younghopeさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
、中野孝次著『清貧の思想』(文藝春秋、一九九六年)。
・(海外で)何かにつけて日本及び日本人について質問されるわけである。
私は話を求められるたびにいつでも「日本文化の一側面」という話をすることに決めて来た。内容は大体 日本の古典―西行・兼好・光悦・芭蕉。池大雅・良寛などーを引用しながら、日本には物作りとか金儲けとか、現世の富貴や栄達を追求する者ばかりではなく、それ以外にひたすら心の世界を重んじる伝統の文化がある。
ワーズワースの 「低く暮し、高く思う」 という詩句のように、現世での生存は能うかぎり簡素にして心を風雅の世界に遊ばせることを、人間としての最も高尚な生き方とする文化の伝統があったのだ。それは今の日本と日本人をみていてはあまり感じられないかもしれないが、私はそれこそが日本の最も誇りうる文化であると信ずる。
・いま地球の環境保護とかエコロジーとか、シンプル・ライフと
自己の意識は、体験であり、体験するところに肯定と否定が錯綜する。この経験を積みながら、人格形成を高めていく。原理的に言えば、無限に肯定否定の円環が広がっていくことであり、相手の経験体験に基づく肯定否定の円環との調整、すなわち、円環が合致すれば理想的であるが、イデオロギーなどが意識の中枢を支配すると、意見交換の前に円環同士が衝突し、遊離していく。イデオロギーの対立などは、お互いに認め、生活する基礎を、現実と理想の区分けができないと、生活面で不安がなければ、人間意識の基本的原理は、組織として守っていくのが難しく、個々人が啓発していくしかなくなっているのではないか。したがって、イデオロギー団体、福祉団体、宗教団体など諸団体が、国民が主体の構成員のことより、組織体制維持にに傾けば、衰退に向かうしかない。
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