changeさん のコメント
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かつて、日本は最も教育に力を入れている国とみられていた。第二次大戦後、日本は世界第二の経済大国になったが、その理由の一つが教育の重視とみられていた。
今日、経済は、通信分野(5 G )の充実で通信、医療、建設、教育等様々な分野の技術開発が想定されている。これに新たにどう対応するかで、教育は極めて重要な意味を意味を持つ。
こうした中で、日本はここ数年 OECD 内で教育機関向けの公的支出が極めて低い状態が続いた( 2016 年の初等教育から高等教育の公的支出が国内総生産に占める割合は、日本が 2.9 %と、 35 か国中最下位)が、本年もこれが継続した。
この状況は将来日本が国際競争力を失う可能性が高い。
A -1 事実関係1
「日本の教育、公的支出低調 17 年 OECD 調査」(日経)
経済協力開発機構( OECD )は 8 日、 2017 年の加盟各国などの国内総生産( GDP )に占める、小学校から大学に相当する教育
私が最初に心に浮かんだのは、「防衛費が大きいのか」ということであるが、孫崎さんは指摘していない。ということは、与野党の対立の結果ではない。
軍事費のGDPに対する割合を見ればはっきりする。2015年に0.992%であったが2019年は0.93%と下がっており、順位では100位ぐらいであり、軍事費によるものでないことは明らかである。
教育に対する国民の期待が、「公的利益か私的利益か」に起因するとしか考えられない。
公的利益と考えれば、与野党が一致して教育費の増額を図ろうとするし、教育費の増額が容易に達成できるでしょう。
できない原因は、親が子供に対してできるだけ教育を受けさせようとするのが親心として当然になっており、多額の投資をすればするほど個人の努力によって獲得された私的利益とみなすのでしょう。高価な高等教育を受けさせ私的負担が重いということは、そこで得られた結果や利益も私的なものとみなしやすいのである。親の労苦が報われるのである。
日本社会においては、教育の公的ベネフィットを感じる場面が少ないことが、問題なのではないか。
学校教育が何の役に立ったのかわからなければ、公費をつぎ込む正当性がない。教育費の私的負担の価値観を教育の公共的意義に変換させるためには、国民に対して地道な説明が必要である。何といっても教育が正当に評価される社会を達成させるためには、為政者に対する絶対的信頼が醸成されなければ不可能だ。また、親の生き方を変えるだけの生活が保障されなければ困難です。
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