主張

高校生の政治活動

憲法が保障した自由を奪うな

 18歳選挙権の実施を前に、文部科学省は高校生の政治的活動についての新たな通知を出す予定です。しかし公表された通知案は高校生の活動を「あれもだめ」「これもだめ」と制限するものです。このような形で高校生の憲法上の権利を奪うことは、重大な問題です。

国会前に行くことも規制

 「とりま(とりあえずまあ)廃案」「裸の王様誰だ、安倍だ」―この夏、多くの高校生が国会前や街頭で戦争法案反対の声をあげました。それも規制の対象になりえます。通知案は学外での政治的活動を「学業や生活などに支障が認められる」とすれば禁止をふくめ規制するとしました。“勉強が大切だから国会前に行ってはならない”。そんなことが起きかねません。

 さらに通知案は、生徒会や部活動での政治的活動を全面禁止、学内での活動は放課後や休日でも制限・禁止するよう求めています。

 校内で署名を集めたり、教室で放課後に政治にかかわる話をしたりすることも規制の対象です。生徒会が平和や人権について討論したり、決議をあげたりすることも認められない可能性があります。部活動や文化祭で社会的問題について学習し発表することや戦争に反対する歌を合唱することまで中止させられるおそれがあります。

 高校生の政治的活動の自由は、憲法によって保障されています。

「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」(16条)、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」(21条)

 こうした憲法の規定は、すべての国民に保障されており、政府の権限で高校生だけを除外することなど許されるはずがありません。

 全国高等学校PTA連合会も「高校生だからという理由で高校生の政治的権利・政治活動を制限することは論理的根拠を持たない」との見解を示しています。

 文科省は高校生の政治的活動は「必要かつ合理的範囲で制約を受ける」としました。高校生は教育を受ける者として、「教育目的」のためなら、人権を制限できるというのです。しかし、教育の目的は「人格の完成」です。とくに民主主義国家では、自分の頭で考え、他者と意見をとりかわし、行動する主権者としての成長が期待されます。人権を制限して、こうした教育の目的が達成されるはずがありません。

 教育の目的を真剣に考えるならば、国はまず「憲法上、あなたたちに政治的活動の自由がある」と高らかに宣言すべきなのです。仮に行き過ぎがあれば、教師と生徒との信頼関係と話し合いのなかで解決していくのが教育です。

尊重する社会にこそ未来

 国は1969年、高校生の政治的活動を全面禁止する通知を出し、高校生の政治的無関心を広げました。旧通知廃止は当然ですが、今回の通知案も時代遅れです。

 いま多くの高校生が社会や政治の問題で発言し、行動しています。その真っすぐで柔軟な発想には、計り知れない力があります。高校生を抑圧せず、主権者として尊重する社会にこそ未来があります。国は高校生の政治的活動の自由を正面から認めるべきです。