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さとPin。さん のコメント

それぞれが色んな想いを込めて育て繋がれた未来の種。同じなのは福山雅治を愛して止まないこと。BROSの一員でいられたことに感謝しています。
私のもとに来たのは仙台ライヴ。未来の種が新しい店舗で育てられたらいいなと話していた矢先、頂くことが出来ました。10粒から4000粒に‼
命のリレーです。娘たちがお世話になった小学校の教頭先生から是非種を蒔かせて下さいと暖かい言葉を頂いたので今年は小学校でも育てています。
先日の渋谷のラジオでのコメントも心が温まり嬉しかった。BROSで良かった。みんなに出逢えて良かったと思いました。
今年はどんな花が咲くか楽しみです。
SIONさんの12月の歌詞の【ひからびた時間に 夢という水をまき】と思いながら福山さんに逢えることを願いながら毎日ひまわりに水をあげています(笑)

こどもたち。ひまわりのように こころもからだも
大きくなあれo(*⌒―⌒*)o
No.4
103ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 子供たちの「大切に育てまーす!」という元気な声が初夏の校庭に響き渡っていた。小さな手にひと粒ずつ託されたのはひまわりの種。僕がその想いを受け継ぎ、東京のコミュニティ FM 「渋谷のラジオ」に託した「未来の種」だ。   2020 年までにヒートアイランドを解消するという目標を掲げ、渋谷区で養蜂を通じての緑化活動を推進されている KATSU 佐藤さんから「未来の種」を渋谷区の小学校で子供たちに植えて貰ったと、ラジオを通じて報告があったのは昨日のことだ。 「このひまわり、最初のひと粒は福山雅治さんが 2002 年に植えた種なんです」(※2002年に放送されていた「福山エンヂニヤリング」というテレビ番組において)   KATSU さんがあったかい語り口で子供たちひとり一人に託された種の由来を説明する。 「このひと粒を植えて大切に育てて花を咲かせると、 100 粒くらいの種が採れるんですね」  手の平のひと粒がやがて 100 粒になるという事実に子供たちが驚きの声を上げる。 「それを 15 年間、夏が来るたびに大勢の人が繰り返して来た結果が、皆さんひとり一人に託したひと粒の種なんです」  自分たちが生まれる前から 15 年に渡って繋がれて来た命の連鎖について、そしてその重みについて彼らなりに理解してくれたのだろう。その答えが子供たちの中から自然に沸き上がって来た「大切に育てまーす!」という元気な声だった。  都市開発により失われた緑を取り戻すことで温暖化を食い止め、 2000 年前から受け継いで来た渋谷という土地を、未来の子供たちに繋いでいきたいと KATSU さんは語っていた。そう、土を耕し、種を蒔くのは、今生きている自分たちが愛でる花や食べる物を育てることだけが目的なんじゃない。生きた大地を守ること。そして、そこで芽を出す種を守ること。すなわち地球環境と種を保存し、未来につなぐことも大きな使命なのだ。しかし、経済効率が優先されがちな現代において種を採っているのは「種の大切さ」に気づいている一部の有機農家だけだ。多くの農家が種苗メーカーが改良した種を毎年買い、収穫を終えたら次の作付けの為に畑を空ける。人類の未来はもはやグローバルな種苗メーカーだけに握られていると言う識者も数多くいる。  しかしそれも仕方ないのだろう。経験したことのある人なら分かると思うけれど、種を採るのはそれなりに面倒だ。ひまわりで言えば花を楽しんだ夏が終わっても土から茎を抜くことなく、その命が朽ち果てるのを晩秋まで待ち続けなければならない。命に対する慈しみとやさしさがなければできない行為だ。にもかかわらず「未来の種」を手にした人たちはそれを誰に頼まれたわけでもないのにやってくれた。そして全国に拡散してくれた。その命を繋いでくれた。もちろん知っていた。毎年夏に花を咲かせたひまわりを、福山さんのラジオ番組に届く手紙やファンクラブの会報に掲載された写真などで目にするたび、この静かなる連鎖は「実はとてもすごいことなんじゃないだろうか」と感じていた。それは3年前、大勢の人が繋いで来た中の数粒が僕の手元にも届いた時、確信に変わった。  今年 25 周年を迎えたファンクラブ BROS. について「いい人、やさしい人が多いですよ」と福山さん自身も語っていたけれど、そんなファンの皆さんによって 15 年の長きに渡り命をつながれて来た「未来の種」はまさしくそれを象徴するもののひとつなんじゃないだろうか。そして、そのやさしさの種はこの夏、東京の渋谷区でも子供たちの手でさらなる未来へと受け継がれ始めた。  ここまで命をつないで来てくれたファンの皆さんひとり一人のやさしい想いに僕からも改めて感謝の意を伝えさせて頂きたいと思います。  本当に、本当にありがとうございます。  素晴らしい未来はひとり一人のやさしい想いが編み上げる奇跡だと、改めて気づかされました。
草の根広告社
『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と

「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。