主張

3・1ビキニデー

被爆国の責任が問われている

 3月1日は南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で1954年にアメリカがおこなった水爆実験で、日本のマグロ漁船などが被災して60年にあたります。3・1ビキニデーは、広島と長崎に原爆が投下された8月6日と9日のヒロシマ、ナガサキの日とともに、核兵器廃絶への決意をあらたにする日です。

核兵器への国民の憤り

 この核実験で被ばくしたマグロ漁船・第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さん(当時40歳)が、「原水爆による犠牲者は、私で最後にしてほしい」とのべて亡くなったことは内外に大きな衝撃をあたえました。太平洋で水揚げされたマグロが放射能で汚染されていたことも重なり、核兵器と核実験にたいする国民の憤りと不安は一気にひろがりました。やがてそれは当時の有権者の半数にもあたる3200万人もの署名や第1回原水爆禁止世界大会(55年)の開催へと発展していったのです。

 ビキニ被災は、第五福竜丸だけでなく、近海で操業していたのべ1000隻もの漁船の乗組員に及びました。核実験場とされてきた現地の島民は、現在も汚染された故郷に戻れていません。ロンゲラップ環礁では、2万人以上が被ばくしたといわれ、多くの人々がいまだに後遺症に苦しめられています。ヒロシマ、ナガサキの原爆被害とともに、核兵器がいかに人類と共存できないかをしめしたのがビキニ水爆実験被災です。

 いま国際政治の舞台でも、核兵器の残虐性とその甚大な被害に目を向け、使用の禁止と廃絶を訴える声が広がりつつあります。2月13、14日メキシコで、核兵器の使用がもたらす「人道上」の影響についての国際会議が開かれました。146カ国の政府代表が参加し、核兵器が人間や環境などにもたらす深刻な影響を議論しその禁止と廃絶をよびかけました。日本から被爆者の代表も参加して訴えました。125カ国の連名で「核兵器の人道上の影響に関する共同声明」も昨年発表されています。「核兵器全面禁止のアピール」署名など核兵器禁止条約の交渉開始を求める世論も広がっています。

 ヒロシマ、ナガサキに続き、三たび原水爆の被害を体験した日本には、核兵器の非人道性とその全面禁止・廃絶を訴える特別の責務があります。ところが日本政府は、ビキニ被災の実態解明にも背を向け、一部の被災者へのわずかな見舞金で幕引きをはかりました。それは、反核世論をおさえ、日本を核戦争の足場にするアメリカの意向にそったものでした。ビキニ被災の直後50年代の原発導入のねらいの一つも、そこにありました。

流れに逆らう安倍政権

 安倍晋三政権はアメリカの「核の傘」が必要だといいます。さらには「個別的・集団的自衛権に基づく極限的な状況」なら、核兵器を使用してもよいといいだしています。「いかなる状況」でも核兵器を使用すべきでないというのが被爆国としての立場ではないでしょうか。アメリカの核戦略につきしたがい、核兵器廃絶の流れに背をむける日本政府の態度が、いまきびしく問われています。

 広島・長崎の被爆から70年に開かれる来年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向け、被爆国の運動を発展させるうえでも、ビキニデー集会の成功が重要です。