、中野孝次著『清貧の思想』(文藝春秋、一九九六年)。
・(海外で)何かにつけて日本及び日本人について質問されるわけである。
私は話を求められるたびにいつでも「日本文化の一側面」という話をすることに決めて来た。内容は大体日本の古典―西行・兼好・光悦・芭蕉。池大雅・良寛などーを引用しながら、日本には物作りとか金儲けとか、現世の富貴や栄達を追求する者ばかりではなく、それ以外にひたすら心の世界を重んじる伝統の文化がある。
ワーズワースの「低く暮し、高く思う」という詩句のように、現世での生存は能うかぎり簡素にして心を風雅の世界に遊ばせることを、人間としての最も高尚な生き方とする文化の伝統があったのだ。それは今の日本と日本人をみていてはあまり感じられないかもしれないが、私はそれこそが日本の最も誇りうる文化であると信ずる。
・いま地球の環境保護とかエコロジーとか、シンプル・ライフと
コメント
コメントを書く作家五木寛之は政治の話を嫌うので同僚の作家野坂昭如から激しく非難されたことがある。私の認識では五木は政治の話を嫌っているわけではなく政治の世界と一線を画しながら政治に関して比喩的に批判しているから妙(たえ)なるかなということになる。
五木は「日本は1990年のバブルまでを登山に従事したと見なし、バブル崩壊後、日本は下山に入った」と観ている。更に彼は「登山の過程では周辺の景色は見えない。道端の花も見えない。ひたすら頂上を目指すだけだ。味もそっけもない。下山に入って景色を鑑賞することが出来る」とも述べている。
孫崎先生が言われる日本人の伝統でもある自然と一体を求める生きかたが近々間違いなくやってくる7000万人の人口の日本にとって主流の生き方にならなければ、日本が空中分解して果ててしまうことに何ら異論をはさむことは何人とも出来ないはずだ。
>>1
あなたのいうイデオロギーの定義と具体的にどういう存在があるのか教えて下さい。
>>3
孫崎さんおご投稿が理解できれば、おのずから理解できる「見思想の思想、無分別の分別」であり、ご自分でお考え下さい。
こんなことを聞いているようでは、全く分かっていず、お話する価値がありません。
>>4
相変わらずですな。自分の使っている用語の説明も出来ないで平気で文章を作るその傾向は一体何なのか。「見思想の思想、無分別の分別」という曖昧な用語を使い人を煙に巻くそういうイデオロギーを世に神秘主義と言うが、あなた自身がその神秘主義というイデオロギーに陥ってしまっているのをその頑なな性癖だから気付くことはないのでしょうね。
>>5
あなたは不勉強なのです。少し勉強してから、コメントしてください。何も難しいことを言っているのではありませんよ。
日本人なら、普段接している言葉ですよ。あなたは、「般若心経」を法事とかで読経したことないのですか。「写経」で精神統一したこともないのですか。
>>6
不勉強、般若心経、写経、どんどん言葉だけが脈絡なく踊る。やはり、滑稽ですよ。
>>7
日本人としての基本ができていなくて、滑稽でなく、あなたがみっともないだけです。どういう育ち方をしたのですか。今まで親族に亡くなった人がいないのですか。
>>8
育ち方、親族に亡くなったとか言いだしたら、まるで狂気だ。
>>9
日本人特有の霊性である無思想の思想、無分別の分別を神秘主義といったのはあなたなのですよ。「般若心経」の根本だと教えてあげているのに、全く理解しようとしないというか、出来ないから、いろいろ親切心からお話したのに、「狂気」だという。非常識な荒れた言葉を使ってはダメですよ。
このご投稿とは違うが、森友、加計の隠ぺいと共通するのでコメントします。
北海道タクシー事件の加害者が書類送検されるというが、テレビなどでビデオカメラで行動は明らかになっているが、名前が出ていない。書類送検で終わるという。
ネットで流れている情報によると、杉山央弁護士で、「赤れんが法律事務所所長」、ベンチュア企業「札幌ビズカフェ代表」、地域応援型クラウドファンディング社長という。何故、警察は名前を出さないのだろうか。公共性のある人が暴力行為に及び、被害届も出ているのに隠してしまう。森友、加計事件と同じ現象が出始めている。大企業のみんなで渡れば怖くない現象もあり、社会の規範がどんどん崩れているとの実感を禁じ得ない。