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changeさん のコメント

行政官(官僚)は行政府と一体であるべきか、独立組織として機能すべきかによって見方が180度変わる。

①国民から選挙で選択される政権の方針に従い、陳情者、審議会などの要望に従って国を動かせば、政権=官僚は一体であるべきです。忖度は完全に否定するものではない。

②行政府で、官僚が政権と同格と考えれば、政権を常にチェックして不都合な面は、マスコミに訴えて正していこうとする行動が是認される。

現在の行政府は、①で行われており、政権の政策に反対の官僚などがマスコミにリークして行政府の不都合な面がクローズアップして、国会が常にスキャンダラス国会になる。予算・政策がまともに審議されることがない。極端に言えば、政治には背を向けて政権攻撃・首相など個人攻撃で打撃を与えようとする。

今回の総務省接待問題は許認可など古いシステムを与野党が踏襲していることが問題であり、電波オークションにかければ
びょどうな競争入札になり、今回のような接待問題も起こらない。現在のマスコミは、電波・新聞で経営をしているのではない。以前に首都の一等地にある国有地をマスコミ接待担当者が有利な条件で払い下げを受け、現在の経営の下支えになっていることは度忘れしているのだろうか。現在でも接待担当は毎日各省にたむろして官僚を接待しようとしていることを忘れ官僚に罪をかぶせようとしている。マスコミ・野党がまじめに政治を考えないから現在の体たらくを招いていることにも目を向けるべきでしょう。
No.1
44ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
官僚:人間の奴隷でないが、制度の奴隷  ラフカディオ・ハーンは著『神国日本』(一八八八年米国で出版し、日本では平凡社、一九七六年)から出版。その引用 ・ 日本の教育は、見かけは西洋風でありながら、大体において、これまでも、また今でも、外見とは全く反対の方式に基いて行われているのである。その目的は、個人を独歩の行動を出来るように鍛えるのではなく、個人を共同的行為にむくようにーつまり、厳しい社会機構の中に個人が妥当な位置を占めるのに適するようにー訓練を施すことであった。我々西洋人の間では、強要抑圧は子供時代に始まり、その後徐々にゆるめられる。極東のこの国での強要抑圧は、もっと後になってから始められ、その後だんだん締めつけが強まってゆく。 ・クラス生活の調整は、多数に対し一人が独裁力を振るうという事ではない。多数がひとりを支配していくというのが常道であり、-その支配力たりや実に強烈なものであるー意識的に
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。