「バンビのうさぎ」の恐ろしさ
久しぶりに初期のディズニー映画を観ている。
漫画アカデミーの授業で「自分の中のバンク」を豊かにするための基礎教養として「初期ディズニー映画は観てね」と何度も言っているので僕も見返しているのだ。
何度も観たのにやはり凄いと思う。
特に今のデジタル化されたアニメに慣れている目には「アナログの力」に圧倒される。
今見ると最初の劇場用長編アニメ「白雪姫」は明らかにアートの歴史を塗り変えた作品だ。
ディズニー本人も「これは芸術なのだ」と言っているけど、まさに正統の自然主義的な表現にコローなどの風景画、アメリカの画家が描いてきた北米の自然描写など「王道の芸術」に「カートゥーン(漫画)」が合流して「新しい表現」が誕生したのを感じる。
中国やロシアでも素晴らしい「芸術アニメ」は生まれるのだけど。1937年に誕生した「白雪姫」は圧倒的な完成度で、しかも商業的に大成功を収めた(そのためアンチも多い)作品だった。
【お説教アニメ】
ディズニーアニメはあまりに商業的に成功したため、これをアートの文脈で語る人は少ない。
その後のディズニーランドビジネスの成功で「デートカルチャー」「ファミリーもの」「虚飾の世界」みたいなイメージも蔓延して、大友克洋みたいなのが好きな人には「ダサい文化の象徴」みたいになっていった。
実際ディズニーカルチャーは「プリンセス幻想の権化」であるのはもちろん、初期作品は特にお説教臭い。
初期ディズニーの核には2人の娘の父親だったウォルトが抱える「正しい父親像」からの「正しい」(とされる)メッセージがあって、これが「うるせえよ」と感じさせる原因だろう。
その「正しさ」はキリスト教的、白人的な匂いが強い。
逆にこれが「倒すべき巨大な敵(父)」となって後のクリエイターを育てたとも言えるだろう。
そんなこんなで「偽善」が大嫌いな1部の人達には頭ごなしに無視されるディズニー作品。
だけど「そういう部分」を外して見ると実に多くの発見がある。
【うさぎ】
ウォルトは長編アニメを作るにあたって、アニメーターに「徹底した自然観察」を要求した。
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