なしさん のコメント
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日本は1945年8月15日ポツダム宣言を受諾した。
私は講演の際に、「ポツダム宣言は守るべきですか」と問う時がある。殆どの人は守るべきだという。では日本は何を受け入れたかになると、残念ながら、日本国民の多くは我々が如何なる条件のポツダム宣言を受諾したか、全文を読んでいる人はほとんどいない。
ここでは、二つの条文を見てみたい。
「第十二条: 前期の諸目的が達成され、かつ、日本国国民の自由に表明された意思に従って平和的な傾向を有し、かつ、責任ある政府が樹立された場合には、連合国の占領軍はただちに日本国より撤収するべきである。」
ポツダム宣言では、占領軍は撤退することが合意されている。 残念ながらこの合意は実施されなかった。
日本が独立した時、米国は自国軍を日本に置くことを最優先した。サンフランシスコ講和条約の日に日米安保条約(旧)が結ばれたが、米国の意図は「好きなだけの軍隊を
まず一つ戦勝国「米国」というのは正確ではありません。
戦勝国は「連合国と」書いたばかりです。
「中華民国」も含む連合国9カ国です。
そして今では当たり前に使われる「日米同盟」という言葉
ですが、カーター政権の登場までは全く使われなかった言葉です。
日本人は長くNATOは同盟だが、日米はそうではないと
思っていました。
同盟は一蓮托生を意味していてNATOはそうかもしれないが
日米は安保条約はあるがそこまでの関係ではないと。
日本人の多くははそう思っていたのですよ。
当時の日本人はもっと醒めた目で日米関係を見ていました。
転機は1979年のソ連のアフガニスタン侵攻です。
カーターはそれに対してソ連の食料禁輸をしました。
日本のマスコミも激昂した反ソ論陣を張り、反ソ
意識を国民に植え付けました。
そこに付け込んだのが当時の大平自民党政権でした。
初めて日米「同盟」という言葉を使いました。
当時の日本人は反ソヒステリー状態でしたから
日米同盟の意味ををよく検討しないまま今日に至ってます。
歴史の新しい言葉なのですよ「日米同盟」って。
日米同盟が基本などとはとんでもない。
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