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「阪神・淡路」20年/被災者に寄り添い続けてこそ
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「阪神・淡路」20年/被災者に寄り添い続けてこそ

2015-01-17 11:32

    主張

    「阪神・淡路」20年

    被災者に寄り添い続けてこそ

     兵庫県淡路島を震源に神戸市とその周辺に大きな被害を及ぼした阪神・淡路大震災から20年になります。震災発生の年に生まれた人たちは今年成人です。新成人の輝くような笑顔の一方、大震災で肉親を亡くし住まいを奪われた人たちの傷は、いまだ癒やされていません。借り上げ復興公営住宅からの追い出し、災害援護資金の返済問題など、新たな問題が次つぎ起きています。この20年にも、新潟県中越や能登半島沖での地震や東日本大震災などが続きました。国民が安心して暮らせるよう、被災者に寄り添い支援を続けることが不可欠です。

    政治が被害を拡大した

     1995年1月17日の未明に発生したマグニチュード(M)7・3の大地震で大地は引き裂かれ、高速道路も鉄道も寸断されて、ペシャンコに崩れ落ちた住宅を真っ赤な炎がのみ込みました。亡くなった人だけでも6434人、大火災の赤々とした炎と、電気もガスも途絶え雪が舞った被災地の冷え込みはいまも記憶に鮮明です。

     家も財産も失い、肉親さえ奪われた被災者を苦しめたのは、自然の厳しさだけではありません。かつてない災害の規模に追いつかない行政の対応が苦しみに拍車をかけました。避難所となった学校の体育館などにはまともな寝具もなく、配られるのは冷たい弁当や菓子パン…。見るに見かねて全国から駆けつけたボランティアが被災者の心の支えでした。

     被災者が避難所から仮設住宅に移っても、苦しみは続きます。住み慣れた場所から離れた郊外につくられた仮設では隣近所の付き合いもなく、通院していた医療機関も遠くなりました。体調を悪化させ、誰にもみとられず亡くなる「孤独死」が相次ぎました。「孤独死」は被災者が仮設を出て、多くが高層で隣近所との行き来も難しい復興公営住宅に移ってからもあとを絶ちません。仮設と復興住宅での「孤独死」は昨年までで1100人近くにのぼります。

     被害を拡大した政治の責任はこれだけではありません。大きな被害を受けた被災者に、当時の政府も自治体も、個人の財産被害は補償できないと、個人補償を拒否したのです。被災者が20年たっても住宅ローンや借金返済に苦しむ元凶です。しかも当時の兵庫県や神戸市は「創造的復興」の名で、被災者の生活再建よりも震災前から計画していた都市再開発や高速道路、神戸空港の建設を優先させました。建物はきれいになっても買い物客が減ってしまった商店街の姿は、「復興」のゆがみを象徴しています。まさに「復興災害」です。

    被災者が政治を動かす

     国や自治体に公的支援を求め、神戸空港などの建設強行に反対し、政治を突き動かしてきたのは被災者自身のたたかいです。この20年、政治の壁を少しずつ崩し、自然災害の被災者を支援する「被災者生活再建支援法」も、広範な市民と日本共産党などの運動のなかで実現しました。支援法は阪神・淡路大震災の被災者には適用されないなど問題を残しましたが、2回の改正を経て、東日本大震災などその後の災害に生かされています。

     自然の災害は防げなくても、政治の力で被害を減らすことはできます。大震災から20年、被災者に寄り添い、被災者を中心にすえた政治がいよいよ求められます。

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