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changeさん のコメント

内務官僚:後藤田正晴、内海倫、加藤陽三の証言である。証言の正当性を判断するには、当時の日本と米国の関係性における警察予備隊の創設の経過を見なければならないでしょう。

朝鮮戦争が勃発すると、GHQ最高司令官マッカーサーは、直後1950年7月8日吉田茂首相に書簡を送り、7万5千人の警察予備隊と海上保安庁を設置するよう指示した。目的は、日本駐留のアメリカ軍を朝鮮に派遣したが、日本国内の治安上のふじを補うものであった。
警察予備隊の要員は当初後藤田などの警察官が充てられたが、1951年3月GHQは旧軍の下級将校を追放解除し、警察予備隊幹部とした。

後藤田と同じように吉田茂は軍部に抵抗した外務官僚であり、軍備強化論者でなく、警察予備隊は軍隊ではないと再軍備を否定した「解釈憲法」を持っていたといえる。

後藤田などが目にした戦場で必要なものは、アメリカが日本人を戦場に送ろうとしたものか、朝鮮のアメリカ軍に送ろうとしたものかは大きなテーマなのでしょう。
No.1
55ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
朝鮮戦争と警察予備隊創設との関係 1:朝鮮戦争勃発と警察予備隊の創設①朝鮮戦争の動向と警察予備隊創設の相関関係 朝鮮戦争勃発とともに、警察予備隊が作られます。 朝鮮戦争の動きと GHQ の警察予備隊創設の関連を見てください。        朝鮮の動向                日本の動向 50年6月25日北朝鮮軍、38度線突破。韓国・米軍敗走。      28日ソウル陥落      29日マッカーサー韓国で戦況視察        (直ちに一個連隊投入、二個師団への増強を進言)    7月 1日第21連隊、板付飛行場から韓国へ       3日第24師団率いるディーン少将韓国入り       (北朝鮮の猛攻)       8日                  GHQ 、警察予備隊創設を命令      20日大田陥落             ダレス、日本人の戦争参加検討      28日    
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。