主張

「12・8」74年

敗戦70年の年に決意を新たに

 日本が朝鮮半島や中国大陸への侵略に続いてマレー半島やアメリカのハワイを攻撃した、1941年のアジア・太平洋戦争の開戦から74年の「12・8」です。日本はそのわずか3年半余り後、一連の戦争に敗れ、降伏しますが、今年はその敗戦から70年にもあたります。戦後の日本は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」(日本国憲法前文)ことを決意して再出発しました。秘密保護法の全面施行や戦争法の制定など「海外で戦争する国」への策動が強まる中で、いまこそ平和への決意を新たにし、世論と運動を強める時です。

戦争繰り返さない思い

 敗戦70年の今年、いくつもの映像や活字作品が戦争の悲惨さを伝えました。沖縄戦で戦闘に駆り出された少年たちを描いたドキュメントなど話題になったものも少なくありません。先日亡くなった漫画家の水木しげる氏が描いた、補給もなく餓死が相次いだ悲惨な戦場体験も読み継がれています。

 アジア・太平洋戦争による犠牲者は、それ以前からの一続きの戦争だった中国東北部への侵略や日中戦争を合わせてアジア諸国で2000万人以上、日本でも310万人に上ります。国土は荒廃し家も工場も焼かれました。二度と戦争はごめんだ、殺し殺される事態は繰り返さないというのは敗戦を迎えた国民の切実な思いでした。

 さかのぼれば19世紀末の清国(現在の中国)との戦争や20世紀初めのロシアとの戦争を含め、日本は領土と権益を求めて侵略と戦争を繰り返してきました。安倍晋三首相は今年8月の戦後70年にあたっての談話で、日露戦争を「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と述べましたが、日本の戦争自体が朝鮮半島の植民地化を狙っていたのは明白です。

 その日本が31年の柳条湖事件や37年の盧溝橋事件を機に中国東北部から大陸全体へ侵略を拡大し、戦争の泥沼化や国際世論の反発などで追いつめられ、見通しもなく始めたのがアジア・太平洋戦争でした。安倍首相は談話で、経済のブロック化が進む中、外交的、経済的な行き詰まりを「力の行使」で解決しようとしたと人ごとのようにいいましたが、侵略戦争と植民地支配に突き進んだ加害者としての自覚や責任意識は感じられません。言葉だけの「反省」や「おわび」はむなしい限りです。

 かつては自民党の政権でも、小渕恵三首相は韓国や中国に対して植民地支配や侵略を反省し謝罪しました。侵略戦争を肯定・美化する勢力に支配される今の自民党と安倍首相にはその立場がありません。戦後の国際社会で通用する態度でないのは明らかです。

戦争法を廃止するために

 侵略戦争を否定しない安倍首相が、秘密保護法や戦争法を制定し、アメリカの戦争に参加する体制を築いているのは危険です。中東での「有志連合」の軍事攻撃を日本が支援する危険や国連の平和維持活動(PKO)に参加して武力を行使する危険も浮上しています。

 日本が戦後70年「戦争する国」にならず、「殺し殺される」ことがなかったのは、憲法の平和原則を国民が守り抜いてきたからです。その力を発揮して憲法を破壊する戦争法を廃止し、立憲主義と民主主義を取り戻すことが重要です。