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なしさん のコメント

さあ、教えてくださいと言われても、わたしは学者ではなく
ただの言語好きのディレッタントですから。

辮髪の強要についてはその事実を含めて知らないというのが
本当のところです。

普通、支配民族は被支配民族に自分たちの文化や流儀を
押し付け、被支配民族はそれを喜んで受け入れるものです。
その方がその体制の中で有利に働きますから。

ただし、満州族が大陸を支配した時、自分たちの言葉を
漢族に押し付けず、むしろ自分たちが進んで漢語を使ったことは
理解できます。

それは少数民族が圧倒的な多数民族を支配することの無理から
きています。

そしてもう一つ、韓国ドラマ好きなフレディさんならよくご存知
でしょうが、女真族など朝鮮人からはまともな人間扱いされない
蛮族でした。

ましてや漢族からは。

というわけで、満州族は幸運な偶然も作用して大陸を支配することに
なっても、自分たちが文化的に漢族に対して優位な民族とは
思わなかったはずです。
むしろ漢族に対してコンプレックスがあった。

それが、満州族がすすんで漢語を使った理由だと思います。
No.14
67ヶ月前
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年号、「令和」、出典は万葉集。「令和」の出典は「万葉集」巻五の「梅花(うめのはな)の歌三十二首并(あわ)せて序(じょ)」。「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」から引用   貧窮問答歌   (甲)風雑 ( まじ ) り 雨降る夜 ( よ ) の 雨雑り 雪降る夜は   すべもなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ   糟湯酒 ( かすゆさけ )  うち啜 ( すす ) ろひて 咳 ( しはぶ ) かひ 鼻びしびしに   しかとあらぬ 髭掻き撫でて 吾 ( あれ ) をおきて 人はあらじと   誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 ( あさふすま )  引き被 ( かがふ ) り   布肩衣 ( ぬのかたきぬ )  ありのことごと 着襲 ( そ ) へども 寒き夜すらを   我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ   妻子 (
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。