さて、先日から「明日使える雑談術①〜⑤」をお伝えしてきました。
これからのテクニックを身につければ、あなたの雑談力は確実に上がるでしょう。
けれど、表面的に雑談力を身につけただけでは、あなたの本当の目的を叶えることはできません。
きっと、あなたはきちんとコミュニケーションがとれるようになって、心からわかりあえる親友やメンターと巡りあい、己の能力を思う存分、発揮して今より一段高いレベルの仕事をし、いっそう幸せな人生を歩むことを願っていると思います。
その願いを叶えるためには、真のコミュニケーションをとることを目指さなければなりません。
真のコミュニケーションとは、人と人とが心と心を通わせることです。
学術的にいえば、コミュニケーションは、言葉を介する言語的コミュニケーション(verbal communication)と、言葉を介さない非言語的コミュニケーション(noverbal communication:顔の表情、顔色、視線、身振り、など)に分けられます。
難しい話はここでは省きますが、わかってほしいのは、私たちは日常、当たり前のように言葉を使っているので忘れがちですが、言葉は心と心を通わせるための手段の一つに過ぎないということです。
真のコミュニケーションを達成するためにもうひとつ忘れないでほしいことがあります。
それは、心と心を通わせるためには、あなたが相手を好きにならなければならないということです。
会社の上司や先輩や同僚、取引先の相手方には、性別が違ったり、年が離れていたり、考え方がまるで違ったりする人もいるでしょう。
ここでいう好きとは、そういう人たちと前向きに付き合ってほしいということです。
たとえ相手を好きにならなくても、テクニックを使えば、短期的には相手があなたのことを好きになるよう仕向けることはできるかもしれません。
けれど、それではいずれかならず破綻し、すると相手は裏切られたと逆上して、コミュニケーションを取る以前よりも仲が悪くなってしまう危険性があります。
だからテクニックに溺れることなく、まずはしっかりと相手と前向きに付き合ってほしいのです。
古代ギリシャの哲学者、アリストテレスはこう言っています。
「垣根は相手がつくっているのではなく、自分がつくっている」
「どうせ私は気に入られない・・・」と勝手に卑屈になったり、「私は人と接するのが苦手な性格だから・・・」と自分から見えない壁を作ったりしてはいないでしょうか?
あなたが心を開いていなければ、当然、相手も心を開きはしません。
慣れないうちは、自分から心を開くのは難しいでしょう。
また、心を開いた途端、相手は警戒心を解いて、あなたに愚痴や他人の文句を言ってくるかもしれません。
そこで「だから嫌なんだ・・・」と煙たがったりせず、一度は相手の言い分も聞いてあげましょう。
人間は、自分の経験と照らしあわせて他人のニーズや欲求がわかっていると思い込むことが多いものです。
だからその愚痴があなたにとってはうんざりすることでも、もしかしたら相手にとってはもう誰にも打ち明けられなくて、本当に困ってあなたに相談をしてきたことかもしれないのです。
精神科医の斎藤茂太はこう言っています。
「愚痴は一度目は聞いてあげよう。二度目は話題を変えてあげよう」
自分が相手に理解してほしいのと同じように、相手も同じように理解してほしいと望んでいます。
だから自分の尺度だけで判断せず、相手と前向きに付き合っていきましょう。
他の雑談術を知りたい方は、『雑談の心得。〜気まずーーい空気を一瞬にしてとかす40のテクニック〜』を参照してください。
コメント
コメントを書くこんにちは。楽しく読ませていただきました。ただ、気になる点があります。コミュニケーションの語彙の定義をなさってエントリをお書きになっているのはとても良いことだと思います(最近ブロマガで定義をせずにコミュニケーションの話を書いているものがあり、なおさら感じました)。
ただ、「真のコミュニケーション」の表現をお使いですが、これは「コミュニケーション」ではいけませんか。それから、「真の」というのは、あくまでも美濃部さんの議論の中で求める定義(有り様)の話であって、それを「真の」と書いてしまうことに齟齬はありませんでしょうか。一般的にはコミュニケーションの定義には、そのすれ違いや伝達ミスがあることを含めているのであり、そちらの方こそがコミュニケーションの真の様態かと思います。その中で、コミュニケーションの一形態を取り上げ、重要視し、その脈絡で態度や営為を論ずるのであれば、とてもよく分かる話だと思います。
それからブログであってもこの内容であれば出典を明記すべきです。アリストテレスと斎藤茂太の言説の引用元、出典を本文中でも文末でもあげなければ、引用のルール違反ですね。特にアリストテレスについては訳者が存在するわけですから。もしかしたら、孫引きで原典を読まずにお書きになっているのではないかと心配しております。杞憂であれば良いのですが。