中学一年生の頃だった。
二学期が始まって少し経った頃、目に力が入り、息を切らしながら先生は、帰る準備をしなさい、と言った。
迎えに来た両親は父、母の面影はなかった。息子、娘だった。
幼い勘が働いた。
祖母はもうこの世にはいないんだな。
遡り2、3ヶ月前、祖母と熱田神宮にお参りに行った。
祖母と待ち合わせをして落ち合った時、一瞬誰だかわからなかった。いや、解ろうとしなかった。
黒髪姿であったはずが白髪姿で現れた。
髪色なんて変わるだろうと思うがきっと祖母はずっと白髪染めとかしていて黒髪を保っていたはずなのに白髪姿になって、約一年ぶりに会うが、時がものすごく経ってしまったのかと思った。
そんな祖母の姿にどう接すれば良いかわからなかった。
でも弟はいつものようにおばあちゃん!と駆け寄っていった。
私はそれに促されながらその時の精一杯の笑顔で祖母に駆け寄っていった。
それが最後の祖母との思い出だ。
コメント
コメントを書く超泣けた😭ありがとう‼️俺の祖母との別れは長生きしてくれたから寂しいというより感謝の気持ちの方が大きかった😢けど、もし自分の両親(現在60代)が亡くなったら沢口のような気持ちになると想像して本気で泣きそうになった😂人生は有限だというけど命の大切さを、思い出させてくれて、ありがとう‼️
去年末自分の父が亡くなったのと重なりました
シロノワールを通して過去未来と色んな思いをこれからも馳せる事でしょう
読み切って、涙が。
先日、初コメダしたばかりやから、シロノワールが分かる。
こんな辛い思い出があったんだね。
ご両親譲りの繊細で優しい心のありようが伝わってきました。
これからも大切な人達とシロノワールを分け合いながら甘く暖かな記憶を更新していって、いつかは苦みがやわらいでいく事を願う。
お葬式の忙しさって助かる部分もあったっけな。
祖母との思い出で一番強く残っているのはとても苦々しい記憶で、それを思い出しては苦しくなったり、自分に良くないことが起こるとどこか安心したりして、最近はようやく祖母をいつの間にか勝手に人生の縛りのように扱っている事に気づき始めて良くないなと、ガチガチに仕上がった精神構造の改築を試み中〜
白髪姿のおばあちゃんを見たときの描写が、私自身の記憶と重なりました。衝撃と悲しさとなんとも言えないやるせなさと、そんな気持ちになった自分自身への葛藤と…一言で表現できない複雑な感情だったなぁ。
私も祖母が亡くなってから何年も経つけど、いつまでも思い出を振り返るし、夢を見るといつでも元気な祖母がそこにいます。
夢が覚めた時はすごく悲しいけど…いつかまた私も祖母の元に行ったらそうなれるのかなって思います笑
家族との思い出も大事に、一緒に過ごせる時間も大事に…こうやって文章に残すのも、後に振り返れる大切な記録だね☺️
たくさん記憶して、記録もして…いつか家族みんなで会えるその時に、またこうしたいなぁって思える出来事を大切に積み重ねていきたいね✨
誰かが亡くなった時に、命の尊さが明確に感じられて心が揺さ振られるんだけど、そうじゃなくていつも思っていたいと思いました。
その時の情景が直ぐに感じられる言葉ばかりで、感動する言葉は沢山有りましたが、特に『石ころを蹴っていた』『薬ちゃんと飲んでいなかったんだね』は、ぐさりと来ました。
これから先、シロノワールを見る度に、この感動の思い出が駆け巡りそうです。小さいのは涙無しには食べられなさそうです…
ヒゲも小学生の頃におじいちゃんを亡くしたけども、数年前の子供も30年以上前の子供も心象風景は驚くほど似ていて胸がギュッとなるね。
半年前に父親も亡くしたけど、大人になってからの事より遥か昔の小学生だった頃を思い出させる力のある文章でした。
局長こんにちはー( ・ω・)ノ
いつもブログありがとうですm(_ _)m
なんか、上手く言えないけどすごく染みた……(ノω・、)
家族で何かを分け合って食べるのって、当たり前にあることかも知れないけど大切な時間だね。
パパさんは、局長がシロノワール好きなのを知ってるから「いらんか?」って聞いてくれた。自分は食べる気にならないぐらいショックを受けてたのに。でも局長がホントに食べたかったのは、みんなで分けて食べるシロノワールだったんだね(´;ω;`)
次に帰省したときは、ご家族みなさんで美味しいシロノワールを食べてきてね!(*´▽`*)
「久しぶり!元気にしてた?」
遠い先、そんな他愛もない会話が出来るその日まで
ちょっと都合がつかない時間が続くだけ
なるべくそんな日々が長く続いたその先に
おっきなシロノワールを囲む日が来ますよ🐏
局長お元気ですか?
いつもながら文才に驚かされてます。
それはそうと、アッパレやってまーす!、ラジコで聴きました。脳内メーカーの件おもろかったです。素晴らし結果でしたね。
ではまた。