主張

3・1ビキニデー>

非人道的な核兵器の禁止を

 1954年3月1日、アメリカは南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で、広島型原爆の1000倍以上といわれる威力の水爆実験を行いました。近海で操業していた1000隻以上の漁船とマーシャル諸島の住民が「死の灰」をあび、深刻な被害を受けました。

反核世論恐れた日米政府

 マグロ漁船・第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さんが、広島と長崎に続く核兵器の犠牲者となったことは大きな衝撃でした。さらに、太平洋でとれた魚や雨の汚染への不安もあり、原水爆禁止の声は急速に広がりました。

 当時、アメリカと旧ソ連は、水爆開発競争の最中で、3月1日のビキニ核実験は爆撃機に搭載する小型水爆を開発するためでした。50年代はアメリカが、ベトナムなどアジアでの核兵器使用を繰り返し検討した時期でもあります。

 それだけにアメリカは、反核世論が高まることを恐れ、幕引きを急ぎました。被災船調査は54年末に突然打ち切られ、200万ドルの「見舞金」をアメリカ側が支払うことで「政治決着」しました。

 こうしてビキニ被災の全容は国民の前に明らかにされず、アメリカへの責任追及も、多数の被災者への補償もないまま放置されました。他国民の安全よりも核兵器開発を優先させるアメリカ、さらに、アメリカへの追随を国民の命よりも重視する日本政府の姿勢は、許し難いものがあります。

 被災から60年以上たったいま、市民団体と専門家の粘り強い努力、日本共産党国会議員団などの追及によって、被災の実態が明らかになりつつあります。

 厚生労働省は2014年、第五福竜丸以外の473隻の検査結果を初めて開示し、被ばくの事実を認めました。昨年、存在が否定されてきた水産庁の文書が提示され、被害漁船の総数が1423隻に達することも判明しました。

 被災者として認められず、公的援護もなく、がんなどの疾病にも苦しんできた多くの船員たちとその家族がいます。政府は被災の全容を明らかにし、援護と補償を行うことが強く求められています。

 ビキニ被災は核兵器がいかに非人道的な兵器であるかを示しています。いま国際政治の場でも核兵器の非人道性を告発し、その禁止・廃絶を求める流れが大きく発展しています。昨年の核不拡散条約(NPT)再検討会議では条約に加盟する8割の国が、核兵器の非人道性を訴える共同声明に賛同しました。それを受けて第70回国連総会は、「核兵器のない世界」を実現するための法的措置を議論する作業部会設置を決議しました。

 アメリカの「核の傘」に頼り、こうした流れに背を向ける日本政府の、被爆国にあるまじき態度は正されなければなりません。

新たな運動の発展へ

 かつてビキニ被災で日米政府が恐れた反核世論は、原水爆禁止の署名運動を中心に大きく発展し、署名は当時の有権者の過半数に迫る3200万人に達しました。これが、1955年の第1回原水爆禁止世界大会に実を結びました。

 いま戦争法廃止の「2000万署名」など安倍晋三政権の暴走をくいとめようとする平和の流れも広がりつつあります。歴史的教訓を受け継ぐビキニデー集会(28日から3月1日、静岡市と焼津市)の成功が強く期待されています。