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changeさん のコメント

国土面積では世界の中で小国である日本が明治維新後たどった歴史は大国に近かった。

1894年から1895年の日清戦争。1904年から1905年の日露戦争。
ユーラシア大陸の大国である、ロシア、中国との戦争において満足できるものでなくとも勝利を獲得してきた。

実際とはかけ離れた勝利内容を知らされない国民は、日本の力を過信したというより怖いものなしの気持ちになり高揚感が大きかったといえる。政府がマスコミを使って誤った情報を流せば、日本に対する米国の仕打ちに対して対抗せよという空気が醸成されてもおかしくない。
日本政府の意図が大国としての誇りを国民に醸成するだけでなく戦争の勝利を確信させれば、米国と戦う気がなくとも戦わなければ国民から逆に「弱虫」と名指しされたしまう環境を自らが作り出したといえる。

無謀な真珠湾攻撃に突入するのである。真珠湾攻撃を成功させても勝利の方程式など描いていなかったといえる。若い人たちが全く意味のない戦争で命を落としただけでなく、内地でも原爆投下などで多くの犠牲者を出しただけでなく多くの都市が焼失してしまった。

現在の中国が同じように人民に事実を教えず隠し続け日本が犯した過ちを犯し続けている。日本でも真実を隠す行為は現在の自民党というより安倍自民党でひどくなった。自民党自身が己の過ちに気づいていながら修正できない。戦時状態ではない点はすくわれているが、中国と同じように日本は真剣に考えなければならない。
No.2
46ヶ月前
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戦略と外交・安全保障 孫子① ・上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。城を攻るの法はやむを得えざるがためなり。 ・ゆえに兵を用うるの法は、十なればすなわちこれを囲こみ、五なればすなわちこれを攻め、倍すればすなわちこれを分かち、敵すれば、すなわちよくこれと戦い、少なければすなわちよくこれを逃れ、若かざればすなわちよくこれを避く。ゆえに小敵の堅は大敵の擒なり。  まず軍事力を使うのは最後の手段としている。 ・ゆえに兵を用うるの法は、十なればすなわちこれを囲み、五なればすなわちこれを攻め、倍すればすなわちこれを分かち、敵すれば、すなわちよくこれと戦い、少なければすなわちよくこれを逃れ、若かざればすなわちよくこれを避く。ゆえに小敵の堅は大敵の擒なり。  戦略は、相手との力関係によって変化する。相手との力が 5 倍位にに開いた時に、やっと攻めるのである。  第二次大戦前、当然、日本の
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。