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changeさん のコメント

英公使パークスは、公使館通訳アーネストサトウを徳川家の情勢が不明のため、横浜から江戸に派遣している。

一方、新政府の代表を横浜に赴任させるよう要請すべく大阪へ軍艦を派遣しているのが3月13日である。

当然のことながら東征軍参謀の木梨精一郎と渡辺清が、ハリスと面会した日は3月13日以降ではないか。

第1回 西郷,勝会談は、3月13日であり,第2回西郷,勝会談は、3月14日であり、証言と歴史的事実と期日が全く合わない。

ハリスの意向を利用したことは間違いないと思うが、西郷,勝会談の後、強弁派懐柔策として利用したのではないか。日本人は外人に弱いので、ハリス氏によって動いたという見方もあるが、天璋院とか和宮の嘆願という日本的な情緒的な見方も捨てがたい。
No.2
72ヶ月前
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江戸城、無血開城は西郷隆盛・勝安房会談が決定に重要な役割。。勝海舟の説明、西郷「いろいろむつかしい議論もありましょうが、私が一身にかけてお引受けします」、これで江戸惨禍から救われた。 だが、この会談前に、征軍先鋒参謀木梨精一郎が英国公使パークスを訪問、ここでパークスは「(江戸城攻撃は)そんなことは出来ませぬ。いずれの国でも恭順即ち降参というものに向って戦争せねばならぬということは無い筈」と江戸城攻撃反対の意向を述べます、これを西郷隆盛に伝え、西郷は、勝との会談前に、江戸城攻撃を取りやめることを決めています。 倒幕側の証言①、渡辺清「江戸、攻撃中止の真相」英国公使パークスが東征軍先鋒参謀木梨精一郎と会談したことが無血開城に極めて重要。以下証言内容 **************************************** 木梨精一郎が大総督の命を承けたというてここに
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。