主張
菅長官の沖縄訪問
普天間固定化の脅しは通じぬ
菅義偉官房長官が先の内閣改造で、新設の「沖縄基地負担軽減担当相」を兼務することになったのを受け、沖縄を訪問しました。菅氏は仲井真弘多(なかいまひろかず)知事との会談で、米海兵隊普天間基地(宜野湾市)に代わる名護市辺野古(へのこ)への新基地建設を「粛々と進める」と改めて表明しました。「負担軽減ではなく負担押し付け担当だ」という批判の通り、沖縄県民の願いに逆らう姿勢を鮮明にしました。
日本が米軍引き留め
菅氏が会談で新基地建設を正当化するため強調したのは、普天間基地の固定化回避と危険性の除去です。しかし、普天間基地を固定化し危険を放置し続けてきたのは、歴代の政権です。新基地建設の大義名分になるものでは決してありません。
普天間基地の「返還」が日米両政府で合意されたのは、今から18年も前の1996年4月です。前年の95年9月、沖縄で起きた米海兵隊員による少女暴行事件に、県民をはじめ日本国民の怒りが爆発したのを受けての措置でした。
当時、駐日米大使を務めていたウォルター・モンデール氏(元副大統領)は米国務省付属機関のオーラル・ヒストリー(口述記録)で、少女暴行事件は沖縄からの米軍撤退や大幅削減の問題に発展したが、日本政府の指導者が沖縄から米軍を追い出すことを望んでいなかったと証言しており、日本側が米軍を引き留めたことが明らかになりました。
このため、普天間基地の「返還」は、名護市辺野古に代替の最新鋭基地を建設するという「県内移設」が条件になりました。
普天間基地はどこに移しても危険であることに変わりはありません。「移設」先に耐え難い基地負担を新たに押し付けるものであり、名護市民をはじめ沖縄県民の大多数が反対してきたのは当然です。18年にもわたり普天間基地が動かなかったのは、日本政府が「県内移設」に固執してきたからです。
普天間基地に代わる新基地について、米政府が、耐用年数200年を想定していたことも分かっています(米国防総省報告書97年9月)。辺野古での建設を許せば、新基地は半永久的に固定化されることになります。新基地建設が進まなければ普天間基地は固定化するという脅しは詭弁(きべん)にすぎません。
菅氏は、新基地建設の是非は「過去の問題」であり、2カ月後に迫った沖縄県知事選でも「争点にならない」と言い放ち(10日の記者会見)、争点そらしに躍起です。しかし、新基地建設を許すか許さないかは、沖縄の今と未来にかかわる最重要な争点です。
抑止力として無意味
菅氏は仲井真知事との会談で、新基地建設合理化のため「(米軍の)抑止力を維持しなければならない」と改めて強調しました。
しかし、専門家の間では、沖縄の海兵隊は、中国を念頭に置いた「抑止力」として無意味だとの指摘が上がっています。元米軍トップのリチャード・マイヤーズ氏(元米統合参謀本部議長)は「米中が戦争することなど、想像できない。中国もそれは望んでいないだろう」との認識を示しています(「日経」8月31日付)。普天間基地を閉鎖・撤去し、辺野古に新基地は造らせないとして知事選に出馬表明した翁長雄志(おながたけし)氏の勝利がいよいよ重要になっています。