• このエントリーをはてなブックマークに追加

ぼくちんさん のコメント

物事が上手くいってるときほど警戒してます キリッ

恐怖って人に先のことを考えなくさせますよね。
ぼく怒られるのがいっつも怖くて。
怒られる寸前(回避できるかどうかの瀬戸際)になるとテンパります。
怒られることが正式決定すると、開き直るしかなくなるので、『ああ今怒られた方がいいな。さっさと怒られよう』っていきなり大胆になれるんですけど。

身の回りが便利になって行くほど、自分の性格がせっかちにめんどくさがりやになって、
全体的にめんどうなことへのメンタルが落ちてるなと実感します。
面倒恐怖症です。生殺しの恐怖に怯えてます。

羽生さんの話面白いですね。

ひとつの勇敢なおこないがあったとして、
臆病な人間が葛藤があって行うのと、
勇敢な人間が恐怖心なくやるのでは意味合いが違いますね。

羽生さんの底力は精神的な幅の広さがもたらしてるのかもしれないですね。
No.1
140ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
以前、人間は恐怖心から嘘にコロッと騙されてしまうと書いた(「 人はなぜ明らかな嘘をコロッと信じ込んでしまうのか?(2,262字) 」)。人間は、耐えられないほどの恐怖を感じると、それを和らげるための「物語」を欲する。その時に、他人から嘘を教えられると、それをコロッと信じてしまうのである。 例えば、不運なことが立て続けにあった時、占い師から「この壺を買えば運気が上向きますよ」と言われると、「不運による恐怖」を和らげたいため、ついそれを買ってしまうのだ。 恐怖心というのは、それほど強い支配力がある。人間には、喜怒哀楽とさまざまな感情があるけれど、恐怖心ほど人を強く支配する感情は他にない。 人は、喜びのためだったり、怒りのためだったり、悲しみのためだったり、ましてや楽しみのためにはなかなか動かない。子供に「飴をやるからお使いに行ってきて」と頼んでも、遊びに夢中になっていれば言うことを聞かない。彼らは、飴をなめる楽しみや喜びを平気で我慢する。 しかし、人は恐怖のためにだったらすぐ動く。遊んでいる子供に対して「お使いに行かなければ鞭で打つわよ」と厳命すれば、すぐさまお使いに飛んでいく。飴をなめるのは我慢できても、鞭で打たれるのは我慢できないからだ。 では、なぜ「恐怖心」はここまで人の心を支配するのか? 今回は、そのことについて考えてみる。  
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。