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【第153回 芥川賞 候補作】『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』滝口 悠生
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【第153回 芥川賞 候補作】『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』滝口 悠生

2015-07-02 13:58
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     九月末だがこのあたりではまだ稲穂は刈りとられていない。国道の片側には田んぼが広がり、強い日を受けて全面がぼんやり輝いていた。道を挟んでその田んぼを見下ろす形の小さな山がある。山の縁に沿って道はカーブし、その陰に隠れた。さっきから車は一台も通らなかった。山の木陰を流れる小川も国道に沿って流れているが、元はこの川に沿って道がつくられたのだ。冷たい川の水に足を突っ込んで呆然としていた私の目がその時何を見ていたかなど、もう覚えていない。国道の路面のじりじり灼ける向こうで、田んぼの間の畦道で、埃か、小さな虫か、なにかがちらちら輝いているのが見えていたか。水のなかで波立ちに歪む自分の生白い足も見ていたか。水辺の土手の表面の黒く湿った土と葉も見ていたか。何よりそれらすべてと、初秋の澄んだ空気の上にあった、雲ひとつない空の濃い青色を思い出すが、その時私の頭上には背後の山を覆う木々の枝葉がせり出してきていて、空など見えなかったはずだ。
     でもさっきまでその国道を、ずっとずっと走ってきたのだから、その間ずっと頭上にあった空のことを、そうやって川の土手に腰かけながら見ていたように思い違えていたってそんなにおかしいことじゃない。二〇〇一年、もう十四年も前のことなのだ。
     私の耳には、山の裏側か、それとも田んぼの奥の小山の向こうからかわからないが、どこかで誰かが何かを叩いているらしい、ぽこ、ぽこ、という小さな音があたりに響いているのが聞こえていた。あるいは何か動物か、鳥の、鳴き声かもしれない。視界のどこにも人間の姿はなかった。音のことを考えはじめれば、そのぽこぽこ音だけじゃない、川の水流の音も聞こえてくるし、目の前の田んぼ全体から、田園地帯特有の持続音も聞こえてくる。田園地帯特有の音? そんな音があるのか。空気の流れる音のようでもあり、耳鳴りのようでもある。飛行機か。空耳かもしれない。しかし稲の穂先の細い毛も、昆虫の繊毛も、物体である以上音をたてないはずがない。可聴域、そんなものは時間が経てばあてにならない理屈になる。聞こえていたものが聞こえなくなるし、聞こえなかったものが聞こえるようにもなる。
     それにつけても思い返せば思い返すほど、あまりに捉えどころのなく散漫な風景を、こうしてひと連なりの言葉と言おうか、意識と言おうか、関心の糸みたいなものが、ぐねぐねと曲がりながら、どれだけ嘘やでたらめが混じろうとも、ひとつの軌道を辿れるのだから、人間の想像力というのは、たいしたものと言うか、いい加減なものと言うか。しかしそのいい加減さの極まったところに、たとえば俳句みたいな、無限の奥行きが潜んでいるのではないか。兵どもが夢のあと。蟬の声、しみ入る。ここはみちのく。実はどこだかはっきりわからない、というか覚えていないのだけれども、宮城と岩手の境目あたりではあるはずで、私は二日前に埼玉の実家を出て、太平洋側を北上する形で移動していた。私は大学一年生、十九歳で、はじめての長い夏休みがもうすぐ終わろうとしていた。
     移動の足はひと月前に買った原付だった。ホンダのベンリィ50S。赤色。今はもうたぶん製造していない。当時も既に廃番車種だったかもしれない。郵便や新聞の配達をする人が乗っているスーパーカブと同じエンジンだから燃費がよかった。左ハンドルにはクラッチが、左足には四速のロータリー式ギアがついていて、ロータリー式というのは、ニュートラルからひとつずつ踏み込んでいくと一速、二速、三速、四速と上がって、もう一回踏み込むとまたニュートラルに戻る循環式のギアで、後ろに踏み込めば下げることもできるが、ベンリィには今何速に入っているかの表示器がない。四速で走っている時に間違ってもう一回踏み込むとギアがニュートラルに入ってエンジンが吹かされて轟音をたてる。その音に焦ってもう一回前に踏み込んでしまうとスピードが出たまま一速に戻るからタイヤの回転が制御されて急ブレーキがかかって危ない。原付の免許をとったのは三か月前、二〇〇一年の六月だった。原付は一日で免許がとれる。バイクは友達の友達に十万円で譲ってもらった。それまでの人生でいちばん高い買い物だった。夏休みにあれこれ日払いの肉体労働をして貯めた金がすっかりなくなったが、これでどこまでも行けると思った。乗りはじめたばかりの頃はアクセルとクラッチ、ブレーキとギア、左右の手足全部を使って操作するこのバイクの運転に慣れず、エンストぐらいならいいが結構危ない目にも遭った。間違って急停車して後続の車やトラックに追突されかかり、クラクションや怒声を浴びた。四速からニュートラルに踏み込んでしまったら落ち着いて左ハンドルのクラッチを切って左足のギアペダルを後ろに踏み込み、四速に戻せばよい。慣れてくればできる。
     この旅行中でも何度か間違えたが、慌てて一速に踏み込んだりはしなかったからここまでは危ない目にも遭わなかった。でもさっきはそもそも居眠り運転だった。カーブにさしかかったところで目が覚めて、まずいと思ってとっさにブレーキを踏むつもりがギアをむりやり踏み込んでしまった。クラッチは切っていなかったが、ばきっという抵抗とともにギアがニュートラルに入り、焦ってブレーキをかけるつもりがもう一回左足がギアを踏み込んで一速に入れてしまうと前輪に制御がかかってきゅきゅっと音がして、やばい、と思った時にはもうそこに道がなかった。バイクから体が離れ、田んぼの奥の林と空が見えたか。次の瞬間には顔の間近で草と土が暴れ、すぐに恐ろしくて目をつむり、上着や体が地面にぶつかって擦れる音がやかましく聞こえ、まずいまずいまずい、という自分の声なのか、ごろんごろんごろん、と体が土手を転がり落ちたその運動なのか、ともかく三回転した響きがあった。私は土手下の畦道に倒れ、右半身が田んぼに水没していた。
     ……東北に来たのは、特別理由があったのではなく、それまでの人生で一度も足を踏み入れたことがないから、というだけの理由だった。行き先はどうでもよくて、ただ行くあてなく、帰るあてもなく、遠くへ行ってみたいという気持ちばかりだった……倒れて動き出せぬまま私はそんな差し迫っては全然必要でないことを自分に向かってか誰かに向かってか、語っていた。死ぬかも。死んだかも。そうほんの一瞬だけでも思わなかったとは思えない。間もなく死ぬかもしれないから、誰に届かずともその経緯を言葉で残しておきたいと思ったのか。しかし同時に、やっぱり生きている、死ぬわけがない、という確信も瞬間瞬間湧きあがってきた。水に浸った右手や腰の右側、右足などの濡れた感触よりも先に、目を開くとすぐ間近にあった田んぼの水面、そこに水中から現れて上に向かって力強く伸びている稲の根元を見て、元気な稲だ、俺も大丈夫だ、と思った。なんの根拠もないが、力強くそう思えたのだった。
     おそるおそる起き上がり、ゆっくり体を動かしてみると全身どこにも痛みはなかった。土手に飛び込む直前でギアを踏み違え急ブレーキがかかったのが幸いしたのか。しかし右足のスニーカーが脱げて水に沈んでおり、なぜか靴下も脱げて右足だけ裸足だった。水のなかから拾い上げるとびしょ濡れのスニーカーはキャンバスの部分と底のゴムの部分がつま先からばっくりと裂け、なかから靴下が丸まって出てきた。バイクは土手下の茂みに頭を突っ込んだまま奇跡的なバランスで倒れず自立していたが、どうやらエンジンは停まっていた。
     痛みはなかったが裸足になった右足をなんとなくかばいながら土手をのぼり、アスファルトの路面に右の足をぴたりと押し付けた。濡れた足の裏が熱い路面に接すると、なぜか俄然余裕が出てきて、私は道をわたり、歩道の端からぴょんと川を飛び越えた。事故の前よりむしろ体が軽快に動く気がした。土手に腰を下ろし、左足の靴と靴下も脱いで、ジーンズの裾をまくって両足を川の中に預けた。水は透き通っていて、底の石まで見通せた。メダカみたいな魚がすばやく動き回っていて私は心強かった。さっき自分が来る前からずっとこの場所にこうしてあった田んぼや山や空や国道と同じように、自分もこの場所に存在しはじめているような感じがしてきた。……構えとかフォーム、と言ってもいいし、あるいは周波数とか呼吸とか血流とか、体内の水分とか、そういう何かが同調しはじめたとか、たとえばね……私は恋人の房子にそう語りかけるのだった。自分の今陥った、というか遭遇した、他人事みたいな感じの強いこの状況、そしてこの不思議な充足感を、房子に伝えたい。聞こえるか房子。
     まずはひと息ついて、この場との一体感からあえて外れて、気持ちと状況とを整理したい、そう思って上着のポケットからライターを出して、煙草に火を点けた。しかしすでに火は点いていて、先端が一瞬激しく燃えた。いつの間に火を点けたのだったか。というか、いつ煙草をくわえたのだったか。私は大破したスニーカーを眺めた。いったい何がどうなったらこんなふうにスニーカーがぶっ壊れるのか。靴がこんなになって、靴下まで脱げながらも、右足は傷ひとつなく、捻挫も打撲もしていないのはどういうわけなのか。水中でぐるぐる足首を回してみると、足先の激しい動きにメダカみたいな魚が逃げていき、波立ちに紛れて見えなくなった。頭がすっきりして、体も軽く、天気は晴れ、視界の田園は明るく輝いている。こんなに健やかで爽やかな時はこれまでなかった気がする。人生最良の時かもしれないと私は思って、その全部を房子に語りかけた。



    ※冒頭部分を抜粋。続きは以下書籍にてご覧ください。


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