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日本記者クラブ
日本共産党の不破哲三前議長は24日、東京都内の日本記者クラブで「戦後70年 語る・問う」のゲストスピーカーとして講演しました。不破氏は、戦後続いた自民党政治の特質と現在の異常な状況を語り、「大局的に見れば、自民党は結党60年にして最も危険な段階に入りつつある」と指摘。戦争法に反対する国民の運動について「日本社会の質を変えるもの」と評価し、「自民党政治からそろそろ抜け出さないと日本に未来はない。国民はいよいよその足を踏み出した」と語りました。不破氏は自民党について、▽目先の財界・大企業の利益に奉仕▽治外法権をもった米軍基地を全国に置き、アメリカに「ノー」を言えない従属体質▽過去の日本の侵略戦争への根本的反省がない―という「資本主義国の中でも異常な特質を持って発足した世界でも例外的な政党だ」と指摘しました。同時に、「以前の自民党は保守総連合的な性格を持ち、政策にも一定の幅を持っていた」として、田中角栄、福田赳夫内閣が不破氏の批判をある程度受け止める懐の深さがあったことを語りました。
「ところが、現在の自民党はモノカラーの政党となった」と述べた不破氏は「安倍さんのもとで三つの特質の異常性がすべて極端化した」と強調。▽過去の戦争の性格については曖昧な答弁から侵略戦争の積極的肯定へ▽経済では大企業・財界の利潤の増大を直接、政府の公然の政策目標に▽対外政策ではついに憲法を踏みにじって世界的規模での海外派兵というアメリカの要求に応じるところまできたことを挙げました。
何が自民党をこの異常な状況に追い込んだのか。不破氏が第一に指摘したのが小選挙区制です。同党の得票は1972年総選挙の2456万票(47%)から2014年総選挙の1766万票(33%)へ、有権者比では34%から17%へと半減していますが、議席で多数を維持しているのは小選挙区制のおかげです。しかも、この小選挙区制で指導部が候補者の任命権を握ることになりました。一方、政党助成金目当てで政党の離合集散が日常化し、日本の政界を弱体化させたことも重大でした。
第二は、日本軍「慰安婦」問題で謝罪した「河野談話」(93年)、過去の戦争を「侵略戦争」と明言した細川護熙(もりひろ)首相発言(同年)に危機感を抱き、自民党内でウルトラ右翼が結集したことです。この潮流の中で台頭し、総裁・首相となったのが安倍晋三氏でした。
不破氏は今の自民党について「『1強』政治といわれるが、文字通りの少数独裁です。自民党自身にとっても危険な瀬戸際政策になっている。国民からも孤立している」と述べ、戦争法、沖縄の米軍新基地建設、環太平洋連携協定(TPP)の強行などを例に挙げ、「大局的に見れば、自民党は結党60年にして最も危険な段階に入りつつある」と強調しました。
不破氏は、とくに自民党外交の対米従属の典型として日本への核持ち込みを認めた日米の核密約についてくわしく語りました。また、1999年からの日本共産党の野党外交の経験を語り、それとの対比で「アメリカに一度もノーといったことのない国は信用されない」と批判。「『価値観外交』というが、今の世界で一番大事なのは『異なる価値観、文明の共存』であり、それに熟達するのが外交の要だ。今の日本の立場・力量にふさわしい役割を国際的に果たすためにも、日本の政治の根本的な転換が必要だ」と力を込めました。
最後に不破氏は、戦争法に反対する国民の運動に触れ、「この運動は日本に新しい政治を開く第一歩を踏み出したものだ。自民党政治の60年を振り返っても、そろそろこの狭いコースから抜け出さないと日本に未来はない。国民はいよいよその足を踏み出した」と強調しました。
講演後、会場からの質問にも答えました。