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ニコ生アゴラちゃんねる、第028号をお届けします。
配信が遅れまして申し訳ございません。
コンテンツ
・ゲーム産業の興亡(38)
スーパーファミコン時代ソフトウェアの高価格化が進むゲーム
・『財政破綻でもうける方法〜外資系金融の終わり〜エピローグ対談』
藤沢数希氏×池田信夫
最終章 民主主義の限界(その2)
アゴラは一般からも広く投稿を募集しています。多くの一般投稿者が、毎日のように原稿を送ってきています。掲載される原稿も多くなってきました。当サイト掲載後なら、ご自身のブログなどとの二重投稿もかまいません。投稿希望の方は、テキストファイルを添付し、システム管理者まで電子メールでお送りください。ユニークで鋭い視点の原稿をお待ちしています http://bit.ly/za3N4I
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特別寄稿:
新 清士
ゲーム・ジャーナリスト
ゲーム産業の興亡(38)
スーパーファミコン時代ソフトウェアの高価格化が進むゲーム
ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が、任天堂体制に対して大きく成功した要因は、ゲームソフトの流通体制の完全な見直しにある。任天堂は、元々オモチャの分野から出てきた企業であることもあり、ゲームソフトの流通体制はオモチャの卸企業を中心に作りあげていた。「初心会」と呼ばれる任天堂が組織化していた卸流通の体制だ。この体制は、排他性を持っており、任天堂への忠誠心を持っており、古い関係を持っていなければ、参入できないという巨大な壁を作っていた。
■どっちに転んでも任天堂が儲かる仕組み
しかし、任天堂はゲーム開発企業にも、初心会の卸企業にも、非常に厳しい条件を付けていた。ゲーム開発会社は、任天堂のソフトを発売する上で、年間にリリースすることが出来る本数が制限されていた上に、ゲームの質についてもチェックされ内容に口を出された。そして、最大の厳しい点は、ROMカセットを生産する上では、任天堂の指定工場で生産しなければならない上に、その費用は生産開始前に前納しなければならない。
これは初心会の卸流通に対しても同様だった。ゲームの新作タイトルは完全買取で、返品を一切認めなかった。注文したゲームの本数は、売れようが売れまいが、必ず購入費を全額負担しなければならなかった。この習慣は、現在でも残っており、日本の家庭用ゲームが欧米圏に比べて高い価格帯にある理由になっている。そのため、日本では80年代には後半には、中古ゲームを取り扱い始めるゲームショップが広がり始めた。
そのため、任天堂にとっては、ゲームを生産する際にもリスクもゲーム会社に持たせることができ、卸から店頭への販売を行う場合にもリスクがない自身が、安全な完璧な市場体制を築くことができた。これは任天堂の高収益の源泉となった。しかし、それでも大ヒット作が出て市場から収益が出ていたために、多くの企業は従っていた。一方、中小企業にとって、事実上の参入を不可能にしていた。
ちなみに、この生産時の事前のコストの前納という体制は現在も変わっていない。任天堂のプラットフォームを、サードパーティが敬遠しがちになる理由になっている。この部分の条件の緩和を通じて改革を求める声は、「ニンテンドーDS」でも「Wii」でも極めて高かったが、現在も譲っていない。任天堂のプラットフォームがサードパーティにとって収益を出しにくいと言われる理由の一つでもある。
■人気ゲームに不人気ゲームの抱き合わせ販売が一般化
しかし、任天堂が作りあげた体制には、重要なポイントがある。ハードウェアプラットフォームが収益を上げる現在まで続く体制を確立したことだ。任天堂はハードウェアでは利益を出さない低価格で販売するが、プラットフォームが収益を上げるには、ROMカセットの生産コストを実際に製造にかかる費用よりも、高い価格帯に設定している。その差分をライセンス料として徴収することで、ROMカセットの製造工程で、確実に利益を生み出せるようにしたのだ。
ただ、この体制は卸企業にとって当然厳しい条件だ。「スーパーマリオブラザース」などの任天堂が開発しているゲーム、ロールプレイングゲーム(RPG)の「ドラゴンクエスト」シリーズ(エニックス)、「ファイナルファンタジー」シリーズ(スクウェア)といった人気ゲームならば高い販売本数を期待できる。
しかし、小売店にとっても売れ残ったゲームは大きな負担になる。返品することもできず、ユーザーのニーズは存在しないため在庫だけが残ってしまう。任天堂はこの点の救済策を提示することはなかった。
そこで、一部の小売店で起きるようになったのは、抱き合わせ販売だ。例えば、発売されるたびにヒットの本数が上昇し続けた「ドラゴンクエスト」シリーズは、「ドラゴンクエストII 悪霊の神々」(87年、ファミコン)が240万本を超えたヒットになり、「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」(88年、ファミコン)は380万本、「ドラゴンクエストIV 導かれし者たち」(90年、ファミコン)は300万本という社会現象になるまでの大ヒットになった(注1)。
しかし、こうした人気の高いゲームを手に入れたい場合には、不人気のゲームとセットで購入しなければならないという条件を付けて販売するゲーム卸や小売店が現れた。ROMカセットは生産のタイムスパンが2〜3ヶ月と長いため、人気商品の店頭在庫がなくなっても、すぐに補充されることがないこともあり、仕方なく購入させられるというケースも少なくなかった。
この方法には、社会的な批判が生まれ、任天堂自身も初心会を通じて、それをしないように圧力をかけていたが、完全には解決されることはなかった。藤田屋という卸企業は、1990年に小売店に向けてドラクエⅢ、Ⅳに合わせて、抱き合わせ販売は違法行為として、公正取引委員会から独占禁止法違反として勧告を受けている。これは氷山の一角に過ぎず、当時は頻繁に行われていたということだ。(注2)
■止めることのできない高騰化するゲーム
また、ゲームソフトの販売価格の高騰も大きな問題になっていた。1990年の「ドラゴンクエストⅣ」は、4メガビット(0.5MB)と当時としては、最大サイズのファイルサイズが収納されていた。これはⅠ〜Ⅲを合計したファイルサイズよりも大きく、ROMカセットも最大のサイズが使われていたため、8500円という価格が付けられていた。
これの傾向は、より性能の高いスーパーファミコンでは、さらに加速化した。1992年には、定価が1万円を越えるソフトが登場し始めた。任天堂自身も「スーパーマリオカート」〈スーパーファミコン)に8500円の価格を付けた。
この傾向を止めることは難しく、1994年の「ファイナルファンタジーⅣ」(エニックス、スーパーファミコン)は、24メガビット(6BM)の当時としては最大サイズのデータ量を使ったために、1万1400円という価格を付けて販売された。それに追従する形で、多くの企業のゲームの販売価格は、「プレイステーション」発売の翌年の1995年には1万円を越えるのが当たり前になった。90年代のゲームは非常に高かったのだ。これはROMカセットが物理的なメモリを利用しているために避けられないことではあった。
SCEは「プレイステーション(PS)」で、販売価格の高騰に、卸から流通システムの課題を一気に解決する戦略を整えることで、任天堂へのアンチテーゼとして登場した。それが、ROMカセットから、生産価格がROMカセットに比べて、はるかに低価格で製造できるCD−ROMを使った方法だった。SCEは、PS向けゲームは5800円を基準とした。これは当時としては、任天堂のゲーム市場に対しての完全な価格破壊だった。
(注1)これらの販売本数は当時の推計値であり、統計データが整えられ始める90年代後半以前であるため、正確ではない。エニックス(91年)、スクウェア(94年)と上場前後であったことも確実な根拠のある正確な数字を特定することを難しくしている。
(注2)(株)藤田屋に対する件 独占禁止法19条 http://snk.jftc.go.jp/JDSWeb/jds/dc/DC005.do?documentKey=H040228H02J01000002_
□ご意見、ご質問をお送り下さい。すべてのご質問に答えることはできないかもしれませんが、できる範囲でメルマガの中でお答えしていきたいと思っています。連絡先は、sakugetu@gmail.com です。「新清士オフィシャルブログ」http://blog.livedoor.jp/kiyoshi_shin/ も、ご参照いただければ幸いです。
新 清士(しん きよし)
ジャーナリスト(ゲーム・IT)。1970年生まれ。慶應義塾大学商学部、及び、環境情報学部卒。他に、立命館大学映像学部非常勤講師。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)副代表。日本デジタルゲーム学会(DiGRAJapan)理事。米国ゲーム開発の専門誌「Game Developers Magazine」(2009年11月号)でゲーム産業の発展に貢献した人物として「The Game Developer 50」に選出される。連載に、日本経済新聞電子版「ゲーム読解」、ビジネスファミ通「デジタルと人が夢見る力」など。
Twitter ID: kiyoshi_shin
『世界金融バブル 宴の後の二日酔い』
藤沢数希×池田信夫
最終章 民主主義の限界(その2)
池田:で、やっぱり、なんだかんだいってアメリカの企業は立ち直って、ダメだ、ダメだっていわれながら、80年代がたがたになって、また立ち直って、で、またリーマンで今度どうなるか分かりませんけど、やっぱり資本の論理で、新しいものが出てきて、組み替えるってことやってきたじゃないですか。
それを日本は極端に嫌って、新しい会社が出てこないんですね。それが根本的な問題だと思うんですよ。
藤沢:日本は2006年ごろに村上ファンドみたいなプライベート・エクイティ(株式を保有するファンド)がいろいろでてきたんですが、その人たちが、どんどん産業構造を再編していくようなことがあってもよかったんですよね。資本の論理で。
堀江さんのライブドアもIT企業というよりはむしろ金融会社で、企業買収なんかもすごいしてて、あの流れは正しかったんですよ。それがいっぺんに二人とも逮捕されちゃって、冷や水を浴びせられましたよね。
池田:アメリカでいうと、80年代のドレクセルとかが出てきたときと似ていたわけですが、アメリカの場合は一度一網打尽にやられて、そのマイケル・ミルケンとかが牢屋に入ったわけだけど、90年代また戻ってきたじゃないですか。
日本が弱いのは、ホリエモンがやられると、企業買収が陰をひそめてしまう。資本の論理が強くない。最後は従業員を守るということになるわけです。そこのところは、さっきおっしゃったカルチャーの問題だと思うんです。法律的には日本はもう資本主義で全然自由なんですよ。
日本は中から外への直接投資がすごいんですが、外から中への投資が非常に少ない。ちょっと前はGDPの2〜3%とかいわれていたけど、去年なんかマイナスです。直接投資が中にこなくて、撤退してるんです。KKRも、この間初めてルネサスに1000億円出すとかいうと、日の丸ファンドが出て来て横取りする。救いがたい状態です。KKRみたいなプライベート・エクイティが、日本でもっとがんばれるような環境を作らないと、活気づかないじゃない。
藤沢:そういう民間のプライベート・エクイティががんばってもらうよりは、政府のなんとか政策ファンドとかがやろうっていうおかしな話になってますよね。
池田:『「日本史」の終わり』にも書いたけど、やっぱり資本主義ってのは日本人には身についてないんだなと思います。明治以来百何十年経っても身についてないんだから、なかなかこれは難しい問題ですね。
藤沢:そうするとだらだらとまた衰退していくしかないですからね。困ったんもんですね、ほんとに。
池田:そういう意味では、さっさと財政破綻して、ハードランディンングすれば、多少は変わるかもしれない。
藤沢:このままジリジリと、10年先か、20年先かわかんないですけど、こう落ちぶれていって最後はハードランディングするわけじゃないですか。そういうシナリオですね。
池田:遅くなればなるほど、ハードランディングしたときに立ち直りにくくなるから、早めに破綻して、IMF(国際通貨基金)に来てもらったほうがいいかもしれない。
思えば小泉政権のころ、2001年からさっきの村上ファンドが出てきた2006年ぐらいまでの約5年間は、不良債権問題をハードランディングして、日本の中でもちょっと変化の兆しがあった。
そのあと間接金融だけではダメだってことで、プライベート・エクイティみたいなのが出てきて、日本も資本主義でやろうってみたいなのがあったのが、ホリエモンの事件で挫折しちゃって、そこからずーっと長い沈滞の時代が続いてるって感じですよね。
藤沢:そういう意味では、ライブドアショックっていうのは結構大きな意味があったんですよね。あの、堀江さんをいきなり逮捕したっていうのは。あのあと学生もベンチャー企業に就職しようって人はすごく減ったらしいんですよね。起業しようって人も。
池田:だから、やっぱりこの問題は資本主義というのが日本に根付くかどうかという非常に難しい問題に行き着いちゃうのかな、と。
藤沢:いま、世の中的に、アメリカの金融業界っていう資本主義の総本山みたいなところがこんなふうになっちゃったし、日本だっていま、大企業のサラリーマンとかいつリストラされるかわからなくって、みんなきゅうきゅうとしているわけじゃないですか。その中で、なんかそういう資本の論理で、ダメな経営者を交代させたり、会社の不採算部門はタダ同然で売り飛ばしたり廃止してリストラしていこう、という民意が高まる可能性はそんなに高くはないと思うんですよ(笑)。
池田:近代国家というのは、リスクを押しつけられても、そのリスクを吸収できちゃうすごい大きなポケットがあるから。
藤沢:行き着くところまでいく。
池田:行き着く政治力持ってる人が一番儲かるようになっちゃう。なんで金融が儲かるかっていうと、結局、国家というポケットに一番近いところで商売をやってるから。
藤沢:国家もありますけど、巨大投資銀行は、世界の金の流れの中心に座ってるわけですからね。しかも、その仕組みがほかの人に理解されにくいから、あんまりマスコミからも攻撃されないという…。攻撃されても、的外れな攻撃が多いみたいな感じです。だから金融業界って、政治力もあるし、しかも複雑さという鎧もあるわけですよ。
池田:どうすれば直るのかっていうのが、なかなか前向きな話にならない。シカゴ大学のジンガレスが最近出した『人々のための資本主義』("A Capitalism for the People")が、似たようなテーマを扱っていて、彼はもとイタリア人なんです。イタリアは親類縁者で全部やるみたいな国で。それが嫌になって、アメリカに来たと。
ところが彼が言うには、アメリカの大学はすごい実力主義で、最初よかったんだけど、結局その2008年以降ね、アメリカがイタリア化してきたと言うんです。それが特にひどくなったのが金融危機のあとで、政府に食い込んだ金融機関が巨額の金を注入してもらうというひどいレントシーキング(利権追求)が起こった。
"A Capitalism for the People," Luigi Zingales
http://goo.gl/PJvuM
藤沢:そうなんですよ。だから、基本的にいままでの金融のやり方はダメだったんだけど、それで次のシステムは何かというと、確かに社会主義っぽくなって、イタリアっぽくなってきたんですよ。アメリカだけじゃなくて、世界中が(笑)。だから、いままでもダメだったけれど、もっとダメな仕組みになっているんですね。
池田:彼も最後はどうすればいいのかっていうのは、あまりはっきりしないんだけど、これは大きくいえば、近代国家の仕組みがかかえてる矛盾が出て来たのかも知れない。潜在的にもともとあるんだけれど、いろんな人が利用の仕方を覚えちゃって、みんながその国家というポケットに依存するようになっちゃったんじゃないか。
藤沢:みんなでレントシーキング合戦になってるわけですよ。世界中いろんなところで。だからレントシーキングをなるべくなくすというために、小さな政府で市場原理を大切にするような経済のシステムを作っていかなきゃいけないんですけれど、それはわかる人にはわかるんですけど。
池田:嫌われちゃうんですよ、新自由主義といってね。
藤沢:そのわかっている人がマジョリティーになりそうにないから、結局、民主主義の中で、実現していかないんですよね。理想論としては小さな政府で、マーケットメカニズムをちゃんと働かせるような仕組みを作っていかなきゃいけないんだけども、大衆は理解できないし、逆に政府側の権限を持っている人たちは、市場主義で自分たちの権限を小さくするようなことはやりたくないから、非常に実現するのが難しいんですよ。
池田:このジンガレスの本は、最後は市場志向の倫理とか抽象的な話になるんですよ。この人昔『セイヴィング・キャピタリズム』という本をラジャンといっしょに書いた。シカゴ大学のファイナンスだから、共和党のハードコアの人だと思っていたんだけれど、この本では、共和党のやり方は結果的に共和党の理想とは真逆で、政府に依存する連中を大量に生産したといっています。
それに対して、例の「オキュパイ・ウォールストリート」のデモの人々が怒ってるのはわかるが、あのやり方では問題は直らない、と。
『セイヴィング・キャピタリズム』ラグラム・ラジャン、ルイジ・ジンガレス
http://goo.gl/J05KG
藤沢:そうなんですよね。複雑な問題なんですよ。政治家を決める有権者もよく分かっていないし、また、国際的な問題だから、一国で片付くようなことでもない。
池田:そこが問題の難しいとこなんですよ。彼もちゃんした政策を示してるわけじゃないんだけど、基本的には政府が経済に関与する部分を減らしていくしかないと思います。それは新自由主義とか市場原理主義とかいうイデオロギーの問題じゃなくて、政府に依存することでかえって格差は広がってしまう。今の日本がいい例で、政府に払ったよりたくさんもらえる老人と、政府にぼったくられる若者の格差が拡大している。
一時「小泉政権で格差が拡大した」とかいう話が流行したけど、あれは間違いで、2000年代のなかばに日本のジニ係数(所得格差の指数)はやや改善した。それは景気が回復して失業率が下がったからです。しかし、いま別の意味の「世代間格差」が拡大しつつある。これは生涯収入で、60歳以上とゼロ歳児で1億円近い巨額の格差です。
この意味で日本は「格差社会」になったといってもいいが、あまりにも格差が大きいので現実感がない。政治家も、これにふれると増税とか年金の削減とか、選挙で負けるテーマになるので、どの党もふれようとしない。これはまだ顕在化していない格差なので、今から計画的に縮めていけば、なんとかなる方法はあります。経済学者が提案しているけど、政治家が問題にしない。
金融に象徴される、テールリスクを取って目先の利益を得て、いざとなったら政府を食い物にするビジネスモデルは、現代社会の病です。財政赤字というテールリスクを取ってバラマキ財政やバラマキ福祉をやっている政治家もその同類だから、彼らに是正できるはずがない。これは特定の人々が大きなレントを得て、そのコストは多くの人々が広く薄く負担するという民主主義の本質的な限界でもあります。
藤沢:確かに民主主義って最悪の政治システムなんですよね。まあ、これまでに試みられた他の全ての政治システムを除いては、ですけど。
終わり
(今連載をご愛読いただき、ありがとうございました。この対談は、アゴラから電子書籍として販売される予定です。また、次号からは経済ジャーナリスト 石井孝明氏のバブル時代を振り返る論考を連載する予定です。ご期待ください)