差別とは意識されなかったことが差別だと意識されるようになるのは、コスモロジーの貧困化せいだ、コミューナルなものの空洞化せいだ
それまで鬱屈しないで良かったものに鬱屈するようになった背景に、「フラットな社会における感情の劣化」
「男がいて、女がいる」んじゃなく「私は男でも女でもある」。同じく「私はLでもGでもBでもTでもある」

「恋愛稼働率」つまり恋愛パートナーがいる割合は、どの世代でも女は男の2倍、男は女の2分の1

今日の童貞とは、セクシズムを前提にした性的未経験者の男


正しさという感覚のルーツは「仲間のための自己犠牲を肯んじる構え」。「小さな仲間集団を犠牲にして大きな仲間集団に貢献する構え」
正しさとは「仲間への愛のために法を破る=正しさのために法を破る」
「正しさ」は、交換ならぬ贈与、バランスならぬ過剰

ヒトは、感情の働きを使って絆を作ることで集団的生存確率を上げ、そのことで個体的生存確率を上げてきた動物

「正しさよりも損得」が専らな人間「クズ」、クズに傾くこと「感情の劣化」
自分が犠牲になってもいいと思う仲間がいて、その仲間にリスペクトされていれば、その時点で「損得を超える力があり、それゆえに絆に満ちていること」
仲間がいない孤独ゆえに妄想的に損得にこだわる
不安を埋め合わせたくて、少しでも法を逸脱していた人を指差しては炎上


「便所女」自己評価が低く自分の醜悪さを「見たくない」から、イケメンという「見たいもの」だけ見る。股を開く→自己評価もっと下がる
自分はイケメンだから女はイチコロみたいなコントロール系の糞ナンパクラスタ男と、イケメン好きの便所女は、いつも対(つい)

女の心や体に生じていることを、自分の心や体にを生じさせられれば、女の快楽は男の快楽になり、男の快楽は女の快楽になる
相互浸透的なセックスを経験できるダイブ系は、ダイブを通じて「人が見かけによらないこと」を経験で知っている
両親が愛し合っていると思う大学生は、そう思わない大学生より、恋人がいる率が高く、性愛経験人数が少ない

劣化した人たちは、「絆の集団」を生きる人たちに比べて、社会がより劣化=損得化したものに見えて、それに適応してますます劣化
感情的に劣化した連中も、何かのラッキーでそうした包摂的な仲間集団に加えてもらえば、気持ちに余裕ができて、ポジション取りや承認ゲットに右往左往する「損得厨」から逃れられる

恋愛のために仕事をし、仕事のために恋愛をする。さもないと動機付けが続かない
性愛で定住社会の軛から解放されて、人は幸せになれる
言葉の奴隷や法の奴隷であることよりも、言葉の外や法の外でシンクロする=幸せになる能力


損得の計算可能性をベースに回る大規模定住社会は3千年前の文字の誕生以降。ホモ属サピエンス種の遺伝的基板は過去20万年変わってない

4万年前。遺伝子の変異で「ウタから言語へ」とシフトした(認知革命)ロゴスを用いる散文的思考ならぬ、隠喩と換喩を用いる神話的思考
1万年前。既存の農耕技術を用いて定住が決断された(定住革命)。収穫物ストックを保全・継承すべく法が生まれる
3千年前。宗教儀式から離れた文字使用が始まる(文明革命)。文脈自由なロゴス化が大規模定住化=文明化を
音声言語は距離の近さが前提だから文脈拘束的。文字言語は距離の遠さが前提だから文脈自由。神話的思考から散文的思考に移行
法や言語が自己目的化する頽落を退けるべくなされた祝祭で元の在り方=「法外・言語外のシンクロ」を取り戻す
4百年前から近代化が始まる(近代革命)。近代化とは計算可能化をもたらす手続化・技術化。計算可能性が大規模定住社会を複雑化させる
「崇高な仲間」と思い做すドイツ的民族ロマン主義と、平凡な男女を「あなたこそ世界の全て」と思い做すフランス的恋愛ロマン主義が19世紀に立ち上がる

3千年前の文明革命(文字化)を一方で駆動したのが「セム族的なもの=一神教」
大規模定住が仲間を超えるから神の言葉(の文字)が持ち出される「石つぶてを投げる者をこそ愛せ」

「正しさのために法を破る営み」を厭わぬ者が「政治」を与える

「交換&バランス&秩序&シラフ」を旨とする定住社会から祝祭が消え、性愛にだけ「贈与&過剰&渾沌&トランス」の時空が残った
人はホモ属サピエンス種が分化した50万年の歴史から見てもごく最近まで、文字言語の散文を真に受ける「言葉の奴隷」でも、法の内側を損得で生きる「法の奴隷」でもなかった

「セム族的」=「一神教的」=「近代哲学(形而上学)的」=「カント的」=ツリー(樹)
「初期ギリシャ的」=「パンテオン的」=「現代哲学(形而上学批判)的」=「ニーチェ的」=リゾーム(根茎)


「損得を越えた内発性」に駆動されず、「何か分からないけど凄い」から見放されれば、快楽の相対性を越えた享楽の絶対性に届かず、幸せになれない