りゃんさん のコメント
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樋口 陽一氏は、日本の法学者。専門は憲法学
今の時代だから、次の随筆が光る。
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海音寺潮五郎の「茶道太閤記」。両大戦間期「大衆文学」のこの傑作は、戦後「純文学」分野の野上弥生子の名作に先んじて、「秀吉と利休」を対等の人格として造形しました。小説は1940年7月から12月まで東京日日新聞(毎日新聞の前身)紙上に連載されたのですが、社からの強い求めで年内完結を余儀なくされましたログイン前の続き。対中戦争開戦から3年余、真珠湾攻撃1年前という「時局」がそれを強いたのです。
《あの人々は、せんずるところ、ただの大名衆。百年後、二百年後、三百年後、名前の残る人々ではござらぬ。が、拙者は芸道に生きる者、(中略)一言一行、かりそめなことは出来ぬ身でござる。何と申されようと無駄》
利休の娘を所望する秀吉からの使者が、前
そのひとつめは、海音寺の書いていた「東京日日新聞」自身がまさに当時、すさまじく戦争を煽っていたと言うことだ。
樋口陽一は「社からの強い求めで年内完結を余儀なくされました。対中戦争開戦から3年余、真珠湾攻撃1年前という「時局」がそれを強いたのです。」
とぼやかしているが、「時局」にはもちろん、東京日日の姿勢も含まれている。
いま樋口がこのエッセイを書いている朝日新聞も、戦争扇動では当時は東京日日に負けていなかった。
こういう大事なことを知ってて書かないのは、ほとんど嘘つきだが、朝日新聞には書けないだろう。樋口は自主規制しているのだ。
ふたつめは、樋口陽一のエッセイにでてくる「天皇機関説事件」にかかわる。
「天皇機関説事件」といえば、美濃部達吉だというのは高校程度の知識だが、この美濃部達吉が、日本国憲法について、
占領下における国民主権原理に基づく憲法改正は「国体変更」であるとして、法論理的な視点から有効性に反対したことは、あまり知られていない。かれは枢密院においても改正案の議会提出前の採決で反対するなど、その態度は生涯一貫していた。
現在では、日本国憲法無効論はバカなウヨクのいうことだという程度の認識だろう。しかし、淵源をたどれば、当時最高の知性のひとりの主張なのである。
美濃部の指摘したこの難問を、美濃部の弟子である宮沢俊義は「八月革命説」というコジツケで解決した。そのコジツケは戦後70年たっても憲法学者達に維持されていて、学生にはそういうものだと信じ込ませて深く考えさせないことに事実上なっている。もちろん樋口陽一もそのファミリーのひとりだ。そういうことを、朝日新聞は決して書かない。
新聞と憲法学者がお互いにみずからの後ろ暗いところを隠し合って,仲良く戦後体制を維持しているのだ。しかし、朝日新聞を読むような高齢読者の教養レベルでは、それに気づかない。
権力者の横暴を、一芸に秀でたものが掣肘する、というフォーマットも、海音寺の筆力で読ませるのだろうが、フォーマットそれ自体は、テレビドラマの水戸黄門などにもよく出てくる陳腐なものだ。
「大衆文学」は「大衆文学」だ。それ自体を読むことの楽しみやよろこびを否定するつもりは全くない。しかし、だれかがそれを褒めちぎるときには、なにか下心があるのではないかと疑ってみることも必要だ。
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