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「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち 著者 飲茶」を読んだ。

インド、中国、日本の東洋哲学を古代バラモン、釈迦、
大乗仏教、儒教、道教、諸子百家、禅など包括的に扱っている。

難解な東洋哲学を非常にわかりやすく面白く伝えてくれる
ありがたい本である。

孔子や孟子、韓非子などの儒家や法家も扱われているが、
話の基本は釈迦や老子や禅の悟りの哲学に大きくページが
割かれている。

この解説の中で、大きな刺激を受けたのが、東洋哲学の自己
と世界の捉え方である。

西洋哲学には殆ど見られなかった「社会からの自己の解放」という視点。

これは社会という洗脳システムのマインドコントロールを解く
究極の手法ではなかろうか。

国際金融軍事権力によって構築されてきた洗脳社会である
現代人を解放する理論の一つがここに存在する。

自己を社会や思考、言語から解放するための手引きが説かれている。

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しかし自己の解放を実現させる東洋哲学の問題もまた存在する。

それは、社会解放の視点である。

社会解放のための運動と哲学を社会制度化するのに東洋
哲学は成功してこなかった。

著者の方が後書きに書いているが、東洋哲学の本家である
インド、中国、および日本の歴史を見れば、東洋哲学が社会
を解放する理論としては不十分だったことが理解できるだろう。

自由、平等、友愛、民主主義、人権を掲げる西洋哲学の強さ
は社会解放の理論を制度化させたことにある。

とはいえ、従来の西洋の社会哲学は、国際金融軍事権力と
通貨発行権の盲点があったために、社会開放の理論とし
ても実は不十分なものだった。

現在、求められているのは、自己開放を中心とした東洋哲学と
社会開放を中心とした
西洋哲学の融合である。


自由、平等、友愛の社会解放の西洋哲学。
縁起、空、無我、瞑想の自己解放の東洋哲学。

その二つに真理の概念を融合させること。

そこに、自己と社会の幸福の最大化を目指す原理が
生まれるのではなかろうか。

人間解放のための手引きを作っていかなければならない。

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<参考記事>
・民主のげんりである4つの権利(真理、自由、平等、友愛)を統合させ発展させる方法

・国民主権の民主主義の実現に必要なモデル図 気概のある魂と民主の原理の融合


以下、本書で触れられている東洋哲学の自己の洞察の流れ。

無我とは何か?
その境地に至るにはどうすれば良いのか?

その流れは以下のとおりである。

■東洋哲学は自己の探求から始まった

西洋哲学は世界(外側)を把握し、制御するための知識や
技術の体系が発達した。

一方、東洋哲学は「自己」という内側の探求に振り向けられた。

自己探求の哲学の源流はインドの哲人ヤージュニャヴァルキャ
(紀元前650年~紀元前550年)に始まる

「私とは認識するものである」

「認識するものを認識することは出来ない。
認識するものを認識するとなると、更にそれを認識するものが
必要になり
更に、その認識するものを認識するものが必要に・・・・
という無限遡行に陥るからである。
これは背理であり論理的に誤りである。」

「故に、私は何々である という言葉は使えない。
何故なら、私を何々である、ということは認識するものを認識す
ることになるからである。

私を表そうとすれば、私は何々に非ず、という言葉になる。

私は何々に非ず、という言葉の例。
私は体に非ず。
私は脳に非ず。
私は王様に非ず。
私は奴隷に非ず。」

「私は様々な肩書きや条件と無関係に存在することになる。
故にそのようなことに傷つくことは、私でないものと同化している
と勘違いしているために引き起こされる。
それは、子供がぬいぐるみと同化して、ぬいぐるみが壊れて泣い
ているのと同じである。
映画を見て、映画に起こっていることを自分に起きているのと勘
違いするのと同じである」

「自己とは鑑賞者であって、決して鑑賞物と同一のものではない。
そしてどんな鑑賞物が現れようが、鑑賞者を汚すことも破壊する
こともない。
故に認識するものである私は破壊することはできない。

何故なら破壊しようがないからである。
それは執着することができない。
なぜなら執着しようがないからである。
動揺することもなく、害されることもない。
自己に対するあらゆる不幸は勘違いである。」


この自己の哲学を発展させたのが、仏教の開祖である釈迦であった。

釈迦は、

「認識するものを認識できないならば、私は何々に非ず、
という言葉も使えない。
何故なら、私はという言葉を使用している時点で、
私を認識しようとしているからである。」

「故に言葉を使用している限りは、真の自己認識である私が
ない状態、
つまり無我の境地をなすことはできない。
言葉を超えた悟りの境地にいたる修行が必要である。」

こうして仏教の戒律と教義ができた。

それでは、無我の境地にいたるにはどうすればいいか?

「まずは縁起の概念を理解する。
縁起とはどのような物事や現象であろうと、それは
単独で存在できるものではなく、たくさんの縁(間接的原因)の
絡み合いによって
起こり浮かんでは消えていく実体のないものである。」



「次に空の概念を理解する。
あらゆる物事、現象は相互の関係性に成り立っており、
確固たる実体としてそこに存在しているわけではない。
例えば、自転車とはハンドルとサドルとペダルなどの集合体である。
これを自転車と人間が名づけているだけで、自転車というもの
が独立して存在しているわけではない。
存在するとは人間が区別のための境界線を引くことによって
現れるだけである。
そういう実体のないもの(区切りのための境界線を引いたこと
で現れただけのもの)こそが存在するものなのだ」



「無分別の実践。何一つ言葉を用いずに世界を理解すること。

人間が何らかの価値基準(ひとそれぞれの勝手な区切り方)
に照らし合わせない限り、この世界に「長いもの」「短いもの」
といったものが存在し得ないのと同様に、「汚いもの」「綺麗な
もの」といったものも存在し得ない。

自転車も国家も鉄原子も銀河系も同様に存在し得ない。

なぜなら、それらも何らかの価値によって切り出されたもので
あり、「長いもの」「短いもの」と同レベルの存在だからだ。



「故にこの空の世界においては、色はなく、感じること、
思うこと、判断すること、意識することこれらの精神作用もない。

これらの状況を実体験するには、言葉を用いるという分別を
やめれば良い。」



「その無分別の境地を悟るために禅などの言葉を排した状態
にするための修行がある」



「無分別を実践し悟りをえても表面上は何も変化はない。
しかし大きな違いもある。
それは悟りをえたものが、日常的な出来事や思考活動が
自己(私)に何も触れることができない」という真理を身をもっ
て知っていることだ。
どんな映画が上映されようと、それが観客そのものを傷つける
ものでないことを悟りを得たものは知っている。」

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