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2013年1月第4週号
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2013年1月第4週号

2013-01-27 15:53
    ─ 2013年1月第4週

    週刊アゴラ、第027号をお届けします。


    コンテンツ

    ・ゲーム産業の興亡(37)
    プレイステーションが起こした重要な2つのイノベーション

    ・『財政破綻でもうける方法〜外資系金融の終わり〜エピローグ対談』
    藤沢数希氏×池田信夫
    最終章 民主主義の限界(その1)


    アゴラは一般からも広く投稿を募集しています。多くの一般投稿者が、毎日のように原稿を送ってきています。掲載される原稿も多くなってきました。当サイト掲載後なら、ご自身のブログなどとの二重投稿もかまいません。投稿希望の方は、テキストファイルを添付し、システム管理者まで電子メールでお送りください。ユニークで鋭い視点の原稿をお待ちしています http://bit.ly/za3N4I

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    特別寄稿:

    新 清士
    ゲーム・ジャーナリスト

    ゲーム産業の興亡(37)
    プレイステーションが起こした重要な2つのイノベーション

    94年に発売されたソニー・コンピュータエンタテインメントの「プレイステーション(PS)」と、セガの「セガサターン(SS)」は当初こそ互角の普及台数を競っていたものの、やがて、32ビット世代と呼ばれるゲーム機戦争の勝者となる。そのまま、初参入のSCEが、00年の「プレイステーション2」の時代まで、勝利し続けることになる。今回は、PS世代の歴史を簡単に振り返り、SCEが成功する要因となった二つのポイントに触れていく。


    ■プレイステーション時代のライバル セガ、任天堂

    セガは、よくも悪くも、自社のタイトルがゲームセンターで圧倒的に強い時代で、ナムコ、コナミ、タイトーといった有力ゲーム会社が、ゲームセンター事業では直接競合していた企業があった。そのため、SS向けに有力なサードパーティを獲得することができなかった。
    さらに、SSは世代的に3Dグラフィックスが来るとは予測されて設計されたハードではなかった。まだ、今後数年は、家庭用ゲーム機は2Dが中心となると考えられていたからだ。そのため、PSが3Dを全面に出してきたのは、セガにとっては大きな衝撃となった。SSは16ビットのCPUを2機搭載していたものを、無理矢理、3Dグラフィックスを表示するための特殊なプログラミング開発を行わなければならず、技術的なハードルは高かった。

    ただし、PSにぶつけるためにリリースされた94年のSS版「バーチャファイター」はグラフィックスこそゲームセンター版よりも大きく劣るものの、ゲームとしての完成度は高く、SS当時のセガの技術陣のレベルの高さを感じさせる。
    もちろん、キラータイトルとしてハードの普及を牽引した。PS版「リッジレーサー」でショックを受けた当時の開発陣は、必死に追いつこうと開発を行ったようだ。しかし、サードパーティには、最後までSSは3Dグラフィックスを扱うのは、難しいハードだった。

    任天堂は、スーパーファミコンの後継機として「NINTENDO64」の開発を行っていた。当時、世界最高の3Dワークステーションの製造会社米シリコングラフィックスとハードウェアの開発をおこなっていた。映画「ジェラシック・パーク」や「トイストーリー」などのCG映画製作のためには同社のハードウェアを使うのが当然だった。
    しかし、開発は難航し、結局発売は96年まで遅れた。そのため、先行するPSやSSに、普及という面で、出遅れることになる。PSと同じように3Dグラフィックスを目玉にしていたが、プログラミングは格段に難しく。「スーパーマリオ64」など、現在まで3Dゲームの表現方法の文法に大きな影響を残している傑作ゲームを生みだしながらも苦戦が続いた。

    また、ソニーを切ってまで、フィリップスとディスク媒体を利用するという発表が行われていたが、結局、子供が扱うには、ディスクメディア方式では傷をつけやすいデメリットがあると判断が行われ、従来のROMカセット方式を採用することに決めた。ただ、すでに「スーパーファミコン」の後期には各ゲームのデータ容量が増え続けており、ROMカセットでは非常に高価につくようになってしまっていた。

    PSが採用したCD−ROMは540MBという大容量でありながら、製造コストはROMカセットよりもはるかに安かった。ROMカセットでは数千円かかっていた製造費は、原理的には数百円へと急激に落ちていく。そのため、より大量のデータを使ってリッチなゲーム表現を求めるゲーム会社のニーズが高まっていたこともあり、サードパーティの任天堂への支持は広がらなかった。
    PSの優位性は、97年の「ファイナルファンタジーⅦ」(スクウェア)が、PSでの開発されることが発表されたことで決定的になった。「スーパーファミコン」時代のフラッグシップタイトルが、PSで発売されるというニュース自体をSCEはテレビCMを打ってアピールするほど、ビックニュースだった。


    ■90年代のゲーム機の争いは「最新カスタムチップ」と「流通プロセス」がポイント

    PSには、これまでの家庭用ゲーム機になかったイノベーションがいくつも存在しているが、重要な2点を上げておきたい。

    1・3Dグラフィックスを利用した比較的開発のしやすい「最新のカスタムチップ」を使ったゲーム開発環境を提供したことで、新しい技術への参入障壁を下げ、また、積極的に参入企業を受け入れたことで、様々な新しいゲームが登場させることに成功した。
    2・任天堂時代のROMカセットによる流通システムをCD−ROMという新しい記憶媒体の特性を利用して簡素にし、「ゲーム流通のプロセス」をシンプルにした。

    現在にまで通じるポイントと、同時に違いを指摘しておきたい。

    まず、第1に、90年代から2000年代初頭のゲーム機の争いは、自社の新しい技術を使ったカスタムチップをどのように開発をして、そのハードを早期に普及させていくことができるのかで勝負が決まるという争いだった。これは07年代以降のスマートフォンの登場(04年以降の日本国内の仕様を統一化したガラケーも含めてよい)や、パソコンのブラウザでハードウェアの区別なくゲームをプレーすることが当たり前になるにつれて、顕著になる。
    現在ではゲームを遊ぶために必要な専用のカスタムチップの製造の必要性は、相対的に低下してきている。ハード技術の陳腐化が進み、差別化がの意味がなくなってきているためだ。家庭用ゲーム機という区分けが必要なのかが問われるまでの時代に入ろうとしている。

    ゲーム機のカスタムチップは、コンピュータ技術の最新鋭の時代として、華々しく争いが行われていたが、たかだが15〜20年あまり前の話である。90年代には、現在のような陳腐化の時期が来ると、想像できた人は皆無だったと言ってもいい。

    いずれ紹介していくが、「プレイステーション3」が搭載するCELLチップは、現在のクラウドコンピューティングを、CPUを利用して行うことを目指した野心的な提案だったが、現在から見直すと無謀な試みであったということがいえる後日紹介するが、「ムーアの法則」を織り込んで戦略を立てて、成功していたSCEでさえ、その方向を見誤っている。


    ■SCEが意識的に取り入れた「ムーアの法則」戦略

    ただ、プレイステーション世代では、家電企業ならではのノウハウをSCEは利用してハード展開を押し進めている。ムーアの法則の利用だ。これをハードウェアの低価格化するための戦略のために利用している。チップ性能は、約2年で2倍になるというムーアの法則は、逆に言うならば、同じ性能であれば、CPUといった半導体の製造面積を縮小することができる、つまり、安価に製造できるということになる。

    半導体は、製造過程では15〜30センチの円盤状で、0.2〜0.5ミリのシリコンウェハーの上に、何枚もの半導体を基盤に印刷するような形で製造される。それを切り離すと半導体チップ(ダイ)になる。一方で、ダイを安定的に製造できる半導体の配線の密度の技術は、その時どきの技術で決まっている。ムーアの法則は、同じ大きさのチップの上に半導体の密度を高めることでコンピュータ性能が引きあがっていくプロセスを利用することで、実現されている。

    インテルなどの半導体企業は、常に最新の性能を実現するために、集積度を高めることでコンピュータの性能を引き上げる戦略を採っている。そうすることで、常に性能の高い半導体を発売し続けることで、付加価値をつけて高い価格帯を維持しながら販売しつづけている。最新のスペックに常に力点がおかれ、数年ごとに最新のハードの購入が期待されるWindows PCといった汎用PCの戦略を基準にムーアの法則は語られることが多い。

    SCEは、これを逆の戦略として利用した。同じ性能の半導体のダイのサイズを縮小していく(シュリンク)ことで、製造コストを引き下げ、ハード全体の回線も小型化を進めることでコストをPSそのものの販売価格を引き下げていったのだ。
    それにより、94年の発売時には4万9800円だったハードは、段階的に値下げが行われ、97年には1万5000円にまで価格が下がっている。最終的には7種類のバージョンが発売されるが、最初期の「SCPH-1000」に比べ、99年に発売された最終形に近い「SCPH-9000」では内部のチップサイズは半分にまで小さくなり、この値段が実現できるようになっている。

    この戦略は、「プレイステーション2」や「プレイステーション3」、「プレイステーション・ポータブル」でも使われるようになり、他のゲーム機でも使われる戦略に変化して、現在ではマイクロソフトや任天堂も採用するようになり、一般的な戦略になっている。家庭用ゲーム機が、5年あまりハードウェア性能が固定化できるためにできる戦略だからこそできる戦略だ。

    最初に最新鋭の技術を使ったカスタムチップを製造し、ムーアの法則に合わせてシュリンクをすることで普及を促しシェアを押し進めていく。先進的なガジェットに飛びつくアーリーアダプターから、価格に敏感なレイトマジョリティにまでアピールするためには、時代にフィットした戦略だったとも言える。

    「流通」については、来週以降に紹介していく。


    □ご意見、ご質問をお送り下さい。すべてのご質問に答えることはできないかもしれませんが、できる範囲でメルマガの中でお答えしていきたいと思っています。連絡先は、sakugetu@gmail.com です。また、既存の執筆記事情報をまとめたサイトもスタートしました。「新清士オフィシャルブログ」http://blog.livedoor.jp/kiyoshi_shin/ ご参照いただければ幸いです。


    新 清士(しん きよし)
    ジャーナリスト(ゲーム・IT)。1970年生まれ。慶應義塾大学商学部、及び、環境情報学部卒。他に、立命館大学映像学部非常勤講師。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)副代表。日本デジタルゲーム学会(DiGRAJapan)理事。米国ゲーム開発の専門誌「Game Developers Magazine」(2009年11月号)でゲーム産業の発展に貢献した人物として「The Game Developer 50」に選出される。連載に、日本経済新聞電子版「ゲーム読解」、ビジネスファミ通「デジタルと人が夢見る力」など。
    Twitter ID: kiyoshi_shin



    『世界金融バブル 宴の後の二日酔い』
    藤沢数希×池田信夫

    最終章 民主主義の限界

    池田:日本がそういう三流国家にならないために、何かアイデアはありますか?

    藤沢:いまの日本経済の問題は製造業がずっとダメなことです。製造業って雇用をすごく吸収してたんですけど…。困りましたね。だって製造業を捨てろって簡単にいいますけど、その雇用をどこで吸収するかっていう。経済学の教科書に書いてあるように成長産業に勝手に移っていって、成長産業が盛り上がるというふうに、スムースにはおそらく進まないかもしれません。
     でもまあ日本の製造業はこう、いろいろ強い面もあるけれど、やっぱり右肩下がりになっていくのはやむを得ないから、結局それは、ソフトウェア産業などでやっていかなきゃいけないんですけど、いまのソフルウェアはアメリカにボロ負けしてますよね。
     製造業に代わるものが出てくればいいけど、それも官僚とか政治家が産業政策やるというのは全然ダメだと僕は思ってるんです。それを民間から勝手に出てくるような仕組みが必要ですよね。

    池田:いままで日本が一番得意にしていた部分が、新興国に取られていっちゃうでしょ。他方でアメリカがリードしているような金融とかソフトウェアのような産業は弱い。流通とか福祉とかいうサービス業は生産性が低い。これから食っていく柱になる産業がないのがつらいところです。

    藤沢:ただ、製造業と一言でいっても、自動車はあのリーマンショックなんかからもV字回復してきているし、電子部品とか、そういうアナログの電子デバイスなんかは日本は非常に強いですね。3・11の後にiPhoneの製造が止まったりしたように、日本ってやっぱりそういう電子部品がすごく強いんですよね。
     エレクトロニクスの方は、それを最終製品にして、いろんなプラットホームと一緒に売るっていうのは、そのプラットホームに関してはアメリカに完全にやられてボロ負けして、組み立てる方に関しては台湾とか、韓国にボロ負けしたわけですよね、基本的に。
     ただ一つひとつの要素技術は、日本ってやっぱりいいし、自動車もいいし、製造業は基本的にはまだ強いんですよ。ただ、流れとしてはやっぱり多くが新興国の方に移っていくものだから、低付加価値のものを新興国に移して、日本にどうやって高付加価値の研究開発拠点などを残して、また、どうやって別の産業ができてくるかってのを考えないといけないんですよね。

    池田:ところで、藤沢さんの本のもう一つの教訓は、資本主義は最後は資本の論理で動くものだから、日本みたいにいいものを安く作ろうっていうだけでは、もう限界に来ている。アメリカの投資銀行がここまでやってきたのは、グローバルに見て、ひたすら資本効率の悪いところから資金を引き上げて、資本効率のいいところに資金を回し続けてきたからですよね。

    藤沢:確かに、世界の金融機関はいろんな不祥事が起こったんですけど、日本は周回遅れで、資産規模などは上の方に来たんだけど、日本でも資本の論理で、製造業なんか再編成すれば、まだまだいける部分はありますよね。でも、できないのは、日本には特にとりわけやりにくい法律があるとか、そういうわけじゃなくて、もう文化の問題なんですよね。
     儲からない部署を売り飛ばしたり、日本でもできるわけですよ。法律的には。企業買収だってできるし。でもそういうことはよくないっていう文化があるんですよね。

    池田:外資系にがんばってほしいと思うのは、日本がこれからなんとかして立ち直るためには、やっぱり資本主義に立ち帰るしかないのかなと、個人的に思っているからなんですよ。

    藤沢:製造業、いまダメなパナソニックとかソニーとか、シャープとかは、資本の論理で再編成すれば、そこそこいい会社がいろいろできるでしょうね。

    池田:ソニーなんて連結子会社が800社もあるんですよ。そんなのは資本主義の原理に反してますよ。

    藤沢:ソニーはもともと得意だったAV関係とか、プレイステーションだとかみんな赤字で、テレビとかスマホなんか当然ボロボロで、プロ用のカメラとかデジカメがちょっと儲かってて、基本的にはほかの部分は全部赤字で、その赤字をソニーファイナンシャルの金融ビジネスが全部穴埋めしている状況なんですよね。確かにソニーバンクはすごくよくできてて使いやすいんですよ(笑)。

    池田:シャープだってあそこまで追い込まれる前に、もうちょっと資本の論理で、事業売却みたいなことをやって、ソフトランディングすればよかったのに、ぎりぎりまで守ろうとしてきた。ここまでくると、下手をすると清算される可能性もありますよね。今は買ってくれない可能性もあるでしょう。エルピーダも政府がお金入れたりなんかして、最後は結局パーになっちゃって、ルネサスも同じパターンになろうとしている。

    ※次号「最終章 民主主義の限界(その2)」に続く。(この対談は、アゴラから電子書籍として販売される予定です)
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