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第7回アニメレビュー勉強会、結果発表です
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第7回アニメレビュー勉強会、結果発表です

2013-07-17 10:30
    7月7日(日)に行った第6回アニメレビュー勉強会の結果を発表します! お題は『ランゴ』と『銀河鉄道の夜』。今回は第1位~第3位に加えて、「逆」を一番多く集めた「逆KING!」も発表してみます。ちなみに「逆」というのは「これはヒドい」もしくは「これはヒドい(笑)」といった強いインパクトを残した原稿につけられるスペシャルな採点です。
     なお次回の第7回は11月24日(日)、お題は『ねらわれた学園』です!

    第1位
    原稿【12】/高橋宏知/想定媒体:「週刊プレイボーイ」「週刊SPA!」など。男が男の生き様を学ぶ映画特集

    (タイトル)
    ※なし※
    (本文)
    「Let’s go」「Why not?」。
     男気を示すにはたった2つのセリフのやり取りで十分だ。1969年製作、最後の西部劇と呼ばれた『ワイルドバンチ』(サム・ペキンパー監督)のラスト直前のシーン。時代に取り残された無法者4人が、自分たちの仁義を通すためだけに百人以上の敵に立ち向かう。戦ったら死ぬことはわかっている。でも行かないわけがあるのか? ただの悪党である男たちが漢(おとこ)を見せるこの男気映画史上屈指の名シーンは、あふれ出る男気臭で見る者をむせかえらせた。
     かつて男たちはこのような男気映画を見て、男の生き様を学んだのだ。ジョン・ウェイン、チャールズ・ブロンソン、アーネスト・ボーグナインなどなど。西部劇はまさに男気の見本市。荒野には男の教科書ともいうべき男たちがいっぱいおり、男とはいかなるべきかを我々に教えてくれていたのであった。
     だが現在。男たちは危機に瀕している。かつて男道を示した真の男たちが、ほとんどいなくなってしまったからだ。西部劇? 何それ見たことないよ。そんな者も少なくない。非常にいかんのである。じゃあ、どうすればいいのだ?
     そんな中、2011年にアメリカで1つのアニメ映画が公開された。『ランゴ』だ。マカロニ・ウェスタンの代名詞『ジャンゴ(邦題:続・荒野の用心棒)』を想起させるタイトル。そう男気の代名詞、西部劇だ。監督はゴア・ヴァービンスキー、主演はジョニー・デップ。大ヒット海賊映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』のコンビである。
     そしてこの『ランゴ』こそが、男道を失った現在の男子たちが括目すべき映画なのである!
     物語の舞台は、砂漠の動物たちが暮らす西部開拓時代のような町「ダート・タウン」。そこへ流れ着いた主人公のカメレオンが保安官となり、町を牛耳る悪と対決していくという話だ。ちなみに「ランゴ」というのは、主人公のカメレオンが名前を聞かれ、とっさに騙った名前である。
     アニメ? しかも主人公がカメレオン? 確かにパッと見は男気と関係なく見える。物語もユーモラスだし、実際、このランゴは温室育ちの役者志望。嘘の武勇伝を語ったせいで住民たちから一目置かれ、保安官になったはいいが、銃なんて撃ったこともないダメレオンである。それどころか自分のミスのせいで銀行に預けられていた大切な水を強奪されてしまうと、そのミスをさりげなく隠ぺいさえする。どう見ても真の男と言いがたい。
     では、この作品の一体どこに見るべき男気があるというのか?
     結論を言おう。それは物語のクライマックスのシーンに凝縮されている。
     死神ジェイクという無法者に、ただのカメレオンであることを暴かれ、一度は町を去ることになるランゴ。自分が一体何者なのか、男としてのアイデンティティを失った彼は荒野の果てで西部の精霊と呼ばれる伝説の存在に出会う。このシーンだ。はっきり言って、この映画はこのシーンを見るためにあると言ってもいいぐらいだ。男気満点! このシーンの衝撃といったらない! 何せランゴに男道を語る西部の精霊は、どう見てもクリント・イーストウッドまんまなのだから! イーストウッドといえば西部の男たちの魂を受け継ぐ最後の男気オブ男気俳優。真の漢から男気を学び、漢になる。これで奮い立たない男はいないだろう! さらにこのシークエンスになって、本作の狙いも瞭然とする。ランゴの成長物語に仮託して、ヴァービンスキーは西部劇を現代に継承するという意気を見せたのだ。このシーンが見る男の心を揺さぶるのは、ただランゴが漢になるから、というだけでは決してない! 
     もちろん、この後のランゴもすこぶるカッコイイ。本物の男になると決めたランゴは、住民たちを救うため悪党どもが待つ町へひとり舞い戻る。彼は2つのセリフではなく、たった1つの弾丸で漢を見せる。まったくもって冴えたやり方で。そして改めて死神ジェイクに立ち向かうランゴの勇姿を見てほしい。そう、じつはこのときランゴは丸腰なのだ。蛮勇? 違う。ランゴがただ漢だからだ。
     ところで最後の西部劇と呼ばれる作品は、『ワイルドバンチ』以外にもうひとつあるのをご存知だろうか? 答えはクリント・イーストウッド監督『許されざる者』だ。この作品は師であるドン・シーゲル、セルジオ・レオーネに捧げた作品と言われている。奇しくもドン・シーゲルはサム・ペキンパーの師匠でもある。シーゲル、ペキンパー、イーストウッド。1992年に途絶えた偉大なる男気作品の系譜に、『ランゴ』という作品は名を連ねようとしている。
     ランゴが男気を継承し漢になる物語と、作品自体が男気映画を継承する。まさに男気スパイラルを加速させる二重構造! 男のための映画だということがよくわかるだろう。となれば、子供向けのアニメだからといって本作を見逃していいものなのか?
     答えは「Why not?」だ。


    第2位
    原稿【17】/磯部正義/想定媒体:映画雑誌(80年代アニメーション特集)

    (タイトル)
    犬と猫と人間、あるいは死者
    (本文)
     1985年に公開された劇場アニメーション『銀河鉄道の夜』(監督:杉井ギサブロー)のキャラクターたちは、二本足で歩く猫の姿で登場する。この着想は、宮澤賢治の同名原作を漫画化したますむら・ひろしのアイデアを原案としたものだ。キービジュアルとしての印象はきわめて強烈で、本作をなにより〈猫の〉ジョバンニたちの物語として記憶にとどめているかたも多いだろう。
     ところで本作に遡ること一年前、やはりキャラクターがみな動物の姿で登場するアニメーション作品が劇場公開されている。『名探偵ホームズ』(監督:宮崎駿)である。伊との合作TVシリーズとして企画、紆余曲折をへて『風の谷のナウシカ』併映として公開されたこの作品は、ドイルの著名な探偵小説を奔放に換骨奪胎した結果、敵も味方も全員が犬になっているのだ。
     ふたつの作品はともに著名な原作を翻案、登場人物が動物の姿をしているという共通項をもっている。そしてにも関わらず両者は、正反対といっていいほど対照的な外観をもった作品だ。
     乗り込むと体がはみ出すくらい小さな自動車で、翼竜を模した飛行機を追いかけるホームズたち。その車体が開きつつある可動橋を駆け上がる瞬間、漫画映画的伝統のなかで培われた、アクション活劇の魅力がほとばしる。『ホームズ』において、キャラクターが犬であるという設定は、それがリアリスティックでないぶん、より思いきって大胆なアクションを盛りこむことのできる余地を作品に与えている。出来事がより「漫画映画的な」拡がりをもつことができるのだ。
     一方の『銀河鉄道の夜』において、登場人物が猫の姿であることは、本作の寓話的要素を強める効果をもたらしている。また敢えて猫の姿にすることで、このきわめて有名な原作文学について観客が大なり小なり抱いているジョバンニたちのイメージをむしろ壊すことなく、作品世界に観客を連れて行くことができる。〈猫〉という記号の寓意の高さが、作品への架橋の役割を果たしているのだ。星祭りの夜、突然空の彼方から現れた機関車に乗り込んだジョバンニが経験する、幻想的な旅路の物語。それは、スペインロケによってもたらされた暖かみのある光、宇宙の闇に次々と現れる抽象絵画のような光景、幻惑的な演出のテンポ、そして通底音として流れつづける、エキゾチックで、未来的で、また宗教的でもあるような細野晴臣の音楽によって、とびきり貫通力のある映像表現へと押し上げられる。
     漫画映画的な魅力が零れ落ちる『ホームズ』。前衛性と郷愁を高いレベルで同居させた『銀河鉄道の夜』。この近くて遠い両者を比較する上でもうひとつ挙げておくべき点があるとすれば、それは『銀河鉄道の夜』に、少女(かおる)とまだ幼い少年(ただし)、それに二人の家庭教師である青年という、三人の「人間」が登場することだろう。
     『ホームズ』にも当初、ひとりだけ「人間」が登場するプランが存在した。ホームズたちに部屋を貸す大家であり、本作のヒロインでもあるハドソン夫人である。犬ばかりの世界の中で彼女だけが人間であるというこのとっぴな案はしかし、最終的に不採用となる。ハドソン夫人はホームズたちと同じく犬の姿となり、その世界観のなかで魅力を発揮することになった。
     たったひとり登場する人間の美女の周囲で駆けずり回る犬たち、というのは――案外すんなり受け入れられたかもしれないが――いささか異様な光景には違いない。『銀河鉄道の夜』においても、猫たちの中に突然現れる三人の姿はふしぎな感覚をもたらす。だが当のジョバンニやカムパネルラたちは、とりたててそのことを不審がるふうもなく、ともに列車の旅を進めていく。
     映画の後半、この旅路はじつは死者を運ぶ道行きであり、三人は遭難した豪華客船・タイタニック号の乗客だったことが明らかになる。その意味を考えるなら、ジョバンニたちが三人の人間に対して驚く様子を見せないのは、この列車が、死者の魂を運ぶ場所であるからかもしれない。死にゆく魂にとって、見てくれの姿が猫か人かなぞ、瑣末なことに過ぎないからかもしれない。
     バイタリティーに充ちたロンドン裏通りのリズムに比べたとき、『銀河鉄道の夜』のリズムは、死にゆく者の目線を含むことで獲得された、厳粛な、ミサのような響きを発している。だがそのことはけして、『銀河鉄道の夜』という作品が、死のほうを向いた映画であるということを意味してはいないだろう。
     物語のラスト、カムパネルラとの旅の意味を理解したジョバンニは、ミルクを手に母のもとへと駆けだしていく。どれほど濃密な死の匂いがあったとしても、『銀河鉄道の夜』は死をめぐる映画であると同時に、その死から「戻ってくる」ことについての映画なのである。その先には人生が続いている。どう転ぶかわからないジョバンニの人生が続いている。彼が走っていく先にあるのが、ベイカー街の喧騒であってもかまわないのだ。


    第3位
    原稿【12】/三浦大輔/想定媒体:映画雑誌

    (タイトル)
    ※なし※
    (本文)
    ――「我々の敵は、人間でもシステムでもない。平凡なことだ」ゴア・ヴァービンスキー(『THE BALLAD OF RANGO』)

     新鮮な風は、常に外から吹き込んでくるものだ。
     『ランゴ』は、『パイレーツ・オブ・カリビアン』を手がけたゴア・ヴァービンスキー監督が、慣習に縛られない映像づくりに挑んだアニメ映画だ。
     その野心的な試みを実現するため、彼は映画界のしがらみを絶ち、自身のスタジオ「blind wink」でイメージを磨き上げた。初挑戦のアニメ映画。主人公は、リアルな質感のカメレオン。アニメでは感情表現の要となる「瞳」も異例の小ささだ。脇役は、黒ずんでツヤの無い砂漠の動物たち。テーマは自己実現。声優に衣装を着せ、実際に演技させるレコ―ディングのアイデア等々。
     彼は、2Dのストーリー・リールを仲間たちと作り上げ、世界最高峰の映像工房「ILM」に持ち込んだ。そして誕生したのが、長編3DCGアニメ『ランゴ』である。
     ストーリーはこうだ。アメリカ、灼熱のモハーヴェ砂漠に、今なお西部開拓時代の伝統を受け継ぐ動物たちの街があった。そこに現代っ子のカメレオンが迷い込む。「俺は西部出身の腕利きガンマン・ランゴだ(ウソ)!」偶然が重なって保安官に任命された彼は、日照り問題に揺れる住民の期待を背負い「水」の探索に奔走する。しかし、西部のガンマン「死神ジェイク」(本物)が街に現れた日、彼の欺瞞は白日の下にさらされる。「あなた、本当は何者なの?」「うう……」信用を失い、心をズタズタに引き裂かれた彼は砂漠へと消えていく。カメレオンと街の運命は、一体どうなってしまうのだろう!? あなたはどうなると思う?
     この後の展開に如実に表れるのだが、本作は単なる娯楽映画ではない。おちゃらけたカメレオンが、英雄に生まれ変わる叙事詩映画だ。そして、それは映画冒頭からここへと至る軽いノリの中にも、メタファーによって表現されている。ディティールに注目すると、神話的物語が浮かび上がる。そんな作りが、本作の大きな魅力となっている。
     どういうことか? 実際に、冒頭の10分間を見てみよう。
     ファーストカット。哀愁を帯びたカントリー調の楽曲「ランゴのテーマ」に乗せて、「RANGI」という文字列が現れる。直後、銃声が轟くと、弾丸が右端の「I」を穿つ。文字列は「RANGO」に変わる。一発の弾丸が「I(=私)」に変化を及ぼし「ランゴ」が誕生する、そんな内容にふさわしいタイトルカットだ。(ちなみに、干上がった街を救う男の名が、アメリカ西部の街「Durango(水の街という意味)」に由来する点も気が効いている!)
     本編の幕が開く。一匹のカメレオンが、狭い水槽の中で、仲間たちとシェイクスピアの『十二夜』を上演している。と言っても、仲間たちは水槽用のアクセサリや虫の死骸といった無生物。なんとも孤独な演劇である。カメレオンの役柄は、男装の貴人シザーリオ。つまり、男に扮した女を演じるオスのカメレオン、それが初登場シーンにおける彼の立ち位置だ。誰かを演じることは得意だが、仮面を被りすぎて、その下の素顔が希薄なカメレオン、そんな彼にピッタリの役柄である。
     さらに言えば、『十二夜』はキリスト顕現日(クリスマスの12日後)前夜の祝宴を描いた作品と言われており、本作で街の救世主となる男が、その前段に演じるにふさわしい演目といえる。
     水槽の中の世界は、彼を除いて皆プラスチックのような質感で、すべてがカラフルだ。その様式は、CGアニメの王者・PIXARが89年に制作した『ニックナック』を連想させる。『ニックナック』は、シェルフに飾られた旅行土産たちの物語だ。PIXAR作品の中でも、際立って記号的なキャラクターが登場する短編として知られる。それに似ている水槽の中の世界は、要するに、観客が思い描くオーソドックスな3DCGアニメのビジュアルではないだろうか。その水槽は、突然のアクシデントによって粉々に破壊され、カメレオンは外の世界に降り立つ。(ちなみに本作の「水槽」は人生を取り囲む檻のメタファーだが、その崩壊は劇中で2度描かれる。その点にも注目だ!)
     ここまでで冒頭10分。主人公の旅立ちと共に、古典的な作劇やオーソドックスなアニメビジュアルとの決別を暗に表明し、新機軸の3DCGアニメワールドへと突入していく。
     この後、カメレオンがたどり着く街には、銃の得意な者が大勢いる。しかし、彼らは街を襲う「水」問題を解決できない。ランゴは西部劇ヒーローの素質には欠けるが、迷信から自由かつ現代社会からやってきた者だからこそ、街で大きな仕事を果たすこととなる。
     枠組みの外から来た者が、新たな道を示す。その点において、劇中の物語と、このアニメそのものの有り様は重なり合う。本作の観客は、カメレオンの自己実現を見守ると共に、1人の映画監督の再生にも立ち会うことになるのだ。


    逆KING!
    原稿【16】/磯村智典/想定媒体:『爆笑問題の映画原論』(サイゾーでの連載コラム)

    田中-今回、取り上げる作品は『銀河鉄道の夜』。杉井ギサブロー監督による、1985年に製作された劇場用アニメ映画で、毎日映画コンクール・大藤信郎賞受賞作。
    太田-杉井ギサブロー監督といえば、『タッチ』の監督でもあるんだよね。
    田中-へぇー、よく知ってるじゃん。
    太田-ちょっとだけね。ちょっと、ちょっと。
    田中-それは「ザ・たっち」!双子のお笑いコンビだよ!  『タッチ』は、幼馴染のために甲子園を目指す、という漫画だよ。双子が出てくるんだけれど、弟が事故死しちゃうんだよね。
    太田-そこで、幽体離脱!
    田中-しねーよ。それよりも、今回、話題にしたいのは『銀河鉄道の夜』。原作は言わずと知れた宮沢賢治だけれど、原案としてますむらひろしさんの漫画を起用して、登場人物の多く
    を擬人化された猫で表現してるんだよね。
    太田-猫ひろし!猫ひろし!
    田中-猫ひろし!じゃねーよ。大体、彼は猫の擬人化じゃないだろう。
    太田-カンボジア人の擬人化だっけ?
    田中-ちげーよ!カンボジア人も人間!猫ひろしは、舘ひろしのタチに対して、同性愛用語であるネコとしたの。だから、擬人化じゃねーの。
     それよりも『銀河鉄道の夜』だけれど、ストーリーはざっと、こんな感じ。
     病気の母と暮らし、学生ながらも活版所で働いて帰らない父を待つジョバンニという少年がいるんだけれど、とある祭りの夜に、丘の上で一人空を見上げていたら、そこに鉄道が到着するだよね。
     そこで、その鉄道に乗り込むと、親友であるカムパネルラがいて、2人はそのまま銀河へ向けて旅立つんだけれど…、というお話で、このアニメ映画の他にも、何度も映画化や舞台化されてるんだよね。
     太田は宮沢賢治も好きだったよな。この原作も…。
    太田-勿論、読んだことあるよ。
     「ではみなさんは、そういうふうに川だといわれたり、乳の流れたあとだといわれたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」と、始まるんだよね。
    田中-そうそう。
    太田-そして、「答えはブログで」と。
    田中-そんなこと書いてねーよ。ってか、そもそも賢治の時代にブログなんてねーよ。
    太田-それからジョパンニらは、銀河鉄道に乗って、機械の体を手に入れようとするんだっけ?
    田中-それは『銀河鉄道999』!
    太田-パクリ?!裁判だ!
    田中-そりゃ、確かに松本零士さんは、『銀河鉄道999』の中に出てくるフレーズをパクったと槇原敬之さんを訴えたけれど、一応松本零士さんは、賢治の弟である清六に「銀河鉄道」拝借の許諾を申請してるんだよ。
    太田-ちぇっ。
    田中-ちぇっ、じゃねーよ!
    太田-で、銀河鉄道に乗って、モロッコに行くんだっけ?
    田中-だからちげーよ!なんでモロッコに行くんだよ!
    太田-女のカラダを手に入れるために。
    田中-んなもん、手に入れてどうするんだよ!
    太田-受け身のレズに…。
    田中-だから、そのネコじゃねーよ!
    太田-にゃー。

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