行っても、あまり目立つことはなかった。このとき、彼を目撃したはずのファミレスの従業員も、ドリンクバーにチーズケーキで、一時間近くひとりで過ごしたはずの彼の印象を、ほとんどないとのちに証言している。その意味では、レジ近くに設置された監視カメラに映った、釣り銭を取り損ねている山根の映像が、犯行直前に残された最後の姿になった。


    ファミレスを出た山根は、駅近くの一本道を何度か往復して時間をつぶしている。しきりに携帯電話を取り出して、連絡を待っている様子があるが、仕事帰りのサラリーマンや学生たちで溢れるこの時間帯に、誰も彼を気に留めはしない。


    背中に引っ掛けているゴルフクラブを一、二本入れるような細長いバッグの正体を通り過ぎた交番に勤務していた巡査が怪しんで職質をかけていたなら、もしかしたら、犯行は未遂で終わったかもしれない。そう言うのは、傍観者の勝手な結果論だろう。ほぼすべての突発的事態は、防ぐ余地があるにもかかわらず、必ず起こるものなのだから。


    山根はここでも煙草を吸った。三月でも気温は五度まで下がっていた。さっき飲んだコーヒーの残り香とニコチンの混じった白い吐息で両手の冷えを防ごうとした山根は、十八時にようやく、一通のメールを受け取った。


    「到着・決行二分前」


    件名もなし、簡素な内容が、ディスプレイに表示される。彼は、瞳だけを動かしてその内容を確認すると、電話をポケットに仕舞った。駅前の五階建てのビル、一階はクリニックになっていて、階段の踊り場でちょうど私物を置くようなスペースがある。そこで彼は、自分の背中で壁を作りながらゴルフケースから中身を自由にした。


    三階のオフィスでは、若い女性の講師が高校生の生徒を出迎えている。二十二歳の彼女は近くにある大学の教育学部の二年生で、この春からは小学校の教師として採用が決まっていた。


    ネームプレートにある顔写真つきのIDは、塩田愛美(しおたまなみ)。肩口でそろえた髪を明るい茶色に染めて、包容力のありそうな優しげな笑顔の印象が誰の記憶にも深かった。大人しそうなイメージに反して行動力もあり、フリースクールのヴォランティアなどにも積極的に参加して優しい女の先生として、どこでも人気があった。


    この日、彼女は教室を異動後、最後の授業の一コマ目に出るところだった。実は先週まで彼女は、二駅前の教室で仕事をしていたのだ。しかし、新学期から新任になった教室長が立場を利用して彼女をしきりに付け回すようになったのでついに本部に訴えて、ことを公にしたのである。


    当然、塾側は、彼女を含む教室関係者全員の話を聞いた上で警察沙汰にならないように、この件を処理することにした。彼女としては、一人暮らしの自宅の住所まで突き止められている可能性が高いのでやはり警察に相談するべきだと言う考えだったが、長年お世話になっている本社の人たちに説得されて、警察沙汰は思いとどまった。この時期になにか面倒があると、就職に響くかもしれないし、実際にどの程度警察が動いてくれるかも疑問だった。必ず君に迷惑は掛けないからと言う、塾長以下、信頼できる人たちの意見の方がなにかと容れやすかった。


    結果として愛美は教室を移り、その室長は依願退職という形で、まず穏便に、身を退くことになった。


    もちろん、彼女に不満や不安な点は残ったが、この問題が起こらなくても、来年赴任する学校の研修が始まる以上、年明けに彼女はこのバイトを辞めようと思っていたので、とりあえずは我慢することにしたのだった。残りの勤務は一週間。大学の試験も終わったのでアパートを解約して、来週には実家に戻るし、ストーカー化しかけたその教室長も、まさかそこまでは追ってこないだろうと、たかをくくっていたのだ。


    その日、最初の授業の前に彼女は二ヶ月前まで担当していた高校三年生の女の子と会う約束をしていた。早めに辞めようと思っていた愛美は、受験対策の生徒は極力持たないようにしていたが、OA(推薦)入試で十月までには志望校に合格が決まる女の子だったので、最後に担当することにした。


    「先生、なんでそんな早く辞めちゃうのー?」


    「ごめんね。わたし、春から本当の学校の先生になるんだ」


    合格が決まり、愛美が教室を異動する前に退塾したその女の子は、もちろん、愛美の抱えている問題を知らなかった。突然、教室を移った愛美のことを不審には思っていたが、まさか、教室長が問題を起こしたとは、夢にも思いはしなかった。


    教室はいくつかのブースで仕切られ、二人はその手前の入り口、受付のカウンター付近で話していた。ブースの仕切りは低く、入り口から、どこに誰がいるか一望出来るようになっている。正社員の担当責任者を含めて、教室には十人近い人がいた。


    突然、友達のようにはしゃぎ会う二人の背中で入り口のドアが開き、男が乱入してきた。


    その場にいる誰もがその男が、この塾の元職員で、ショットガンを持っていることすら確認出来なかった。


    爆音は立て続けに三発、その後に二発。炸裂音は爆弾が爆発したのだと、被害者たちが誤認するほどだった。最初の三発のさなか、女の悲鳴がひときわ高く上がり、ついでものが倒れる音が連続する。女が絶叫した。子どもの泣き声もする。その最中、犯人の金切り声も、絶叫していた。


    「うそつき、うそつき、うそつき、まなみ」


    犯人の男の声は裏声で甲高く、耳に痛いほどだった。


    「うらぎったなっ、うそつきっ、ころしてやるっ」


     

    学習塾に散弾銃を持った男が侵入 講師の女性を含む二人が死


     

    向かいのビルの電光掲示板が、緊急ニュースを告げている。上から下に無機質なオレンジの文字が流れていく。北浦真希(きたうらまき)は、ロータリーに立ち尽くしてバスを待つふりをしながら、顔を上げてしばらく、それを眺めていた。


    循環バスが停車している。動かない真希の後ろで、制服を着た高校生の群れが何人か、見慣れないブレザーの制服を着た彼女を怪訝そうに一瞥してバスに乗り込んでいく。


    確かにこの場所での待ち合わせが、特に不自然だと言うことは決してないし、実際、なにかが不自然であっても、本当の意味では誰も気に留めはしないはずだった。


    でも、もし、物好きな誰かが彼女を三十分でも観察していたら、彼女にとってこの待ち合わせがあまり気乗りのしないものだと言うことに気づいたかもしれない。大きな二つの葛藤が、彼女の心と行動をこの場所に縛りつけていた。


    見慣れないこの駅で降りて、実はあと、五分ほどでちょうど一時間になる。その間、彼女がしたことと言えばこのロータリーから改札までの短い二十メートルをやや挙動不審な身振りで往復してみるか、学校指定の藍色のバッグの中から、携帯電話を取り出してなんらかの着信の有無と今の時刻をチェックするか、その二種類しかなかった。


    向かいのビルに目を留めたのは、そのうちのひとつ、バッグから電話を取り出して時間を確認するのが物憂くなったからに過ぎない。


    実は今日で、先週から始まった冬期講習が三回目の無断欠席になる。始まってすでに三十分を過ぎた授業に自分がいないことが後に及ぼす影響と結果を、彼女は考えずにはいられなかった。それでもここに来なかったことのリスクを考えると、どうしてもそこから立ち去ることは出来ないと言うジレンマが、彼女の視線をさっきから何度も時計に向かわせていたのだ。


     

    傷者多数 犯人は現場から逃走した模


     

    素足をつたってスカートの中に這い上がってくる冷気に、真希は無意識に足踏みを始めていた。手袋をはめた指先すらが、もう感覚を失いかけるほど冷えていた。彼女はもう一度甲斐なく辺りを見回すと、両手で唇の辺りを覆い、そっと息を吐きつけた。顔もなにもかもが強張って、表情すら作れそうになさそうだ、と彼女は思った。


    「ねえ」


    そのとき、後ろから急に男の声が立った。彼女の年から言えば、先輩だと呼べる範囲くらい年上の、ちょっとラフそうな男の声だった。真希は自分ではないと思っていたから無視していたが、肩を軽く小突かれて、おずおずと彼女はそこを振り返った。やっぱり。まったく、見覚えのない男がそこに立っていた。


    「キミ、あれでしょ・・・・・キタウラ・マキちゃん?」


    男は狎れた口調で、真希のフルネームを呼ぶ。


    「・・・・・はい・・・・・・え、いや、でも・・・・・」


    誰ですか? 怪訝そうに上目遣いで相手をうかがった真希の肘の下で、電話がけたたましいバイブ音を立てて鳴り響いた。予想外の事態の連続に、彼女はどちらの対処も出来ずに困惑した。


    「電話」


    男は言って、バッグを指差した。とったほうがいいと言っているのだと、真希は解釈した。あわててバッグを押し開けた。青く点滅していたコールは、彼女が電話をとった瞬間、勝手に途切れた。途方に暮れた顔で、真希は電話を握り締めた。その様子がおかしかったのか、目の前の男は、意外に無邪気な顔をして笑い声を立てた。


    「大丈夫?」


    大丈夫のはずがなかった。責任の所在を持っていきようがなく、救いを求めるように、真希は視線を泳がせた。あれだけ待っていた電話に出られなかった。後で、絶対にまずいことになる。泣きそうにすらなった。ねえ、と、なぜか男が声を上げる。


    「勘違いしてるとこ悪いんだけど、それ俺だから」


    彼は自分の電話のディスプレイを見せて言った。あわてて電話を確認する。確かに、見慣れない着信がそこに入っていた。


    「ね?」


    笑顔で、彼は言った。青いカラーコンタクトを入れた目が三日月形に細まる。どうみても、それに見覚えはなかった。


    「え?・・・・・・・あの・・・・・」


    状況が把握できない、と言うように、真希は男の顔を見直した。彼の電話にはフルネームで真希の電話番号が入っている。だがもちろん、彼とは面識などないはずだ。接点もなさそうだ。少なくとも真希の住んでいる世界に、彼のような人間はいない。


    たぶん、脱色した髪をまた染め直した長い黒髪、目蓋と唇にボールピアス、薄いあご髭。クラーケンをプリントした黒のシャツに目の覚めるような白のダウンジャケット、だぶだぶのスラックス。顔を近づけると、むっとするほど甘い、オーデコロンの匂いがした。


    「ごめんね、待たして。聞いてるっしょ、話。ミコトから」


    ミコト。その名前に反応して、真希は顔を上げた。


    「ミコトが?」


    そうそう、と、相手は大げさな身振りで両手を広げて、


    「先、連れてっといてってメールもらってるから。今、他のやつらが車まわしてきて、こっち来るから、もうちょっと辛抱してて」


    拝むような仕草をすると、彼はメールの着信に気づいてどこかに返信した。真希がまだ、自分を不審そうな顔つきで見ているのに気づくと、あ、と少し大げさに声を上げて、


    「ごめん、あ、つか、言ってなかったっけ? オレ、モリタ。モリタ・カツユキ。よろしく!」


    無駄に元気そうな声で言うと、モリタ・カツユキは握手を求めてきた。別にしようと思わなかったが、やっぱり、なりゆきに任せて真希は手を出した。握り返されたその手は、生ぬるくて、なぜか少し湿っていた。


    他に二人の男が、バンに乗ってやってきた。全員、モリタと同年代かひとつ下くらい。話し振りから、中学か高校か、とにかく学校が一緒だったらしいことが分かった。


    バンはリアにウイングのついた黒いステップワゴンだった。バンドかF1のステッカーが、無作為に貼られている。中は、大音量でトランス系の音楽が流れている。単調なパターンのリズムとシンセサイザーののっぺりした音が、外まではっきりと漏れてきた。


    真希は窓際に詰め、隣にモリタが座った。


    「もうひとり、後で拾うからさ、そいつ来たらそっち詰めてよ」


    ミコトだと、真希は思った。首を横に振りたかったが、言うとおりにした。

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