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なしさん のコメント

>>26
まず一つ戦勝国「米国」というのは正確ではありません。
戦勝国は「連合国と」書いたばかりです。
「中華民国」も含む連合国9カ国です。

そして今では当たり前に使われる「日米同盟」という言葉
ですが、カーター政権の登場までは全く使われなかった言葉です。
日本人は長くNATOは同盟だが、日米はそうではないと
思っていました。

同盟は一蓮托生を意味していてNATOはそうかもしれないが
日米は安保条約はあるがそこまでの関係ではないと。
日本人の多くははそう思っていたのですよ。
当時の日本人はもっと醒めた目で日米関係を見ていました。

転機は1979年のソ連のアフガニスタン侵攻です。
カーターはそれに対してソ連の食料禁輸をしました。
日本のマスコミも激昂した反ソ論陣を張り、反ソ
意識を国民に植え付けました。

そこに付け込んだのが当時の大平自民党政権でした。
初めて日米「同盟」という言葉を使いました。
当時の日本人は反ソヒステリー状態でしたから
日米同盟の意味ををよく検討しないまま今日に至ってます。

歴史の新しい言葉なのですよ「日米同盟」って。
日米同盟が基本などとはとんでもない。
No.27
88ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
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孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。