• このエントリーをはてなブックマークに追加

changeさん のコメント

祖父は、日清戦争で日本に凱旋、地方の名士
父は教育者であったが、極度の近眼の上、色盲で戦争に参加できず恥じていた。
兄は陸海軍学校を望んでいなかったが、海軍兵学校に入学させられた。出陣を前にして終戦。

兄は私たちの前では、一切兵学校の話をしなかった。
父は、戦前教育の兄に対してはかなり厳しかったようであるが、戦後教育の私たちには優しかった。
戦後すぐの私たちの高校教育では、先生があれこれ指図することなく、生徒の主体性に任せていた。戦前教育の反省というより同世代の多くの人たちが戦死したこと、自分たちだけが生きていることの不甲斐なさが入り乱れていたのではないか。

誰も戦争を肯定していない。肯定しないがやむなく戦争に参加していったことの反省の念が極めて大きかったといえる。

長い年月を経て、複雑な気持ちで亡くなられた人たちが数多いる。その人たちの一時の行為を拾い出して血祭りにあげるリンチ的行為に極めて不快感を覚える。

韓国人が、日本人を絶対に許さない「慰安婦」「徴用工」問題の異常な状態に結びつくものを感じないわけにはいかない。
No.7
36ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。