「なんや、ついに書いてんのやな」
 ふふ、と男が、硯(すずり)を見ながらかすかに笑う。
「まあな。いっぺん、きちっと書いて持って来てみ、って、そういわれたからには、そろそろ書かなあかんやろ、と、わしもいよいよ思ったというわけや」
「また偉そうにいうてるで。それ、誰にいわれたんや」
「文三郎(ぶんざぶろう)師匠や」
「ほー、それはまた。どうせ、おまえ、またいつもの調子でべらべらうるさくしてたんやろ。あんな、教えたろか、それはやな、えーい、やかまし、黙らんかい、喋ると書くとでは大違いやで、と暗に言われただけなんやで」
「ところがや。なんでか、書ける、って気しかせえへんのやな。だったら書かな、あかんやろ」
 そう言って、男は硯で墨をする。
 この男、半二(はんじ)という。
 近松(ちかまつ)半二。
 生意気にも、かの近松門左衛門(もんざえもん)と同じ姓を名乗っているのだけれども血の繋(つな)がりはない。半二が生まれた時にはすでに門左衛門はこの世を去っていたから、面識もない。門左衛門があの世へいき、代わりに、半年かそこらして、この男はひょいとこの世へやって来た。
 そうして、成章(なりあき)、と名付けられた。
 穂積(ほづみ)成章。
 成章は初め、賢いと思われた。父も母も、随分と期待したものだ。成章には安章(やすあき)という三つ離れた兄がいたのだが、論語一つとっても、この兄よりも格段に早く覚えてしまう。そもそも言葉を口にするのも早かったし、読み書きなども、教える前から労せずあっさり身につけていく。こりゃ、末が楽しみだわい、と儒学者で、私塾を開いている父、以貫(いかん)は、この子が誇らしくてならなかった。末子ゆえの可愛らしさも相俟(あいま)って、ついつい甘やかしてしまう。成章ばかり贔屓(ひいき)してしまう。成章も父によく懐いた。おい、お前も来るかい、と以貫が問えば、あい、と小さな成章は素直に頷(うなず)く。母、絹(きぬ)もその頃はまだ似たような心持ちだったので、以貫が成章を連れ歩いても特段、文句は言わなかった。平生、門人が通って来る塾を切り盛りしているため、絹はなにかと忙しく、手がかかる子を一人でも外に連れていってくれるなら、それに越したことはない。さ、行こか、と以貫は成章の小さな手を取り道頓堀(どうとんぼり)の竹本座(たけもとざ)へそそくさと出かけて行く。
 以貫は、この頃、この一座と深い関わりを持っていたので、頻繁に顔を出すのは半分は用向きがあってのことだったのだが、残りの半分は……と、これはわざわざ言わずもがな、ではあるものの、以貫はいわゆる浄瑠璃(じようるり)狂いというやつだった。これはもう、隠しようもないことで、京の伏見(ふしみ)から大坂へ越して来てからというもの、どっぷりと人形浄瑠璃に浸かりきり、歯止めがかからぬまま、ついには竹本座と関わるようになっていたのであった。ようは好きが高じて、としかいいようがない。なかでも以貫がぞっこんだったのは、近松門左衛門の拵(こしら)える浄瑠璃。この人の関わったものは一味も二味も違うと以貫は強く引きつけられた。