そんなわけでユーザー発信でゲームを盛り上げる時代になったんですが、僕の嫌な予感として海外ではこの流れが持続して、日本ではいつか燃え尽きるんじゃないかという懸念があります。
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これを読み終えて、コメントをオブラートに包んでいきたいと思いました
個人的に怖いと思うのは、にわかは喋んなと言っている人の中に子供が多いのではないかということですね。比較的子供でも遊べるゲームに多いですし、ニコニコよりも低年齢層が多いyoutubeで顕著な気がします。
相手を見下す為に視聴している人が多いのは、格好良い、可愛いだけのゲームが上手くない人が実況する番組が多いからという側面もありますが、スマートフォンやパソコンを小学生に入る前から使用するのに対して、IT教育が遅れていることも要因なのかと思います。
PCゲームやコンシューマゲームの黎明期は、PCや筐体を誰もが手に入れているわけでは無かったので、持っている奴の家に複数人数で押しかけて夕飯前まで遊んでいた記憶があります。実況とは相反しますが、その場だけの閉じた空間の共有です。そこではけなしあいなんかなかったし、そのばにいる連中はお互い楽しく遊べていたと思います。今は水道の蛇口をひねるような感覚でインターネットに触れられる状況で、「手を伸ばせば使える」と捕らえている人達にはITリテラシーの布教が益々重要な状態なのかなぁ。そういったインフラを作る片棒を持った我々の世代も悪いのですが。
「すべてのジャンルはマニアが潰す」はすごく商業的な視点からの発言だと思う。実際、潰れないから。中條Dがずっとプロレス好きだったのがいい証拠(文章より推測)。でも、商業的には瀕死だったんだろうね。商業的に瀕死になると、それ目当ての人が去っていくから母数も減って、クオリティの高いものは生まれにくくはなると思うけど、その中で自分たちで模索してでも楽しめちゃうのがマニアの人たちでしょ?たぶん。ゲーム実況という分野はまさにそれでいいのではないかと。ゲーム実況が日本を席巻する時代はちょっと見たくない(現状、席巻しつつあるけど)。インターネットはコミュニケーション空間であって、ニコ生等で辛辣なコメントがある程度散見できるという状況が続いているのは、その空間にいる人々がそれを許容しているから。プライベートだとかパブリックだとかそういうんじゃなくて、コミュニケーションが成立してしまっているんだと思う。そのある程度閉ざされた空間を壊してバリアフリー化してより多くの人が来やすくする目的って何?商業的目的はもちろんあるだろうね。視聴者が増え、会員が増えれば色々と新しいこともできるだろうからね。あとは単純に良いもの、楽しめるものを作ったからたくさんの人にそれで楽しんでほしいという思いも大きいのかな。でもそれって双方向メディアとして成立してる?中條Dの「海外に遅れをとりたくはない」どの立場から、何を見て言ってるのかな?