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アニメ評論家・藤津亮太のアニメの門ブロマガ 第104号(2016/12/23号/月2回発行)
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アニメ評論家・藤津亮太のアニメの門ブロマガ 第104号(2016/12/23号/月2回発行)

2016-12-24 22:36
  • 3

 23日から東映アニメーションの『ポッピンQ』の上映が始まりました。
 アニメ!アニメ!で『ポッピンQ』をお題に「漢たちが語る少女の一瞬の煌めき サンキュータツオ×藤津亮太 特別対談」という記事が掲載されています。よろしければ御覧ください。
 では、いってみましょうか。

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1.最近のお仕事紹介
2.Q&A
3.連載「理想のアニメ原画集を求めて」
4.お蔵出し原稿



☆*********************☆
あにしゅがクリスマスフェス2016 in 秋葉原UDX
「年忘れ!今年のアニメを斬る、このキーワード」
出演:藤津亮太、数土直志、小川びい、前田久
12月25日(日)15:00より<無料解放ステージ>
☆*********************☆


最近のお仕事紹介

1.1月期の朝日カルチャーセンター新宿教室「アニメを読む」(東京)
  来年1月からは恒例になった京田知己監督の絵コンテ講座、2月は『アニメとリアル「リアル」とは何か編』、3月は第二期が放送中の『昭和元禄落語心中』です。予約是非。
  https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/6dae2477-773b-02bb-e58c-581065357899

2.1月のSBS学苑パルシェ校「アニメを読む」(静岡)
 1月29日10:30からは『ロボットアニメの歴史』を取り上げます。日本のアニメ史の中でも独特の地位を占めてきたロボットアニメというジャンルが、どんなふうに変化してきたかを追いかけます。
  http://www.sbsgakuen.com/Detail?gakuno=2&kikanno=177856

3.2月の栄・中日文化センター(名古屋)「アニメを読む」
 2月4日15:30より「3DCGアニメの歴史」と題して、最近増加している3DCGアニメはどのように発展してきたかを振り返ります。ピクサーの創設から始まり、国内の『レンズマン』から『アルペジオ』に至るまでの取り組みを振り返ります。
  https://www.chunichi-culture.com/programs/program_171186.html

4.そのほか
 1月29日午後には静岡県三島市民向けの「みしま健幸大学」の講師として、『新海誠作品の魅力』について講座を行います。
 また1月末に出るインタビュー集『声優語』の出版を記念して、2月にイベントを2つ予定しています。来年そうそうにはオープンにできると思います。
 そちらもよろしくお願い致します。


Q&A

「なぜなにアニ門」で質問を募集しています。「件名」を「なぜなにアニ門」でpersonap@gmail.comまで送って下さい。文面にハンドル(名前)も入れてください。。


連載「理想のアニメ原画集を求めて」

文・水池屋(コーディネート:三浦大輔)

第32回『YASUOMI UMETSU KEY ANIMATION DRAWING 9』

 自分がコミケに行くようになったのは、ここ数年のことなのですが、その数年の間にアニメーターの原画集を数多く目にするようになりました。
 もちろん、それ以前からコミケにサークル参加し続けていたアニメーターの人達はいました。その中でも、梅津泰臣さんのサークルの力の入れ方には特別なものがあります。
梅津さんのサークル「しし座流星軍」は、アニメーター同人誌としては珍しく梅津さんのサイト内に過去の頒布物の紹介を載せていて、現在のところ「YASUOMI UMETSU KEY ANIMATION DRAWING」のシリーズは20冊も出ています。
 定期的に、仕事の資料をここまでまとめて本にしているアニメーターの方は梅津さんの他には、結城信輝さんや、今石洋之さんくらいかもしれません。

 内容は、その時々の梅津さんのお仕事に関する資料を掲載したもので、その内容と量から、梅津泰臣の仕事全集と言っても良いものだと思います。
 印刷のレベルも高く、同人誌だけでなく、商業の本と比べても、原画集の中では最も綺麗な状態で原画を見ることのできる本となっています。商業の原画集には、ぜひとも参考にしてもらいたい内容です。
 アニメーターとしての梅津さんの実力は言うまでもないことですし、見やすさから言っても、アニメーター志望者の人にとっても手に取りやすい本かもしれません。

 また、梅津さんといえば、アニメのOPやEDでのお仕事が有名です。この一連の同人誌では、そちらのお仕事もしっかり見ることができます。
 OPやEDの資料を掲載している場合は、絵コンテから掲載されています。描きこまれた本編の修正や原画よりも線の少ないシンプルな状態の絵を見ることができるので、その分しっかりとしたデッサン力の高さを感じられるかもしれません。

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 1ページに1枚、きちんと大きく掲載されているので、その絵をしっかり見ることができるのが嬉しいところです。
 基本的に、梅津さんが描いた絵だけが掲載される同人誌ですので、OPやEDの仕事集の場合は、絵コンテ以外にはレイアウトや原画などの修正の掲載が多いようです。
 こちらもきちんと大きく掲載されています。また画像処理が丁寧なので、白黒でもカラーでも綺麗な状態で見ることができます。
 発行点数が多いので、自分は数冊所有しているだけなのですが、その中の『YASUOMI UMETSU KEY ANIMATION DRAWING 9』に掲載されている修正には、レイアウト修正や原画修正など、どの作業工程で描かれたものなのかが明記されています。珍しいと思ったのが、「原画修正/DVD版」というものが掲載されていたところです。

 確かに、TV放映版とソフト版の画像を比較するなどして、そうした作業工程に言及される機会も多いのですが、それがはっきりと明記されている資料は見たことがありません。
 もしかすると、現在発売されているアニメ原画集の実態は、明記はされていないので分かりませんが、TV版の原画や修正、ソフト版の原画や修正が入り乱れている状態なのかもしれません。この本を見るまでは、そういう感覚で原画集を見たことがなかったのですが、今のアニメの制作状況を考えてみると、そうした感覚も必要なのかもしれません。
 どちらにしろ、現在の行きつ戻りつするアニメの複雑な作業工程を感じさせる、アニメの制作資料として貴重な情報だと感じました。

 梅津さんの近年のOPやEDのお仕事は、梅津さんの個性を活かしつつも、作品のファンにも寄り添った内容として見応えがあるものだと思います。
 そうした、作品のファンにも安心して手にとってもらえる、見応えのあるメイキング本でもあり、アニメーターや絵描きとして卓抜した梅津さんの実力がうかがえる画集でもあり、原画集や資料集としても、商業の本に見習ってほしいと思ってしまうような、満足感のあるものとなっています。
 コミケに足を運んだ際に、何を買えば良いのか分からなかったら、安心して手に取れるアニメーター同人誌になっていると思います。

(『YASUOMI UMETSU KEY ANIMATION DRAWING 9』/しし座流星軍/3240円)


お蔵出し原稿

 「クリぼっち」などという新語?もできたようなので、「アニメ喜怒哀楽」の第19回から「一人暮らしの哀愁」という原稿です。

一人暮らしの哀愁

ハウルの城が汚い理由

 若い男の一人暮らし。それは基本的に乱雑で汚い部屋とイコールだ。もちろんそこに『のだめカンタービレ』の主人公のだめこと野田恵のような若い女の人を含めても一向に構わないのだが、やはり若い男のほうが、汚さにおいては一日の長(?)がある。「ブランド」が確立しているといってもいい。
 アニメで描かれた中でも、一、二を争う汚い部屋に住んでいたのは、おそらく『ハウルの動く城』('04、宮崎駿監督)のハウルだろう。

 
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以下は上田繭子さんがゲストで来られる13日配信のアニメの門chへの質問でもあります。

去る2016年4月23日・同12月3日、藤津亮太・上田麻由子による幾原邦彦への公開インタビューが行われました。
https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/504ecc89-8ceb-5fc5-dfeb-56a8253950f7
https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/348243ee-1ee0-ba9b-141a-577daebf06e8
URLにあるように幾原氏が物心付いてから「幾原邦彦」に成るまでの昭和後期~平成初期に様々なジャンルのどのような作品群に接したかについてのお話で、聞かれた方の報告に拠れば実際に様々な作品群が挙げられたようですが、ひとつ挙げられていない作品がある。

「哀しみのベラドンナ」です。

幾原邦彦は学生時代に観たという哀しみのベラドンナを公然とリスペクトしそのエッセンスを自作に取り入れている事が指摘される数少ないアニメ関係者の一人で、幾原を「師」とした庵野秀明・新房昭之・細田守もまたベラドンナの主題や表現に学びあの作品やこの作品を作った事は比較すれば判るでしょう。重要な作品なのでベラドンナだけで纏めてインタビューするのかと思っていましたがどうもそうではないようなので。

藤津亮太は十年前06年アニメの門で私に「ベラドンナの様なアニメラマ三部作は表現としてテレビアニメと変わらないから評価に値しない」と仰いました。テレビまんがと変わらないという評価が未だしも当て嵌まり得る-しかしそれは同時期の「東映長編」もそうではないのか?-「千夜一夜物語」「クレオパトラ」についての評価であるなら未だしも、それら「アニメラマ二部作」と「哀しみのベラドンナ」が映像表現として全く違うことはネットでの映像を見るだけでも容易に判ることなのに、藤津亮太は嘘を付いてベラドンナを否定・否認する。そしておそらくは全く同じ動機で、幾原邦彦公開講義の際に触れられるべき「哀しみのベラドンナ」に意図して触れないよう、工作する。

当該講義を共にされた上田麻由子さんが来られるのでお聞きします。藤津亮太は何故「哀しみのベラドンナ」を嘘をついてまで抹殺しようとするのですか?


さて、藤津亮太氏は去る2015年5月16日にアニメの可能性(1)『安寿と厨子王丸』『空飛ぶゆうれい船』と題した講義をしている。「東映長編」について講義をするのは良いとして、何故、制作年代のの大きく離れた、主題にも表現様式にも比較するべき共通性がある訳ではない、「安寿と厨子王丸」と「空飛ぶゆうれい船」との抱き合わせなのか。

私は「東映長編」と括弧を付けました。「東映長編」とは1998年に東映アニメーションに屋号を改めた東映動画の長編アニメーション映画、という意味では無いからです。東映動画の長編映画のうち
「鉄腕アトムに始まる省セル様式では無く、ディズニー等の諸外国のアニメーション映画と同じフルアニメーション様式で作られた」
とされた作品群を中心に、東映動画という会社が1972年以降それらを弊履の如く捨て去り省セルのテレビまんが様式の劇場版に専念することを決めた際に、その棄てられた作品群とそれらを作ったスタッフを顕彰する為に、アニメーション研究・批評の中心であったアニドウが、その時点で東映を辞めてしまった者も多かったそれらの制作スタッフと共に創出したジャンルが、「東映長編」なのです。

アニメ以前の日本のアニメーション映画は「東映長編」「だけ」では無い。あまり遡るわけにもいかないのでアトム直前の昭和三十年代半ば、『Fan&Fancy Free』同人の渡辺泰、森卓也、おかだえみこ等アニメーションの評者を投書欄から見出した雑誌「映画評論」、そのアンソロジー『映画評論の時代』にも採録された佐藤忠男・野口雄一郎「撮影所研究」は東映動画の回で連載を終え佐藤忠男は編集長を辞めている、将に其処で報告されたのが「安寿と厨子王丸」の様な作品を作らされる事への憤懣だ。安寿と厨子王丸の様な作品を作らないという悔恨共同体の上に、労働運動によって東映動画というスタジオを内から良くするか、東映の外に理想のスタジオを作るかの二つの流れが出来た。カムイと正助。「アニメーション」というカタカナ語を日本語に導入したアニメーション三人の会と併せ、東映動画労働組合と虫プロダクション、この三つが会社としての東映動画という中心に対する周縁として、日本の動画の世界を活性化したのです。

そう、大映製作の「九尾の狐と飛丸」もそうですが、虫プロのアニメーション映画は東映長編からの分岐なのです。
「安寿と厨子王丸」「アラビアンナイト シンドバッドの冒険」を分岐点とし、
「わんぱく王子の大蛇退治」と「ある街角の物語」、
「わんわん忠臣蔵」「少年ジャックと魔法使い」など太陽の王子の裏で作られた作品群とアニメラマ二部作、
そして「太陽の王子ホルスの大冒険」「空飛ぶゆうれい船」と「やさしいライオン」「哀しみのベラドンナ」、
最後に「長靴をはいた猫」と虫プロ倒産後にサンリオが製作した「ジャックと豆の木」、
見事に対応しています。
そして虫プロが起死回生の為始めた省セルの鉄腕アトムが東映動画が中心という図式自体を覆してしまい、テレビまんがをブローアップするまんがまつり興行の成功で「東映長編」はテレビまんがの劇場版に取って代わられる。取って代わられた、アニメ以前のアニメーション映画の掉尾を飾るのが「どうぶつ宝島」と「哀しみのベラドンナ」であり、取って代わった、「東映長編」では「B作」と呼ばれるテレビまんが様式の中編を移行期とし専らテレビまんがの劇場版として作られた最初の「アニメ映画」が、「マジンガーZ対デビルマン」と「パンダコパンダ」です。アニメ以前のアニメーション映画はそれ以降もサンリオ製作の幾つかの作品や東映動画「龍の子太郎」など散発的に作られますが、アニメブームで思春期以上の観客を得た「アニメ映画」の主流化で、消滅します。その「アニメ」とは、1977年夏の宇宙戦艦ヤマト劇場版公開に際し同作がそれまでの漫画映画やテレビまんがと異なった若者向けの映像表現である事を表すキャッチフレーズとして、新聞など字数制限の厳しいメディアに於ける略語であった「アニメ」を現在の意味で使う様になった呼称です。渡辺泰山口且訓『日本アニメーション映画史』資料編の末尾が公開予定と記された劇場版「宇宙戦艦ヤマト」で、この本が執筆されている時にアニメは現れておらず、世の表面に現れているのはテレビまんがと漫画映画で、当書刊行と同じ時にアニメは現れた。勿論それらテレビまんが・漫画映画に「アニメ」に至る諸要素は現れており、それらが77年夏にそう名付けられたのですが、我々はその後から、遡っているのです。

「アニメ」が成立して40年目の現在から見たら、いや当時から、「東映長編」も虫プロの映画も纏めて「アニメ以前のアニメーション映画」です。藤津亮太は何故「東映長編」だけが特権的に学ばれるべきものだとし、ベラドンナ始め虫プロのアニメーション映画をそれについて触れることすらしてはならないものとして扱うのか。アニメラマ二部作ですら東映長編の出来の悪いのよりは良いし、年を経て観たからかもしれませんが私は「長靴をはいた猫」より「千夜一夜物語」の方が好きだ。そして「哀しみのベラドンナ」は、内と外に分かれた時の約束を果たす為に「太陽の王子ホルスの大冒険」に真っ向から応答した、太陽の王子と共に日本の長編アニメーション映画の「68年」たりうるただ二つの映画、即ちホルスと比較しうる傑作なのです。

FILM1/24 No.8で大塚康生は、若い人達が口々に「安寿と厨子王丸」を素晴らしい作品だと賞賛しているのがとても悔しい、スタッフの誰一人として誇りを持たずに作った作品なのに。公開当時赤旗が美しい日本絵巻だと賞賛したのと同じ位悔しい、と語っています。その大塚『作画汗まみれ』に採録されたスタッフ達の批評文集を始め『映画評論の時代』に採録された「撮影所研究」や森卓也のコメントなどにあるように、安寿と厨子王丸は非創造なリアリズム様式に基づいて凡そ最低の主題を描いた作品です。「海の神兵」「FUTURE WAR 198X年」などよりも安寿と厨子王丸の方がその主題に於いてずっとひどく、その「すぐれた表現」故にずっと悪質なのです。一方「空飛ぶゆうれい船」ですが、「鉄腕アトムに始まる省セル様式では無く、ディズニー等の諸外国のアニメーション映画と同じフルアニメーション様式で作られた」が東映長編の定義であるなら、「空飛ぶゆうれい船」は東映長編では無い筈です。事実「B作」という区分の始めとなった「サイボーグ009」「同怪獣戦争」などが東映長編として扱われることはあまり無い。抑「A作」ですら全2コマ作画は安寿と厨子王丸迄でわんぱく王子辺りからどんどん3コマが入り太陽の王子では止め絵を命じられ。アニドウによる「東映長編」という区分による顕彰には「森康二系列」「太陽の王子スタッフ」という基準もあり、ゆうれい船はそれによりB作にも拘らず「東映長編」とされたのです。

藤津亮太が、主題でも表現様式でも有意な対称点の無い「ゆうれい船」を安寿と厨子王丸と抱き合わせたのは、ゆうれい船がホルスに引き続きはっきりとした社会批判を盛り込んでいる作品であり、抱き合わせることで安寿と厨子王丸の主題と表現との関係を誤魔化せるからです。その主題をその「すぐれた」リアリズム表現で素晴らしいものだと正当化している「安寿と厨子王丸」を、その主題の酷さにも、当時の人達の言葉にも、見て見ぬふりをして表現「だけ」を「現在の目から見て」素晴らしいと賞賛する事が正しいとする事で、藤津は「安寿と厨子王丸」の主題、即ち「國體」の顕彰、即ち権威主義・事大主義が、正しいものだと、見せかけようとしている。そして藤津はホルスゆうれい船以上にはっきりとした政治批判をする「哀しみのベラドンナ」を存在自体無きものにしようとしている。

1月22日、広島市映像文化ライブラリーで「安寿と厨子王丸」が上映されます。どのような状態で上映されるか私は知らない(去年シネ・ヌーヴォで観た「龍の子太郎」は見事に退色してた)し、現時点で私自身は同日開かれる文学フリマ京都に赴く予定ですが、観る事の出来る方は後学の為に。

そして藤津亮太様の2月18日の朝カル新宿「アニメとリアル 「リアル」とは何か編」に参加させて頂く所存です。若し質疑する際にはお題に沿って切り口は変えます。

No.2 88ヶ月前
userPhoto 藤津亮太(著者)

>>2 事実と異なるところだけ指摘します。

1)06年のおそらくイベントの発言について
→「ベラドンナの様なアニメラマ三部作は表現としてテレビアニメと変わらないから評価に値しない」
僕の考えとかけ離れすぎています。そうは言っていないはずですし、「千夜一夜」と「クレオパトラ」については評価は高くない旨を話した可能性はありますが、、TVアニメと変わらないからではないです。

2)いかのくだり
→「藤津亮太が、主題でも表現様式でも有意な対称点の無い「ゆうれい船」を安寿と厨子王丸と抱き合わせたのは、ゆうれい船がホルスに引き続きはっきりとした社会批判を盛り込んでいる作品であり、抱き合わせることで安寿と厨子王丸の主題と表現との関係を誤魔化せるからです。」
私の講座で抱き合わせたアイデアとはまったく異なります。勝手に動機を捏造することはやめてください。

以上の点については、反論されても水掛け論にしかなりませんのでお返事不要です。

No.3 88ヶ月前

>>3
1)アニメの門に赴いた私との会話の中でそう云われたと記憶しています。勿論私の聴き違いの可能性は十分にあります。
2)当該講座について書かれた記事を読んだ範囲では「安寿と厨子王丸ではリアリズムの表現技法の確立が試みられた、一方ゆうれい船では社会批判的な主題をどのように込めるかが試みられた」と脈絡無く併置する講義をした様に書かれてたので、抱き合わせた理由を「邪推」して診たのが、仰られた件です。18日の講座でアニメのリアルを確立した最も重要な作品の一つとして安寿と厨子王丸を取り上げる、つまりこの講義で語ったことをある程度再話されるでしょうからその時伺うかもしれませんが、「安寿と厨子王丸」みたいな(作品では無く)商品に対しては、この映画を巡りどのような出来事が起き、制作スタッフがどのような思いでこの映画を作り、当時の人達がこの映画をどう論じたか、そしてこの映画の主題(作品が指し示すイデオロギー!)は何なのかが、論じられる題材が映画の表現技法であっても、先立って意識され前提されてなければいけない。
「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」或は「人狼」といった作品を可能にしたリアリズム表現の手法は遡れば「安寿と厨子王丸」で試みられていた、安寿と厨子王丸はリアルアニメの元であり、故に当時の人達の「安寿と厨子王丸」を否定する証言も、指摘されている主題の酷さも見て見ぬふりをして「安寿と厨子王丸」の表現「だけ」を賞賛し支持するのが賢い。と、そのような言説がいま触れ回られてるけど、火垂るおもひでであれ人狼であれ、高畑勲や押井守という映画の主題に責任を取る主体が確としていて、その事によって作品たり得ている。「見返したくない傑作」というカテゴリーで、「火垂る」「おもひで」「人狼」は「哀しみのベラドンナ」と軌を一にするのです。一方「安寿と厨子王丸」にそんな主体はいない、最悪の意味で「商品」でしかない。その安寿と厨子王丸が「リアルアニメ」の表現史上の系譜の上で元にある事を理由に、表現「だけ」を賞賛し支持するのが賢いとする事は、実際には「安寿と厨子王丸」の主題を正当化する事だと思ってます。
アニメラマ二部作とベラドンナを観たポレポレ東中野で買った「哀しみのベラドンナ」DVDを初めてプレイヤー(パソコンですが)に入れたのは2011年の2月から3月にかけてです。美樹さやかの物語を見届けて「哀しみのベラドンナ」を再観賞しなければならないと決断したのです。のち虫プロのアニメーション映画の分岐元である「東映長編」を通しで覧なければならないと判断し郵送返却の出来るTSUTAYAの岡山都市圏の旗艦店であると思しき高屋店でファミリー向けアニメの棚に東映長編が紛れ込んでいる事を発見し借りて視聴しました。「少年猿飛佐助」「安寿と厨子王丸」「アラビアンナイト・シンドバッドの冒険」「わんぱく王子の大蛇退治」「わんわん忠臣蔵」「ガリバーの宇宙旅行」「少年ジャックと魔法使い」「アンデルセン物語」「ちびっ子レミと名犬カピ」「アリババと40匹の盗賊」はこの時初めて覧ましたが、安寿と厨子王丸を観てショックだったのは、「作画汗まみれ」に採録された当時のスタッフ+一名による批評文集で語られていた内容と全く同じで何の付加も無かったことです。正確には一つだけ、前段で沈められた侍女が後段人魚になって出て来る件、此処だけは事前に知らなかったからか、良い感じでした。後はただ確認をするだけでした。

No.5 87ヶ月前
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